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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第7話 聞きたくない話

 修司さんとの将棋は、俺が飛車を取られて終わった。

 正確には、そのあともしばらく続いた。終わったことに気づいていなかったのは、俺だけだった。


「次は、取られる前に逃げましょう」

「人生の話みたいですね」

「将棋の話です」


 帰りに持たせてもらった炊き込みご飯は、まだ温かかった。

 その袋を下げて公園へ行くと、久瀬が銀杏の木の下に立っていた。隣には、紺のジャケットを着た男の人がいた。


「良い匂いがしますね」

「晩ご飯です。仕事の前に確保しました」

「計画的です」


 褒めるところがそこしかないのも寂しい。

 男の人は俺の袋を見て、すぐ目を伏せた。


「食事の前に、すみません」

「まだ夕方ですから。神谷です」

「水野達也です」


 達也さんは36歳だった。亡くなってから30日が過ぎていると、久瀬が説明した。

 ベンチに腰を下ろした達也さんは、膝の上で手を組んだ。


「友人に、謝りたいんです」


 俺はノートを開いた。

 傘を返す。将棋を指す。今度は、言葉を届ける。

 物を運ぶよりは簡単そうだと、一瞬だけ思った。


「どなたに、何をですか」

「藤沢航平という、高校からの友人です。あいつがやってた喫茶店で、店番を頼まれたことがあって」


 達也さんは靴の先をそろえた。


「仕入れ先へ払うための封筒から、お金を借りたんです。次の週には戻せると思って」

「借りたって、了承は」

「取ってません」


 ノートに書きかけた『借りた』を消した。


「いくらですか」

「8万円です。あとで返しました。でも、足りないってなったとき、俺、知らないって言ってしまって」


 航平さんは、店で働いていた女性に確認をしたという。

 その人がどんな思いをしたか、達也さんは詳しく知らなかった。謝りに行く前に辞めてしまい、その後は会えていないらしい。


「返したときも、言い訳ばかりしました。あいつの店なら、すぐ困るほどじゃないと思ったとか。そんなこと、俺が決める話じゃないのに」


 達也さんは口を閉じた。

 木の葉が落ちて、俺のノートに重なった。


「航平さんには、そのあと連絡を?」

「何度か。でも返事は来なくて。家も変わったみたいで」

「お店は、今もありますか」

「あります。俺は、外からしか見てません」


 そこまで聞いて、俺は久瀬を見た。

 久瀬は俺の返事を待っていた。


 金を返した日から、何年か経っているという。

 達也さんには、最後に口をきいてもらえなかった場面が残っていた。航平さんの方には、そのあとにも店を開ける朝が何度もあったはずだった。

 俺は、自分の知らない時間の方が長いことを、ノートの端に覚えておこうと思った。


「話を聞いてもらえるか、確認はできます。ただ、謝罪を受け取ってくれるかは、別です」

「わかってます」


 達也さんはすぐに答えた。

 源蔵さんも、最初はそんなふうに答えた気がした。


     *


 喫茶店の入り口には、小さな黒板が出ていた。

 コーヒーとトースト。今日のケーキ。手書きの文字の横に、営業時間が並んでいる。

 俺たちは、客の出入りが落ち着くまで離れたところで待った。


「ここから先は、俺だけでいいですか」


 達也さんに聞くと、顔が上がった。


「一緒に行くと、相手が断っても、話を聞けてしまうので」


 説明してから、もっと柔らかく言えたかと思った。

 達也さんはしばらく黒板を見て、それからうなずいた。


「ここで待ちます」


 久瀬にも待ってもらい、俺は1人でドアを開けた。

 カウンターの奥に、エプロンを着けた男性がいた。


「いらっしゃいませ」

「すみません。藤沢さんでしょうか」


 俺は名前を告げ、私用の相談で、今時間がなければ引き取ると伝えた。

 藤沢さんは空いたテーブルを見てから、何の用件かと聞いた。


「水野達也さんに関することで。説明しにくいんですが、本人から言葉を預かっていて」


 コーヒーカップを持っていた手が止まった。


「亡くなったことは、聞いています」

「はい」

「親族の方ですか」

「違います」


 生前の知り合いかと聞かれ、俺は首を振った。

 見えていることを短く説明した。声は、自分で聞いても頼りなかった。


「謝りたい、と言っています。聞くかどうかは、藤沢さんに決めてもらいたくて」


 藤沢さんはカップを置いた。


「聞きません」


 返事は、思っていたより静かだった。

 俺は用意していた続きの言葉を、口の中に残した。


「あいつが今どう思ってるか、知りたくないです。亡くなったからって、それが変わるわけじゃありません」

「……はい」


 うなずいたのに、足が動かなかった。

 将棋のときは、断られかけたところから話が続いた。

 俺が引き下がれば、ここで全部終わってしまう。


「ただ、本当に後悔してるようで。せめて、何を悪かったと思っているかだけでも」


 言い終わる前に、藤沢さんの表情が変わった。


「今、聞くかどうかは私が決めるって言いましたよね」


 店の奥で、冷蔵庫の低い音がした。


「そうでした」


 俺はノートを閉じた。


「すみません。もう伝えません」


 藤沢さんは俺を見ていた。

 怒鳴られた方が、まだ返事をしやすかったかもしれない。


「あの人のことで、今後ここへ来ないでください。手紙も要りません」

「わかりました」


 俺は頭を下げ、ドアに向かった。

 出る直前、後ろから声がした。


「神谷さん」


 振り返ると、藤沢さんはカウンターに手を置いていた。


「あなたがどういう人かは知りません。でも、私にも、今日やることがあるんです」


 うまく返事ができず、もう1度頭を下げた。

 外に出ると、袋の中のご飯は冷めていた。


     *


 達也さんは、俺の顔を見て立ち上がった。


「駄目でしたか」


 俺はうなずき、聞くことを望んでいないと伝えた。これから先も、訪問や手紙はしないでほしいと言われたことも。


「事情を、ちゃんと話してくれました?」


 胸の奥が固くなった。


「謝りたいということは、伝えました」

「そうじゃなくて、俺が今どんなに」


 達也さんは途中でやめた。

 俺がどんな顔をしていたのかは、わからない。


「……すみません。神谷さんを責めたいんじゃなくて」


 久瀬が、俺たちの間を見た。


「今日は、ここまでにしましょうか」


 達也さんはうなずかなかった。

 店の方へ目を向けて、ジャケットの袖口を握っていた。


「あと19日なんです」


 俺は、その数字を知っていた。

 知っていたから、店の中で余計なことを言った。


「今日やることがある」


 藤沢さんの声が、まだ耳に残っていた。

 俺は達也さんを見た。


「明後日なら、またここで話を聞けます。でも、藤沢さんのところには、もう行きません」


 達也さんは長い間、何も言わなかった。

 俺も、返事を急かさなかった。

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