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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第14話 妻の予定

 正一さんが店の戸口から離れると、久瀬も歩き出した。

 俺は暖簾のなくなった入り口を振り返った。

 閉店のお知らせは、ガラスの内側に貼られていた。雨で濡れないようにという、小さな準備だった。


「あの人、店が好きやったんや」


 正一さんは言った。


「朝、客が来る前に花を飾ってな。箸入れも自分で選んで。好きやなかったら、あんなことせえへん」


 俺は、カウンターの一輪挿しを思い出した。

 白い小さな花が入っていた。


「好きだったんだと思います」

「やろ」

「今も、好きかもしれません。でも、閉めるって言ってました」


 正一さんは足を止めた。


「兄ちゃん、どっちの味方なんや」


 答えを探していると、久瀬が隣に立った。


「ご希望をそのまま実現するとは、お約束していません」


 淡々とした声だった。

 けれど、そのまま話を終わらせなかった。


「正一さんは、閉店したあと、和代さんにどう過ごしてほしいのでしょう」


 正一さんは、商店街の通りを見た。


「元気に。人としゃべって。家で1人にならんように」


 俺はノートを開いた。

 店を続ける、の下に、その3つを書いた。


「それも、聞いてみませんか。閉めたあと、何をしたいのか」


 正一さんは返事をしなかった。

 けれど、もう味方かどうかは聞かなかった。


     *


 次に会うまでの間、俺は定食屋で夜のシフトに入った。

 最後の客が帰ったあとも、仕事は残っていた。

 揚げ物の網を洗い、床を拭き、ゴミをまとめる。

 店長は奥で、翌日の仕込みをしていた。


「毎日これ、しんどくないですか」


 俺が聞くと、店長は包丁を置いた。


「しんどい日もあるで」


 それから、俺の手元を見た。


「神谷くん、今日はしんどい?」

「あ、俺のシフトの相談じゃなくて」

「相談でもええけどな。先に言ってもらえたら、こっちも考えられるし」


 俺は、はいと返した。

 仕事が好きか嫌いかだけでは、明日も同じだけ働けるかは決まらない。

 そんな当たり前のことを、俺は誰かの40年について話すとき、忘れていた。


 店を出ると、手袋の中まで洗剤の匂いがした。

 明日は午前から講義がある。

 予定を見直し、次の面会を夕方まで延ばせないか、和代さんに連絡した。

 返信は『その方が助かります』だった。


     *


 和代さんは、閉店後の予定を小さな手帳に書いていた。

 店の予約用とは、別の手帳だった。


「これ、今年から?」


 正一さんが聞いた。

 俺が伝えると、和代さんは首を振った。


「毎年、買ってるよ」


 病院。銀行。友人の名前。

 細かな予定の間に、鉛筆で丸がついていた。


「2月の水曜。映画見に行くんです。朝の回」


 和代さんは、まだ上映時間が決まっていないので丸だけにしている、と話した。

 若いころからの友人と行く予定らしい。


「あの人、映画の途中で寝るの。せやから最近は誘ってへんかった」


 正一さんが、あれは映画が長すぎたと言った。

 伝えると、和代さんは声を出して笑った。


「全部長いって言うやん」


 俺も笑った。

 正一さんは、少しだけ不満そうだった。


「それと、姉のところへ泊まりに行こうと思って。日帰りばっかりやったから」

「寂しくは、ならへんかって言ってます」


 和代さんは手帳から顔を上げた。


「なるよ」


 返事は早かった。


「家に帰っても返事がないのは、もう寂しい。店がある間も、寂しいよ」


 正一さんが俯いた。


「お客さんと話してる間、忘れることはある。でも、そのために毎朝5時に起き続けるんは、今の私には違うの」


 俺はペンを置いた。

 和代さんは、閉めたあとの寂しさを知らないから決めたわけではなかった。


「朝、何もせんでええってなったら、逆に困るかもしれんね」


 和代さんは、自分で笑った。

 俺が思わず、何か新しい趣味をと口にしかけると、先に言葉が続いた。


「困ったら、そのとき考えるわ。今から次の仕事を作らんでもええかなって」


 俺は口を閉じた。

 空いた時間を何かで埋めれば安心だと、勝手に思っていた。

 正一さんも、似たことを考えたのかもしれなかった。腕を組んだまま、何も言わなかった。

 和代さんは手帳を閉じ、お茶をひと口飲んだ。

 昼と夜の支度の間に、次にすることが書かれていない時間があってもよいのだと、俺はその姿を見ながら考えた。


     *


 その日は、店で使う食器を数えていた。

 引き取ってくれる近所の店へ、数を知らせるためだった。

 俺は和代さんに頼まれた分だけ皿を並べ、数を読み上げた。


「大きいのが12枚。こっちは8枚」


 正一さんが皿の1つへ顔を寄せた。


「それ、端が欠けとる」


 俺は手を止めた。

 確認すると、ごく小さな欠けがあった。和代さんへ知らせ、別に分けた。


「危ないから、ずっと奥へ避けてたんや」

「言うてくれたらよかったのに」


 和代さんはそう言ったが、皿を捨てる前に布で包んだ。

 正一さんが、その手元を見ていた。


「この柄、俺が選んだ」

「知ってるよ。高かった」


 俺が間に入ると、会話は少し遅くなる。

 それでも2人の返事は、ときどき俺が追いつかないほど自然につながった。


 皿の数を数え終わったころ、正一さんが言った。


「俺は、店がなくなったら、何も残らん気がしてた」


 伝えてよいか聞くと、正一さんはうなずいた。

 和代さんは手を止め、長く黙った。


「何もって、私は?」


 怒った声ではなかった。

 その分、正一さんの肩が深く落ちた。


「……そういう意味やない」


 俺が伝えると、和代さんはうなずいた。


「うん。でも、私はまだおるから」


 皿を重ねる音が、小さく響いた。


     *


 帰り際、正一さんは閉店の紙の前に立った。

 俺は横で、コートの襟を立てた。


「最後の日まで、おってええかな」


 久瀬は本を開いた。

 49日になるのは、閉店の翌日だと確認してくれた。


「はい。日付の範囲では可能です。店内にいらっしゃることは、和代さんにも確認しましょう」


 和代さんは店の中から、俺たちの話を聞いた。

 正一さんの言葉を伝えると、口元を少し上げた。


「手ぇ動かさんのに、口だけ出すのはなしやで」


 正一さんが、俺を見た。


「注文が厳しい」

「今までの分かもしれませんね」


 余計なことを言った気もしたが、正一さんは笑った。


 俺は閉店の日、昼の客として来る約束をした。

 その日の夜は、自分のバイトがある。最後の片づけまでは残れないと伝えた。

 和代さんは、それでいいと言った。


「あの人の見送りは、昼過ぎにして。私も、ちゃんと時間取るから」


 正一さんは少し驚いて、それからゆっくりうなずいた。

 店の終わりより先に、自分で出ていく時間を決めた。

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