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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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15/24

第15話 暖簾をしまう日

 最後の昼営業は、いつもより早く暖簾が下がった。

 用意したご飯がなくなったからだった。

 感動的な挨拶より先に、和代さんが炊飯器をのぞいて言った。


「終わり。もう空っぽ」


 手伝いに来ていた姪の人が、入り口に『本日の昼営業は終了しました』の札を出した。

 俺は最後の客として、カウンターで食べ終わったところだった。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さま。食器、そのままでええよ」


 いつものバイトの癖で、皿を重ねかけた手を止めた。

 正一さんが隣にいた。


「味噌汁、ちょっと薄かったな」


 俺は振り返った。


「口だけ出すの、なしでは」

「感想や」


 和代さんに聞かれて伝えると、少し薄くしたのだと言われた。


「私が食べる分もあるからね」


 正一さんは、黙って鍋を見た。

 怒っている顔ではなかった。


     *


 姪の人が買い物に出て、店内は静かになった。

 夜の最後の営業まで、和代さんには少し休む時間があった。

 俺と久瀬の用事は、その間に済ませることになっていた。


 和代さんはカウンターの内側ではなく、客席に座った。

 正一さんがその隣へ行く。

 俺は2人の顔を見られる位置へ、椅子を動かした。


「ここに座るの、何年ぶりやろ」


 和代さんはカウンターを手でなぞった。

 正一さんが、傷のあるところを指した。


「あれ、俺が鍋落とした」

「あなたが落としたのは、もっと右」


 俺が伝える前に、和代さんは別の傷を見つけていた。

 俺は正一さんの言葉を伝え、和代さんの訂正も繰り返した。


「そうやったか」


 正一さんは、初めて見る店みたいに辺りを見た。

 壁の時計。使い込んだ献立立て。空になった箸入れ。

 和代さんは、それぞれを残すとも捨てるとも言わなかった。


 窓の外を、買い物袋を下げた人が通った。

 閉まった入り口に気づいて足を止め、和代さんへ手を振った。和代さんも客席から手を振り返した。


「あとで来るって言ってた人?」


 正一さんが聞いた。

 俺が伝えると、和代さんはうなずいた。


「夜、家族で。座敷、取ってある」


 正一さんは座敷を見た。

 昼の客が使った座布団は、もうきれいに並べ直されていた。

 自分がいなくなったあとの今夜にも、この店には客が来る。その用意を妻が済ませていることに、正一さんは小さくうなずいた。


「寂しくなるな」


 正一さんが言った。

 伝えると、和代さんはうなずいた。


「なるね」


 前なら、だから続けろとつながった言葉だった。

 正一さんは今日は、続きを変えた。


「でも、朝は寝とき」


 和代さんは目を閉じた。

 少し経ってから、開けた。


「そうします」


     *


 正一さんは、しばらく何かを探すように手を動かした。

 布巾でも包丁でもなく、言葉を探しているのだと俺は思った。


「店、閉めてええよ、って言おうかと思ったんや」


 俺はうなずいて、続きを待った。


「でも、俺が許可する話でもないんやな」


 和代さんへ伝えると、小さく笑った。


「もう決めてるからね」


 正一さんも笑った。

 しばらくして、調理着の前を整えた。


「40年、よう働いたな」


 俺は、そのまま伝えた。

 和代さんの指が止まった。


「あなたもね」


 正一さんは、何度かうなずいた。

 夫婦の40年のうち、俺が知っているのは、この数週間に聞いた断片だけだった。

 大変だったことも、楽しかったことも、もっとあったのだろう。

 全部わからないままでも、今の2つの言葉をつなぐことはできた。


「映画、寝んと見るわ」


 正一さんが言い、すぐに自分で首を振った。


「違うな。俺は、行けへんのやな」


 俺は言い直すまで待った。


「楽しんでおいで」


 和代さんに伝えると、返事が出るまで少し時間がかかった。


「うん。帰ってきたら、仏壇には話すけど。返事はせんでええからね」


 正一さんが久瀬を見た。

 久瀬は黙って頭を下げた。

 戻ってきて聞けるとは、誰も言わなかった。


     *


 和代さんは椅子から立ち、入り口を開けた。

 まだ明るい道へ、冬の空気が入ってきた。


「いってらっしゃい」


 正一さんは戸口で振り返った。


「包丁、奥の1本だけ残してくれ。使いやすいやつ」


 伝えると、和代さんは即座に返した。


「それは、もう分けてある」


 正一さんは安心したように笑った。

 久瀬と並び、商店街の脇道へ歩いていった。

 見えなくなるまで、和代さんはドアを押さえていた。

 俺がうなずくと、ゆっくり閉めた。


「神谷くん、お茶飲んでいく?」


 和代さんは言った。

 声が少し掠れていた。


「時間、大丈夫です。いただきます」


 俺は客席へ戻った。

 和代さんがお茶を用意する間、俺は何も話さなかった。

 時計だけが、いつもと同じ音で動いていた。


     *


 その週、俺は澄江さんの家で、3か月分の記録を広げた。

 最初に決めた試行期間が終わるためだった。

 久瀬は隣に座り、俺が時間を読み上げるたび、記録と照らしてうなずいた。


「授業、無理してへん?」


 澄江さんに聞かれ、俺は首を振った。


「試験の前は、減らしてもらいました。バイトも、今までどおりです」

「断りにくくはない?」


 俺は少し考えた。


「あります。でも、断ったあとの相談はできます」


 久瀬が俺を見た。

 その顔を見て、俺は言い足した。


「今後も、そこは言います」


 澄江さんは、活動費の欄に指を置いた。

 3か月とも、報酬と交通費などを合わせた額は月3万円以内に収まっていた。

 その範囲で、次の3か月も続けられると話してくれた。


「お礼の額も、話し直そうか」


 俺は、書類の上の666を見た。

 最初に聞いたときと違って、どんな時間に対する数字かは知っていた。


「今の回数なら、次の3か月も同じでお願いします。増やせそうにないので、頼まれる量を増やすのはなしで」

「うん。金額も回数も、途中で相談してええからね」


 俺はうなずいた。

 いい話ができたから、時間がかからなくなるわけではない。そのことは、3人で確かめた。


     *


 帰りに、閉店したおおばの前を通った。

 暖簾は下がっていなかった。

 ガラスの内側には、長い間ありがとうございました、と新しい紙が貼ってあった。

 奥で、和代さんが箱を運んでいた。俺に気づき、手を上げた。


 ドアが開いた。


「映画、行けました?」

「来週。時間、決まったよ」


 和代さんはスマホの予定を見せてくれた。

 朝の回だった。


「目覚まし、かけるんですね」

「そうやねん。結局」


 和代さんが笑い、俺も笑った。

 少し歩いてから久瀬に会い、その話をした。


「ご自分で決めた時刻ですね」


 久瀬はそう言った。

 俺は、来週のシフトを開いた。

 死者の用事も、俺の予定も、誰かが閉めた店のその先も、別々に続いていた。

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