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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第1話 順番が違います

短編の話を少し長く書いてみようと思った今日この頃。

 自分の自転車があんな形に曲がるとは、知らなかった。


 前輪が横を向いている。買ったばかりのライトは、路面の水たまりを照らしていた。

 そのそばに、人が倒れている。

 見覚えのあるスニーカーだった。


「……俺?」


 声に出した途端、倒れている顔まで見えてしまった。

 俺だった。


 さっきまで、信号を見ていたはずだ。

 バイト帰りで、雨が降っていて、青になったのでペダルを踏んだ。右からライトが近づいてきた。

 そこから先が抜けている。


「神谷悠斗(かみやゆうと)さん」


 隣に男が立っていた。

 黒いコートに、黒い髪。俺より少し年上に見える。傘も差していないのに、肩が濡れていなかった。


「こちらへ」

「いや、待って。あれ俺やんな」

「はい」

「はい、やなくて。救急車とか」

「呼ばれています」


 誰かが電話で場所を伝えていた。別の誰かが、倒れている俺に呼びかけている。

 俺も近づこうとした。

 そのとき、男が抱えていた本を開いた。


 ページをめくる手が止まった。

 顔を上げて俺を見た。もう1度、本を見る。


「どうしたん」


 男は本を閉じた。


「申し訳ありません。私の手違いです」

「何が」

「あなたを連れ出すべきではありませんでした」


 雨の音が、急に遠くなった。


「連れ出すって、どこから」

「身体からです。今すぐ戻します」

「戻すって何。先に説明――」


 男が深く頭を下げた。

 その黒い頭が、ぐらりと傾いたように見えた。

 傾いたのは、俺の方だった。


     *


 次に目を開けたとき、白い天井があった。

 声を出そうとすると、喉がひどく乾いていた。


「悠斗」


 母親が、ベッドの脇から立ち上がった。

 俺の顔をのぞき込み、それから廊下へ人を呼びに行った。

 聞きたいことは山ほどあったのに、最初に出てきたのは、変な質問だった。


「今日、何曜?」


 バイトを無断で休んでいないか気になった。

 あとで母親にその話をしたら、あんたはまず自分の心配をしなさい、と怒られた。


 俺は20歳の大学生で、経済学部の2年だった。

 大学の近くで一人暮らしをして、定食屋でバイトをしている。事故に遭うまでは、提出していないレポートと、起動の遅いパソコンが主な悩みだった。


 退院までの間に、それらはすべて後回しになった。

 検査があり、傷の処置があり、事故について話を聞かれた。大学とバイト先には、両親にも手伝ってもらって連絡をした。

 自転車はしばらく買い直さないことになった。


 あの男の話だけは、誰にもしなかった。


 夢だったのだと思った。

 自分が道路に倒れているところを外から見るなんて、そうでなければ説明がつかない。


 退院後は実家で過ごし、通院しながら、少しずついつもの生活へ戻った。

 アパートへ帰った日、冷蔵庫の牛乳を捨てた。机の上には、事故の日に使ったマグカップがそのまま置いてあった。

 洗って伏せたところで、窓の外から声がした。


「神谷さん」


 見なくても、誰かわかった。

 振り返るまでに、少し時間がかかった。


 1階の窓の向こうに、黒いコートの男が立っていた。


「入ってもよろしいでしょうか」

「まず、そこにおる理由を説明して」


 男はうなずいた。


「謝罪と、その後の状態を伺うために来ました」


     *


 俺が玄関を開けると、男は名乗った。


「久瀬(くせ)と申します」

「何の人?」

「死者の案内をしています。死神、と言えば伝わるかと思います」

「伝わるけど、納得は別やな」


 久瀬はうなずき、靴を脱ぐ動作をせずに立っていた。

 俺が足元を見ると、少し困ったように説明した。


「床を汚すことはありません」

「それ、土足で入ってくる人が言うやつ」

「現実の物には触れられませんので」


 久瀬が差し出した手は、玄関のドアを通り抜けた。


 俺は半歩下がった。

 冗談なら、そこまでやらなくてよかった。


 部屋に上げても、しばらく座る気になれなかった。

