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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第6話 負けました、のその先

 修司さんが戻ってきたとき、源蔵さんはもう盤の前に座っていた。

 俺も、その隣の座布団へ戻った。


「続き、お願いできますか」


 修司さんは、お盆を置いた。


「いいんですか」

「はい。最後まで、指したいそうです」


 源蔵さんを見た。

 じいさんは、黙ってうなずいた。


 修司さんは盤を見てから、俺の顔を見た。


「わかりました」


 それだけ言って、腰を下ろした。


 次の指示が出るまで、長く待った。

 源蔵さんは右を見て、左を見て、膝の上で指を動かした。

 修司さんは急かさなかった。


 俺は途中で、口を出しそうになった。

 さっき、負けると言った。それなら、もう答えは出ているのではないか。


 けれど源蔵さんは、まだ考えていた。

 修司さんも、考え終わるのを待っていた。


 俺は、伸ばしかけた手を膝へ戻した。


「そこや」


 源蔵さんが指を差した。

 俺は駒を動かした。

 修司さんが返す。


 何度か同じことを繰り返し、源蔵さんの肩が下がった。


「……ないな」


 盤に置いた視線を動かさず、じいさんが言った。


「もう、どう指しても」


 俺は、修司さんを見た。

 修司さんは源蔵さんの言葉を聞けない。ただ、俺が何をするのかを見ていた。


「言ってくれ」


 源蔵さんが両手を膝に置いた。

 俺も、背を伸ばした。


「負けました」


 頭を下げる。

 横で、白髪の頭が下がった。


 修司さんは少し遅れて、同じように頭を下げた。


「ありがとうございました」


 顔を上げても、しばらく誰も動かなかった。

 窓の外で、洗濯ばさみのついたハンガーが小さく揺れた。


 修司さんが、息を吐いた。


「……これ、父に言ってほしかったんです」


 俺は黙っていた。


「勝ったって、自慢したかったわけじゃなくて。あのときの将棋を、終わらせたかった」


 修司さんは飛車を指でつまんだ。

 盤から少し浮かせて、また置いた。


「父は、私が負けると、片づけるのを待ってくれたんですよ。私がもう1回って言うの、わかってたんでしょうね」


 源蔵さんの目が動いた。


「あのときも、普通に終わってたら、私から言ったと思うんです。もう1回やろうって」


 じいさんは何か言いかけた。

 声にならず、口を閉じた。


 俺は待った。

 何を言えばいいか、さっきまでの俺にもわからなかった。


「修司」


 源蔵さんが呼んだ。

 修司さんは、盤を見ていた。


「あのときは……悪かった」


 俺は、そのまま伝えた。

 修司さんの指が止まった。


「それから」


 源蔵さんは、膝の上の両手を握った。


「もう1回、指してくれるか」


 伝えると、修司さんはうつむいた。

 少し経ってから、袖で目元を拭いた。


「……いいですよ」


 赤い丸の飛車が、元の場所へ戻された。


「また途中でやめるのは、なしで」


 源蔵さんは鼻をすすった。


「わかっとる」


 今度は、俺にもわかった気がした。


     *


 2局目は、源蔵さんがよくしゃべった。


「そっちの歩を忘れるな」

「これは、動かさない?」

「今はええ」


 俺が駒を持ち上げるたび、修司さんが少し笑う。

 緊張していた1局目よりも、その顔が気になった。


「そんな変な持ち方してます?」

「いえ。父と違う手つきで、父みたいに指すので」

「中身と外側が合ってないんですね」


「駒は、そんな強う握らんでええ」


 源蔵さんに言われ、指の力を抜いた。

 ころん、と銀が横を向いた。


「抜きすぎや」

「力加減の指導まであるとは思わなかったです」


 修司さんが、今度は声を出して笑った。


 途中で、子どものころの話になった。

 源蔵さんが、修司さんは飛車を取ることしか考えていなかったと言う。

 俺が伝えると、修司さんが即座に返した。


「最初に、これが強い駒だって教えたのは父ですよ」


「だからって、ほかを全部取られてどうする」


 俺は笑いながら、その言葉を伝えた。

 勝ちたいことには変わりがないらしい。

 源蔵さんは、昔話をしながらも、指す場所は何度も考え直した。


 修司さんも手を抜かなかった。

