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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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19/24

第19話 海へ行く約束

 桜のつぼみが膨らみ始めたころ、久瀬が公園の別の入り口で待っていた。

 隣に、薄いベージュの上着を着た女性がいた。

 女性は俺の姿を見ると、両手を前で重ねた。


「三浦真帆です」


 声は落ち着いていたが、指が何度も組み直されていた。

 34歳。3月8日に亡くなったと、久瀬が説明した。


「娘を、海へ連れていってほしいんです」


 俺はノートを開いた。


「どこの海ですか」

「汐崎という町の。私が育ったところです」


 名前を聞いても、場所はすぐに浮かばなかった。

 真帆さんは駅の名前と、そこから乗るバスを教えてくれた。俺は地図を開き、画面を近づけた。

 鉄道を乗り継ぎ、そのあと町のバスに乗る。日帰りで気軽に行くには、少し遠かった。


「5月4日に、8歳になります。その誕生日に行こうって、約束してたんです」


 俺は先に、久瀬を見た。


「真帆さんの期限は、4月26日の12時10分です」


 久瀬の声を聞いて、ノートの同じページに2つの日付を書いた。

 真帆さんは、俺のペンが止まるのを見ていた。


「一緒に行けないのは、聞きました」


 俺はうなずいた。


「約束を、なかったことにしたくなくて」


 娘さんの名前は咲ちゃん。今度、小学2年生になるという。

 真帆さんの夫、亮介さんと2人で暮らしている。


「ご主人は、その約束をご存じですか」

「海へ行く話は。でも、誕生日にって決めたのは、娘と2人で話したときで」


 真帆さんは少し俯いた。


「予約する前でした。宿も電車も、まだ何も」


 俺は地図を縮めた。

 娘を連れていってほしいという依頼は、傘を返す話とは違った。

 咲ちゃんが行きたいか。亮介さんがどう考えるか。時間も費用も、俺1人では決められなかった。


「まず、お2人に話を聞いてもいいですか」


 真帆さんは、ゆっくりうなずいた。


     *


 亮介さんは、平日の夕方に時間を作ってくれた。

 最初の訪問では玄関先で名乗り、説明を聞くかどうかを決めてもらった。そのあと、改めて日を決めた面会だった。

 咲ちゃんは近所の友達の家で遊んでいるという。


「娘には、まだ話していません」


 亮介さんは言った。

 俺は、それで構わないと答えた。


 台所のカウンターには、学校からの封筒と、洗った弁当箱が並んでいた。

 亮介さんは洗濯物の入ったかごを隅へ寄せ、椅子を勧めてくれた。


「真帆から、海の話を聞いたんですか」

「はい。誕生日に、汐崎へと」


 亮介さんは、少し眉を寄せた。


「誕生日に、というのは初めて聞きました。5月の連休にどこか行こうとは話してましたけど」


 真帆さんが隣で、すみませんとつぶやいた。

 俺はすべてを逐一伝えず、亮介さんの続きを待った。


「正直、今は目の前の予定でいっぱいです。学校に出す物と、仕事のシフトと。咲が何を楽しみにしてたかまで、聞けてないこともあると思います」


 亮介さんは、封筒の端をそろえた。

 その仕草は手慣れていた。何もしていない人ではなく、毎日やっていることが多い人の手だった。


 テーブルの端に、青い付箋が貼ってあった。

 持ち物の名前らしい文字が、3つ並んでいた。

 亮介さんは俺の視線に気づき、少し笑った。


「咲に書いてもらったんです。僕が何回も聞くので」


 真帆さんが身をかがめて、文字を読んだ。

 娘が書けるようになった漢字を見つけたらしく、口元が緩んだ。

 俺はそのことを、すぐに亮介さんへ伝えなかった。今は旅行の話を聞く時間だったし、夫が何をしているかを妻へ採点してもらう場でもなかった。

 付箋の隅が剥がれかけていて、亮介さんが指で押さえた。

 話の途中にも、小さな用事はなくならなかった。


「でも、神谷さんに娘を預けるというのは」

「それは、俺も考えていません。行くとしても、亮介さんと咲ちゃんが相談して決める旅行です」


 亮介さんが俺を見た。

 真帆さんも、顔を上げた。


「俺は、真帆さんから聞いた場所の説明ならできます。ただ、行くと決まっていない段階なので、手配は何もしません」


 亮介さんは、少し息を吐いた。


「まず、咲に聞きます」


     *


 真帆さんの生家は、今は親族が住んでいる家ではなかった。

 両親は別の町へ移り、海辺の家はすでに手放しているという。

 昔の家へ入るとか、誰かを突然訪ねるとか、そういう予定は必要なかった。


「ただ、あの浜を歩きたいって言ってたんです。私の子どものころの写真を見て」


 真帆さんは、娘が好きだった写真を説明した。

 砂に足を埋めた女の子と、少し離れたところで腕を組む父親。

 自分の父親は写真を撮る側が多く、一緒に写っている数少ない写真だったらしい。


「咲も、同じところまで埋まりたいって」


 亮介さんが、小さく笑った。


「それは言ってました。靴、どうすんのって聞かれたから」


 俺はその話を伝えた。

 真帆さんの顔が、少し柔らかくなった。


 亮介さんは、棚からアルバムを持ってきた。

 俺に見せてよい写真だけを選び、テーブルへ開いた。

 砂浜で笑う小さな真帆さんがいた。

 俺が見える真帆さんは、その写真を長く見つめた。


「娘に会うことも、すぐには決められません」


 亮介さんが言った。


「妻がいると言われて、期待したあとで傷つくかもしれない。僕も、どう説明したらいいかわからないので」


 俺はうなずいた。

 真帆さんは何かを言いかけたが、口を閉じた。


「海に行かなくても、咲ちゃんとの約束を破ったことにはしないでください。俺から、行くべきだとは言いません」


 自分でも、少し強い言い方だったと思った。

 真帆さんが、じっと俺を見た。

 亮介さんは考えてから、ありがとうと言った。


     *


 家を出たあと、真帆さんは少し離れて歩いていた。

 俺は公園で立ち止まり、話してよいか聞いた。


「さっきの言い方、嫌でしたか」


 真帆さんは、すぐには答えなかった。


「娘を連れていってもらうつもりで、お願いしました。行かなくてもいいって言われると思ってなかったんです」


 俺はノートを閉じた。


「行きたいのが咲ちゃんかどうか、まだ聞いてないので」


 真帆さんは、ゆっくりうなずいた。


「そうですね。私、約束したことばっかり考えてました」


 久瀬が、少し離れたところから近づいた。


「お返事を待ちましょう」


 真帆さんは家の方を振り返った。


「待ってる間、ほかの話をしてもいいですか」

「はい」


「あの子、卵焼きを巻くのがうまくなったんです。まだ、最後は私が手伝ってましたけど」


 俺はベンチの端を空けた。

 海へ行く理由ではない、娘の話が続いた。

 真帆さんが笑うたび、俺は写真の中の女の子と、今の顔を重ねて見た。

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