 久瀬は机から少し離れた場所に立ち、事故の夜について話した。

 近くで別の死者への対応をしていたこと。事故の現場で判断を誤り、まだ連れていくべきではない俺の魂を、身体から離してしまったこと。


「確認の順番を誤りました。申し訳ありません」


 また、深く頭を下げた。


「それ、すみませんで済む話なん」

「済むとは思っていません」

「死んでたかもしれへんのやろ」


 久瀬は目を伏せた。


「重大な誤りでした」


 言い訳は続かなかった。

 怒鳴れば少しは楽になる気がしたが、そうしたところで事故の夜が変わるわけでもなかった。

 俺はベッドに腰を下ろした。


「……見えてるのは、何で」

「魂を連れ出した影響と考えています」

「治る?」

「わかりません。以前、見えなくなった方はいます。しかし、あなたも同じとは断言できません」


 その答えは、聞きたかったものではなかった。

 けれど、すぐ治りますと言われるより、今はましだった。


「身体の方も、何か変わったん?」

「傷を治す力などはありません。お身体については、病院で診てもらってください」

「そこは普通なんやな」


 久瀬は、俺が通院していると聞くと、小さくうなずいた。


「今後も、状態を確認させていただけますか」

「毎朝、窓に立つんはやめて」

「毎朝は不要でしょうか」

「頻度より方法」


 結局、次の日曜の午後、近くの公園で会うことになった。

 電話番号を聞いてから、聞くだけ無駄だったと気づいた。


     *


 日曜は、気持ちのいい晴れだった。

 公園のベンチで、久瀬は本を開いていた。

 隣には、茶色い上着を着た年配の男性が座っている。


「待った?」

「約束の時刻です」


 男性が俺を見た。


「兄ちゃん、これ、読める?」


 ベンチのそばの掲示板を指していた。町内清掃の日程が貼ってある。


「来週の日曜、朝9時って書いてます」

「ああ、来週か。ありがとう」


 久瀬が本を閉じた。


「神谷さん。この方の声も聞こえるのですね」


 俺は男性を見た。

 普通のおじさんだった。顔色も悪くないし、足もある。


「……も?」


 男性が気まずそうに頭をかいた。


「あんまり、驚かせたくなかったんやけど」


 ちょうどそのとき、ベンチの下へ転がってきたボールを、男の子が取りに来た。

 小さな手が、男性の膝を通り抜けた。


 俺は声を飲み込んだ。

 男の子は何も気づかず、ボールを抱えて走っていった。


「驚く前に言うてほしかったです」

「すまんな。久瀬さん以外に返事してもろたん、初めてで」


 男性は森田徹さんといった。

 10日ほど前に亡くなったのだと、久瀬が説明した。


 俺はベンチの端に座った。

 公園にはほかにも人がいた。散歩をする人、犬を連れた人、子どもを追いかける人。

 誰がどちらなのか、急にわからなくなった。


「そこらじゅうにおるん?」

「いえ。多くの方は、亡くなったあとに案内を受けて旅立ちます。留まる方は少数です」


 森田さんが、膝の上で手を重ねた。


「俺は、返してないもんがあって」


 お金だろうか。

 聞かない方がいい気がしたが、目が合ってしまった。


「何を?」

「傘」


 俺は久瀬を見た。

 久瀬は、冗談ではないという顔でうなずいた。


「弁当屋で借りたんや。返すつもりで玄関に置いてあってな。置いたままになってしもた」

「ご家族に返してもらえば……」


 言いかけて、口を閉じた。

 森田さんは苦く笑った。


「声が、届かへんのよ」


 俺は膝の上の自分の手を見た。

 さっき、ここへ来る途中で、コンビニのドアを開けた手だった。


「久瀬さんは、運ばれへんのか」

「はい」


 森田さんが慌てて首を振った。


「頼みに来たわけやないねん。久瀬さんに、ここで話を聞いてもろてて。兄ちゃんも忙しいやろ」


 今日はレポートを書くつもりだった。

 書くつもりの日は、たいてい別のことをして終わる。


「場所だけ、聞いてもいいですか」


 森田さんの手が、膝の上でほどけた。


「返せるかは、まだわからんけど」


 俺はスマホを出し、メモを開いた。

 住所を書く前に、まず聞いた。


「傘、何色ですか」

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