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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第4話 勝ち逃げは許さん

 初出勤に持っていく物がわからず、とりあえず筆箱をかばんに入れた。

 学生証、財布、スマホ。大学からそのまま来たので、教科書も入っている。

 どう見ても、講義の帰りだった。


 公園で落ち合った久瀬に、かばんの中を見せた。


「持ち物、こんなんでええんですか」

「それで問題ありません」


「制服とかはないんですね」

「必要ですか」

「いや。黒いコート渡されたらどうしようかと」

「神谷さんのお好きな服で結構です」


 俺は自分のパーカーを見た。

 死神の助手としては、だいぶ頼りない色をしていた。


「今日は、どんな用事ですか」

「息子さんに勝ちたい、と伺っています」

「親子喧嘩?」

「将棋です」


 俺は少し安心した。

 借金の取り立てや、遺産のもめ事だったら、大学2年の俺が出ていく意味がわからない。


「将棋か。それなら、まあ」

「指したことはありますか」

「小学生のときに。駒の動かし方、だいたい忘れましたけど」

「ご本人に指す場所を教えていただく予定です」

「俺が手だけ貸すってこと?」

「はい。ただし、息子さんが応じてくだされば、です」


 久瀬は本を閉じた。

 表紙には何も書かれていない。俺の教科書より分厚いのに、そこから出てくる説明はいつも短かった。


「それ、依頼人のこと全部載ってるんですか」

「お名前と、亡くなった日時と、私が伺ったお話などです」

「攻略法はなし?」

「ありません」


 俺はかばんから、小さなノートを出した。

 攻略法がないなら、聞いたことくらいは書いておこうと思った。


     *


 相原源蔵さんは、自宅の前の細い道に立っていた。

 灰色のカーディガンに、きっちり折り目のついたズボン。背筋が伸びていて、近づく俺を上から下まで見た。


「若いな」

「20歳です」

「将棋は指せるか」

「歩がまっすぐ進むのは覚えてます」

「帰れ」


 俺は久瀬を見た。


「初出勤、終わりそうです」

「源蔵さん。この方には、駒を動かしていただきます」

「駒がわからん奴に動かせるか」

「字は読めます」


 自分で言ってから、採用面接としては低いところを争っている気がした。

 源蔵さんは鼻を鳴らした。


「……わからんときは、動かす前に聞け」


 どうやら採用されたらしい。


 門の外で話を聞いた。

 源蔵さんは78歳で亡くなり、それから3週間ほど経っていた。家では息子の修司さんが1人で暮らしている。


「息子さんに勝ちたいって聞いたんですけど」

「勝ち逃げは許さん」

「最後に負けたんですか」


 源蔵さんは、口を曲げた。


「あいつは、そう思っとる」


 俺はノートに『息子に負けた』と書いた。


「もう1局、ちゃんと指せばいいんですね」

「勝つんだ」

「勝つかどうかは、俺ではどうにも」

「お前は駒を動かせばいい」


 門の向こうには、小さな庭があった。

 植木鉢が片側に寄せられ、縁側のガラス戸は閉まっている。

 源蔵さんはそちらへ目をやった。


「あいつ、強いんや」


 不意に声が変わったので、俺は顔を上げた。


「俺が教えた」


 少しだけ胸を張っていた。

 負けた相手の話をしているのに、悔しそうではなかった。


「今、お仕事ですか」

「今日は休みや。買い物に出とる」


 家に勝手に入るわけにもいかず、近くの小さな公園で待つことにした。

 源蔵さんは先に歩き出し、俺と久瀬が続いた。


「何局でも付き合ってもらうつもりですか」


 久瀬が尋ねた。


「まず1局や」

「その後は、修司さんにも確認しましょう」

「わかっとる」


 返事は早かった。

 本当にわかっているときの早さかは、俺にはまだわからなかった。


     *


 修司さんが帰ってきたのは、30分ほど後だった。

 源蔵さんが公園の入り口で気づき、俺たちも家の前へ戻った。

 修司さんは50歳くらいで、買い物袋を片手に提げていた。


「どちらさまですか」


 門の前で声をかけると、足が止まった。

 俺は神谷と名乗った。


「お父さんのことで、少しお話しできればと思って」


 修司さんは鍵を握り直した。


「今、立て込んでいるので」

「急にすみません。将棋のことなんですけど」


 それでも、門は開かなかった。

 俺は説明を続けかけて、口を閉じた。

 買い物袋には、冷凍食品が見えていた。


「お忙しかったら、また別の日にします」


 修司さんは、俺の手のノートを見た。


「父の将棋仲間には、見えませんけど」

「仲間ではないです。お会いしたのは今日で」


 言った瞬間、前にも同じ説明をしたのを思い出した。

 やっぱり、どの順番でも怪しい。


 俺は、見えていることと、もう1局指したいと頼まれたことを話した。

 修司さんは途中から、ほとんど表情を動かさなかった。


「そういう話を、今ここでされても」

「……はい」


 隣で源蔵さんが、せかすように俺の顔を見た。


「飛車の裏の、赤い丸や。あいつが小さいころに書いた。言うてみろ」


 俺は言わなかった。

 それで信じてもらえるのかもしれない。でも、信じたら将棋を指す義務が生まれるわけでもなかった。


「やめましょうか」


 修司さんに聞いた。


「お父さんの話も、将棋も。嫌でしたら、これ以上は」


 修司さんは、少しだけ視線を落とした。


「……何て頼まれたんですか」

「もう1局、指したいと」

「それだけ?」


 俺は源蔵さんを見た。

 じいさんは、顎を引いて黙っていた。


「勝ちたい、とも言ってます」


 修司さんが、短く息を吐いた。

 笑ったようにも見えた。


「父らしいですね」


 それから、自分でその言葉を確かめるように、家の方を振り返った。


「今日は無理です。でも、日曜なら時間があります」


 俺はすぐ返事をせず、スマホの予定を確認した。

 午前は空いていた。


「10時ごろはどうですか」

「では、その時間に」


 修司さんは、俺と連絡先を交換した。


「話を信じたわけではないです。ただ、盤を片づける前に、誰かと指すのはいいかもしれないと思って」

「はい」

「父のことを何か知っているなら、それも聞きたいので」


 門が開いた。

 源蔵さんは息子について行きかけて、俺を振り返った。


「日曜、遅れるなよ」


 俺がうなずくと、じいさんは家の方へ歩いていった。


     *


 帰り道、俺はスマホに集合時刻を入れた。

 そのすぐ下には、定食屋のシフトがあった。


「日曜は夕方からバイトです。それまでに終われますか」

「長くかかるようでしたら、いったん区切りましょう。修司さんにもお伝えください」


 久瀬の返事に、少し安心した。

 仕事を引き受けた途端、生活全部を持っていかれるわけではないらしい。


「息子さん、指してくれそうですね」

「そうですね」

「勝てたら、源蔵さんも行けるんかな」

「それは、終わってから伺いましょう」


 俺はノートを開いた。

 息子に負けた。もう1局。勝ちたい。

 とりあえず次は、駒を間違えずに動かせればいい。


 その晩、修司さんからメッセージが届いた。


『日曜、よろしくお願いします。父は最後の対局のことを、何か話していましたか』


 俺は少し迷って返信した。


『勝ち逃げは許さない、と言っていました』


 既読がついてから、しばらく返事がなかった。

 将棋の駒の並べ方を調べていると、通知が出た。


『勝ち逃げですか。あの将棋、父は負けていないんです』


 俺は、机の上のノートを見た。

 息子に負けた、と書いたのは俺だった。


『最後まで、指してくれなかったので』

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