↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/24

第2話 晴れた日に傘を返す

 借りた傘は、紺色だという。

 持ち手に黄色いビニールテープが巻いてあり、留め具のところに白い糸で修繕した跡がある。


「だいぶ詳しいですね」

「間違えたらあかんからな」


 森田さんは、俺のスマホをのぞき込んだ。

 メモには住所と、弁当屋の名前と、傘の特徴が並んでいる。


「それと、返すんは昼過ぎがええ。昼どきは忙しいから」

「了解です」

「火曜は休み」

「ほかには?」

「唐揚げがうまい」


 俺はそこまで打ってから、手を止めた。


「それ、返すのに要ります?」

「帰りに買うかもしれんやろ」


 久瀬が、メモを確認するように横から見ていた。


「お腹は空いていますか」

「そっちは俺に聞かんでええ」


 森田さんが笑った。

 声だけ聞いていれば、公園で話好きのおじさんにつかまっているようだった。


     *


 森田さんの家には、娘さんが片づけに来ていた。

 玄関の脇に小さな車が止まり、後部座席に折り畳んだ段ボールが積んであった。


 俺は門の前で立ち止まった。


「何て説明したらええんやろ」

「事実をお伝えするなら、亡くなったお父様から頼まれたと」

「初手でドア閉められるやつや」


 久瀬は少し考えた。


「その可能性はあります」

「対策は?」

「お話を聞いていただけなければ、今日は引き返しましょう」


 それ以上、うまい方法は出てこなかった。

 俺はインターホンを押した。


 出てきた娘さんは、40代くらいだった。片手に軍手を持っている。


「どちらさまですか」

「神谷といいます。突然すみません。森田さんが弁当屋で借りていた傘のことで」


 娘さんの視線が、俺の顔から、何も持っていない手へ移った。


「お店の方?」

「いえ。大学生です。返すのを手伝えたらと思って来たんですけど」

「父のお知り合いですか」


 隣で、森田さんが黙って俺を見ていた。


「……会ったのは、今日です」


 娘さんの表情が固くなった。


「父は亡くなっています」

「はい。そのことで、説明しにくいんですけど」


 俺は、森田さんが公園で話していたことを伝えた。

 紺色の傘。黄色いテープ。白い修繕の糸。

 それから、娘さんの横に立つ森田さんを、見ないようにした。


「申し訳ありませんけど、そういうお話は」

「はい。無理に信じてほしいわけじゃないです」


 声が上ずった。

 こういう言い方をする人ほど怪しいのではないか、と自分でも思った。


「傘に、店の名前はありますか」


 娘さんが聞いた。

 俺は森田さんを見た。


「持ち手の内側や。薄うなっとるけど」


 そう伝えると、娘さんはドアを細く閉め、いったん奥へ戻った。

 やがて、傘を持って出てきた。

 持ち手には、マジックで『まるや』と書いてあった。


「これ、父のじゃなかったんですね」


 娘さんは黄色いテープを親指でなぞった。


「お店に電話して確認します。少し待ってください」


 玄関先で待つ間、久瀬は何も言わなかった。

 森田さんは、車に積まれた段ボールを見ていた。


「自分の休みに、こんなことさせてな」


 俺は返事をしなかった。

 娘さんが戻ってきた。


「お店の傘だそうです。そちらにも返しに来てくださると伝えました」


 そして、傘を差し出した。


「父のことは、正直、よくわかりません。でも、これは助かります。ありがとうございます」


 それ以上、説明を求められなかった。

 俺も、森田さんがすぐ隣にいるとは言わなかった。


「返したら、戻ってご報告します」

「お願いします」


 傘は、思ったより軽かった。


     *


 商店街までの道を、3人で歩いた。

 晴れているのに長い傘を持っているのは、俺だけだった。


「いつも、あの店で買ってたんですか」

「週に2回くらいやな。自分で作る日もあったで」

「何を?」

「うどん」

「ほかには」

「そば」


 麺の種類の話になりそうだったので、俺はうなずくだけにした。


「娘と飯食うこともあったけど、あの子も仕事あるしな。毎日はしゃべらんやろ」


 森田さんは、傘の先を見ながら歩いていた。


「あの店に行ったら、おばちゃんが、今日は暑いなとか、阪神どうやったとか言うんよ。俺も、昨日のあれはないわ、とか返して」


