第16話 発表は3月
2月の風は、公園で話をする仕事に向いていなかった。
俺はベンチへ座る前に、コンビニで買った温かいお茶をポケットへ入れた。
久瀬がそれを見た。
「飲まないのですか」
「まず、手を温める係です」
「兼務ですね」
「その言い方やと、ペットボトルが気の毒やな」
隣にいたおじいさんが笑った。
茶色のセーターに、袖口の伸びた上着。両手を膝に置く姿が、源蔵さんとは少し違った。
人の話に口を挟まず、最後まで聞いてから笑う人だった。
「石田誠です。孫が、高校を受けるんです」
誠さんは、ノートを開く俺にそう言った。
「合格するところを、見たいんです」
俺は最初に日付を聞いた。
発表は3月17日。誠さんの49日の期限は、2月27日だった。
数字を書いたあと、俺は久瀬を見た。
久瀬はもう、誠さんに説明してあるという顔でうなずいた。
「そこは、変わらないんですよね」
「はい」
誠さんが少し身を乗り出した。
「たとえば、発表のときだけ戻るとか」
久瀬は首を振った。
「それも、できません」
誠さんは唇を結び、もう1度うなずいた。
理解できないのではなく、何度聞いても違う答えが欲しいのだと思った。
「せめて、どこを受けるかは知りたいんです。最近、志望校を変える話をしていて」
俺は別の行を作った。
日付を変えなくても、聞けることは残っていた。
*
誠さんは娘の理恵さんと、孫の颯太くんと暮らしていた。
颯太くんは15歳。学校から帰ると、誠さんのいれたお茶を飲み、塾へ行く日もあったという。
「勉強は、私にはもう教えられませんでした」
誠さんは笑った。
「問題を見ても、記号ばっかりで。お茶くらいしか」
俺の教科書にも、記号は多い。
お茶を用意する方がずっと役立つ日があると思ったが、まだ颯太くんに会っていないので黙っていた。
理恵さんには、玄関先で事情を説明した。
父親の話を聞きたい気持ちはあるが、受験前の息子を混乱させたくないと言われた。
「今すぐ会わせてほしいという話ではないです。颯太くんが嫌なら、伺いません」
俺はそう伝え、必要なら理恵さんから連絡できるよう、自分の名前と連絡先を残した。
父親の姿が見えるという話を、理恵さんがそのまま息子に伝えるかどうかも、任せた。
3日後、連絡が来た。
颯太くんは話を聞いてもいいが、20分だけにしてほしいという。
「20分、ですね」
誠さんへ伝えると、少しがっかりした顔になった。
それでも、会えるならと笑った。
「私は、何を話せば」
「颯太くんが何を聞きたいかも、聞いてみましょう」
俺はスマホの予定に、開始時刻と終了時刻の両方を入れた。
*
颯太くんは、居間のテーブルに問題集を置いたまま待っていた。
理恵さんも同席した。俺と久瀬、誠さんが入ってよいことは、あらかじめ確認してあった。
「ほんまに、おじいちゃんがおるんですか」
颯太くんは俺の隣を見た。
「俺には、見えています。信じるかどうかは、すぐ決めなくても大丈夫です」
颯太くんは、問題集の角を指で押さえた。
理恵さんが、お茶と水のどちらがいいか聞いた。
颯太くんは水を選んだ。俺はお茶をお願いした。
誠さんが、お茶ではないんですねと、小さくつぶやいた。
聞き慣れた習慣が、目の前で少し変わったような顔だった。
「今日は、さっきお茶飲んだし」
颯太くんは理恵さんにそう言って、問題集の下から消しゴムを出した。
誠さんは、そうですかとうなずいた。
俺に説明してほしいとは言わなかった。
祖父がいなくなったあとも、颯太くんは喉が渇き、そのとき飲みたい物を選ぶ。俺はお茶の話ばかり聞いていたので、水の入ったコップを少し意外な気持ちで見た。
「受験の結果、わかるん?」
誠さんが久瀬を見た。
俺は首を振った。
「わかりません。未来が見えるわけではないので」
「よかった」
俺は少し驚いた。
誠さんも同じ顔をしていた。
「受かるって言われたら、信じてサボりそうやし。落ちるって言われても、嫌やから」
颯太くんは、ようやく少しだけ口元を動かした。
俺はうなずいた。
「俺もレポートの評価、提出する前に言われたくないわ」
「大学生なんですか」
「経済学部の2年です」
「数学、得意?」
「今、それを聞くと残り時間を無駄にするかもしれへん」
颯太くんが笑った。
誠さんは、その顔をじっと見ていた。
*
志望校を変えるのは、颯太くん自身が考えたことだった。
以前の学校より通学時間が短く、見学で見た部活動にも興味があるという。
「おじいちゃん、前のとこがいいって言ってたから」
颯太くんは誠さんのいる方ではなく、テーブルを見た。
誠さんが慌てて声を出した。
「本人が決めたところで、いいんです」
俺が伝えると、颯太くんは少し間を置いた。
「ほんまに?」
誠さんは力強くうなずいた。
「あの学校へ行けたら立派だと思って、言いすぎました。通うのは、颯太やから」
その言葉も、俺は伝えた。
理恵さんが、お茶を置く手を止めた。
颯太くんは問題集を閉じた。
「まだ、自分でも迷ってるんですけど」
俺はうなずき、誠さんを見た。
決めたと言わせる必要はなかった。
「お母さんや先生と相談して、決めたらええ。私への説明は、いらんよ」
颯太くんは、初めて俺をまっすぐ見た。
「そう言うてる?」
「はい」
返事を聞いて、肩を少し下げた。
時計は、約束の終了時刻に近づいていた。
「今日は、ここまでにしますか」
俺が聞くと、颯太くんはうなずいた。
誠さんの顔に、引き留めたい気持ちが浮かんだ。
けれど、声は出なかった。
*
帰りに、理恵さんが玄関まで送ってくれた。
「父がいたころ、帰ったらお茶があるのが当たり前で。私も仕事から戻ると、今日は颯太が何時に帰ったとか、聞いてたんです」
理恵さんは靴箱の上の湯飲みを見た。
仏壇に持っていく途中だったらしい。
「いなくなってから、学校のプリントを一緒に見る時間が増えました。それは、よかったんですけど」
そこで言葉を切った。
俺はうなずいた。
誠さんは、娘の顔を見ていた。
外へ出てから、誠さんが聞いた。
「もう1度、会えるでしょうか」
「颯太くんが希望すれば。あとで理恵さんに確認してもらいましょう」
誠さんは、窓の方を振り返った。
カーテンが閉まっていて、部屋の中は見えなかった。
「合格した顔、見たいなあ」
俺はペンをしまった。
久瀬は答えを変えなかった。
ただ、誠さんの隣で、窓から目を離すまで待っていた。




