第21話 買わなかったパソコン
翌朝、俺は大学のパソコン室で課題を終えた。
家で続きをするより、ずっと早かった。
教室を出ながら、買い替えを延ばすとこういう移動が増えるのだと思った。
不便は、きれいな気持ちになっても消えない。
昼、母親から電話が来た。
連休に帰るかという用件だった。
「たぶん、出かける」
「友達と?」
「知り合いの親子と。旅行の手伝いみたいな」
嘘ではなかったが、全部でもなかった。
母親は詳しく聞かず、泊まりなら連絡だけはつくようにしておいて、と言った。
「ちゃんと寝てから行きや」
「まだ、決まってへんねん」
「決まってからでも、ちゃんと寝るの」
電話を切ってから、俺は笑った。
家を出る前の用事を、誰かが気にしてくれるのは、ずいぶん普通のことだった。
*
亮介さんとは、咲ちゃんのいない時間に話した。
俺が報酬をためていることと、そのお金を旅に使うか考えていることを伝えると、亮介さんはすぐ首を振った。
「それは、受け取れません。神谷さん、学生でしょう」
「はい。だから、生活費からは出しません」
「そういう問題だけじゃなくて」
俺はうなずいた。
善意で出すと言えば、その場で喜んで受け取れるわけではない。達也さんのときに学んだことが、別の形で戻ってきた。
「今日、受け取るか決めてほしくて来たわけじゃないです。どういう形なら困らないか、聞きたくて」
亮介さんはしばらく黙った。
「咲が、大人の世話になったから何か返さなきゃって思うのは、避けたいです」
「俺も、それは求めません」
「妻のためだから、という旅行にもしたくない。咲が当日、水族館ばかり行きたがるかもしれないです」
俺は少し笑った。
「それは、この前も言ってましたね」
亮介さんも、ほんの少し笑った。
「僕も、楽しく出かけたいんです。妻の話をする時間も、しない時間もあって」
俺はうなずいた。
亮介さんが欲しい旅行の形は、真帆さんから最初に頼まれたものと、もう少し違っていた。
*
次に真帆さんと会ったとき、俺はその話をした。
亮介さんの了承を得た範囲だけ、伝えた。
「私のため、ではないんですね」
真帆さんは、少し寂しそうだった。
「真帆さんが行きたかった場所へ、2人が自分たちで出かける旅行です」
言ってから、うまく説明できているか自信がなくなった。
真帆さんは考え、それからうなずいた。
「咲、あの写真の話をするとき、私が何歳だったかより、砂が熱くなかったか気にしてたんです」
俺は少し笑った。
「たぶん、足を埋める予定が本気なんですね」
「本気です。自分の靴を脱いで練習してたので」
真帆さんの笑い声が、公園の道へ小さく広がった。
その声を、咲ちゃんに録音して渡すことはできない。
俺が知ったことを、覚えていて話すことはできる。
「神谷さんのお金まで、使ってもらうんですか」
真帆さんが聞いた。
「まだ相談中です。使うとしても、俺が決めます。全部かなえるために、何でもするという話ではないです」
真帆さんは両手を重ねた。
「私がお願いしたせいで、困る人を増やしたくないです」
久瀬がそばで、静かにうなずいた。
俺は、すぐ大丈夫とは言わなかった。
「困ることも、ちゃんと考えます」
*
俺は、買い替えを延ばした場合の予定を作った。
自宅のパソコンが使える間は使う。重い課題は大学で済ませる。必要なデータは別にも保存する。
買い直すためのお金は、定食屋の収入から、無理のない範囲で少しずつためる。
死神の依頼を増やして埋め合わせる、とは決めなかった。
澄江さんにも相談した。
旅の手配と家族の費用を俺個人が一部負担すること、その負担を次の活動費に混ぜないこと。
現地への同行は、俺が自分で希望して参加する旅行として分ける。通常の聞き取りや報告は、これまでどおり記録する。
「ただ働きしなさい、という話にはしないよ」
澄江さんは、はっきり言った。
「はい。誰かに言われて埋めるお金ではないです」
久瀬が俺を見た。
「断っても、この仕事を続けることには関係ありません」
俺はうなずいた。
「知ってます。最初にも聞きました」
言ってから、カタログを閉じた日のことを思い出した。
惜しいという気持ちは、まだあった。それをなくしてから決めるのは、たぶん無理だった。
「俺も、海へ行ってみたいです」
口にすると、ようやく自分の希望が混ざった。
久瀬は、そうですかと答えた。
*
亮介さんから、数日後に連絡が来た。
援助を受けるなら、金額と分担を明確にしたいという。
宿や交通は亮介さんが予約し、俺は自分の分と、親子の費用の一部を負担する。余分な予定は、勝手に増やさない。
「返さなくていいお金として、本当に受け取っていいんですか」
改めて聞かれた。
「はい。ただ、計画が変わって実際にかからなかった分は、精算してください。使い切るための旅行にはしたくないので」
亮介さんは、わかりましたと言った。
電話を切る前に、俺は1つだけ確かめた。
「もし咲ちゃんが、やっぱり行きたくないって言ったら、予約したあとでも相談してください」
亮介さんは、少し間を置いて答えた。
「はい。キャンセルにお金がかかる場合も、最初に確認しておきます」
俺はその条件もメモした。
喜んでいる姿を見たいと思うほど、喜ばなければならない旅行にしてしまいそうだった。
支払うことを決めても、咲ちゃんの機嫌や悲しみまで予約できるわけではない。
その日の夜、亮介さんから宿の条件が届いた。俺は金額と日付を読み、変更になったときも黙って抱えないと返信した。
俺も、足りない分を無制限に引き受けるとは言わなかった。
今ある貯金と4月分を合わせた範囲まで。亮介さんは、自分たちの分を3万円程度と、そのほかの差額を負担する。
具体的な予約を見て、無理がないところへ収めることになった。
最後に、咲ちゃんにも聞いた。
「俺も一緒に行っていい?」
「来ると思ってた」
咲ちゃんはそう言って、青い色鉛筆を持ち直した。
旅先でやりたいことを、絵にしていた。
「でも、お父さんと2人がよかったら、そう言っていいで」
咲ちゃんは亮介さんを見て、それから俺を見た。
「3人でいい。お兄ちゃん、写真撮れる?」
「普通くらいには」
「足、切れへんように撮ってな」
要求が具体的だった。
俺は自分のスマホを見た。
新しいパソコンを開くはずだった5月に、俺は砂浜で写真を撮ることになった。
買い物の予定を、カレンダーから消した。
代わりに『汐崎』と入れた。