 信号が赤になり、俺が止まると、2人も止まった。


「それだけなんやけどな」


 俺は傘の持ち手を握り直した。


「借りた日は、何を買ったんですか」

「サバの塩焼き」

「唐揚げちゃうんや」

「好きなもんばっかり食うたらあかん」


 森田さんは真面目な顔で言った。


     *


 まるや弁当は、古い薬局とクリーニング店の間にあった。

 昼の混雑は終わったらしく、店主がカウンターを拭いていた。


「傘の子?」


 俺が名乗る前に、声がかかった。


「はい。森田さんのお宅から、お預かりしてきました」


 差し出すと、店主は手を止めた。

 傘を受け取り、留め具を外して布を少し広げた。


「きれいに畳んであるわ」


 森田さんが、横で小さくうなずいた。


「借りたもんやからな」


 俺は、口が動きそうになってこらえた。


「森田さん、急だったんやね。娘さんから電話いただいて、びっくりしたわ」


 店主は傘を畳み直した。


「返すの気にしてはったんかな。そんなん、いつでもよかったのに」


「……そう伝えます」


 言ってから、少し息を止めた。

 店主は娘さんへの伝言だと思ったらしく、うなずいた。


「雨の日な、傘ないからって、弁当の袋を頭に載せて帰ろうとしはってん。無理やろって貸したんよ」


 森田さんが、目をそらした。

 俺は初めて、死者にもばつの悪い顔があると知った。


「最近見えへんなと思ってたんやけど」


 店主はカウンターの角を布巾で拭いた。

 そこは、もうきれいだった。


「いつもは、お店でどんな話してたんですか」


 俺が聞くと、店主は首をかしげた。


「何やったかなあ。天気とか、野球とか。ほんま、どうでもええ話ばっかり」


 森田さんは、うなずいていた。


「そうそう」


「でも、よう笑う人やったわ。こっちがしょうもないこと言うても、ちゃんと笑ってくれはって」


 森田さんの口元が、少し緩んだ。


 店主は傘を入り口の傘立てに差した。


「助かったわ。次に忘れた人にも貸せる。持ってきてくれて、ありがとうね」


 俺は、カウンターに貼られた献立を見た。


「あの、唐揚げ弁当、まだあります?」


     *


 娘さんに傘を返したことと店主の言葉を報告してから、公園へ戻った。

 娘さんは「そうでしたか」と言い、少し笑った。父親が弁当の袋を頭に載せようとした話には、呆れた顔もした。

 森田さんは、もう家へは上がらなかった。


 公園のベンチに弁当を置く。

 ふたを開けると、森田さんが身を乗り出した。


「な。うまそうやろ」

「もう食べていいですか」


 衣が、かりっと音を立てた。


「うまい」

「やろ」


 森田さんは、自分が作ったみたいに笑った。

 俺は飲み込んでから、店主が言ったことを、もう1度話した。

 森田さんもその場で聞いていた。けれど、確かめるように、ゆっくりうなずいた。


「どうでもええ話、覚えててくれたんやな」


 膝の上で重ねた手が、静かに開いた。


「俺ばっかり、しゃべりに行ってる思うてた」


 久瀬が本を閉じた。


「森田さん。どうされますか」


 森田さんは空を見た。

 しばらくして、立ち上がった。


「行くわ」


 俺は箸を止めた。


「今ですか」

「返してもろたしな」


 もっと何か聞いた方がいい気がした。

 それなのに、何も出てこなかった。


「ありがとう、兄ちゃん」


 俺が頭を下げると、森田さんも下げた。

 久瀬が隣に立つ。


 2人は公園の奥へ歩いていった。

 森田さんは途中で振り返り、俺の弁当を指した。


「冷めるで」


 俺は、箸を持った手を少し上げた。


 2人が木陰に入った。

 歩く姿が、木々の向こうへ遠ざかっていくように薄くなった。

 目をこすっても、もう誰もいなかった。


 俺は残りの唐揚げを食べた。

 最後の1個まで、大きかった。


 片づけて立とうとしたとき、遊歩道から久瀬が戻ってきた。

 来たときと同じ服で、同じ本を抱えていた。

 隣だけが、空いていた。


「……行けたんですか」

「はい」


 俺は、持ち帰る傘を探してベンチの横を見た。

 もう返したんだった。


「神谷さん」


 久瀬が、少し間を置いた。


「今日のようなお手伝いを、今後もお願いできませんか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。