 盤を見る時間が長くなり、途中から2人とも黙った。

 俺はその間を、駒だけ動かしてつないだ。


 2局目も、源蔵さんが負けた。


 今度は俺が顔を見る前に、言葉が出た。


「負けました」


 俺はそれを繰り返して、頭を下げた。


「ありがとうございました」


 修司さんの声を聞いて、源蔵さんが大きく息を吐いた。


「強うなったな」


 俺が伝えると、修司さんは目を伏せたまま笑った。


「父が全然、手加減してくれなかったから」


「せんでよかった」


 その言葉も、俺は伝えた。


     *


 修司さんは駒を片づけながら、1つずつ布で拭いた。

 源蔵さんが立ったので、俺も立ち上がりかけた。


「お前は座っとけ。足、しびれとるやろ」


 図星だった。

 椅子の生活に慣れた大学生に、畳での長時間勤務は厳しい。


 じいさんは、壁際にいた久瀬のところへ行った。

 俺は少し足を崩しながら、2人を見た。


「もう、ええわ」


 源蔵さんが言った。


「ご案内してもよろしいですか」


 久瀬が聞くと、じいさんはうなずいた。

 それから、俺の隣へ戻ってきた。


「下手くそやったけど、助かった」

「前半、要りました?」


 源蔵さんは笑った。

 初めて会ったときより、少し小さく見えた。


「修司に、飯をちゃんと食えと言うてくれ」


 俺が伝えると、修司さんは手を止めた。


「それ、父が言いますか」


 弁当ばかり食べていたとか、嫌いな野菜を皿の端に寄せていたとか、まだ何か続くのかと思った。

 けれど修司さんは、首を振って笑うだけだった。


「……わかりました。ちゃんと食べます」


 源蔵さんは満足そうにうなずいた。

 久瀬が縁側へ向かい、じいさんも続いた。


 俺は修司さんに伝えた。


「今、行くそうです」


 修司さんは、俺が見ている方へ顔を向けた。

 そこに何が見えるわけでもないのに、しばらく目を動かさなかった。


「また負けたって、怒らんといてな」


 源蔵さんが振り返った。


「怒っとらんわ」


 俺は、笑いながら伝えた。


 久瀬と源蔵さんは、庭へ出た。

 木の影を踏みながら、並んで歩いていく。

 植木鉢の向こうで、2人の姿が薄くなった。

 俺は瞬きをしないで見ていたけれど、いなくなる瞬間まではわからなかった。


 修司さんが、駒箱のふたを閉じた。

 かすかな音が、座敷に響いた。


     *


 修司さんは将棋盤を持ち上げ、押し入れの前で少し迷った。

 それから、縁側に近い棚の下へ置いた。


「神谷くん。また指しませんか」

「俺、1人やと弱いですよ」

「それは、見ていてわかりました」

「もうちょっと包んでもらえませんか」


 修司さんは笑った。


「教えますよ。父に教わったくらいでよければ」


 俺は源蔵さんが座っていた場所を見た。

 次に来ても、たぶん金と銀で迷う。

 今度は、隣から文句を言う声もない。


「手加減は、してもらえるんですか」

「それは、教わらなかったので」


 やっぱり親子だった。


 帰り際、修司さんが玄関で言った。


「不思議なことは、まだよくわかりません。でも、今日は指せてよかったです」


「俺も、来られてよかったです」


 それは、考えなくても言えた。


     *


 外で久瀬と合流し、帰り道で活動の記録を確認した。

 水曜の聞き取りと待ち時間、今日の対局と移動。

 俺はスマホに書き込み、今回は徒歩で移動し、経費の支出がなかったことも記録した。


「勝ちたいって依頼やったのに、2回とも負けましたね」

「はい」

「失敗ではないんですよね」


 久瀬は本を閉じた。


「源蔵さんは、助かったとおっしゃっていました」


 俺は、最初の日のノートを思い出した。

 息子に負けた。もう1局。勝ちたい。

 あそこに書いたことだけでは、今日を説明できなかった。


 スマホに修司さんから写真が届いた。

 さっきまで座っていた場所に、盤がもう1度出してある。


『来週の土曜、午前なら空いています。お昼も用意します』


 予定を確認して、返信した。


『お願いします。次までに、駒の並べ方は覚えておきます』


「次のお仕事ですか」


 久瀬が尋ねた。


「いや。今のは、俺の用事です」


 俺はカレンダーを開き、土曜の予定に『修司さんと将棋』と打ち込んだ。


 今度の「もう1回」は、俺の番だった。

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