第12話 残す箱
机の上に、箱を3つ並べた。
残す物。処分する物。引き取り先を探す物。
前回作らなかった『残す』の札を、美咲さんが太いペンで書いた。
「字、大きいですね」
「兄、ラベル小さすぎるんです。箱を開けな読めへん」
直人さんは、その箱の横から説明した。
「外から目立たないようにしてたので」
「片づけるときに困る工夫ですね」
俺が言うと、直人さんは否定しなかった。
お母さんは、空になった小箱を捨てずに重ねていた。
俺が用途を尋ねると、台所の引き出しを整理するのに使うという。
「あの子が作ったんやなくて、買ってきた箱やけどね」
直人さんが笑った。
作品でなくても、使い道はあった。俺は中に木くずが残っていないか確認し、乾いた布で拭いてから渡した。
台所へ運ばれていく箱を、直人さんは最後まで目で追っていた。
昔の家の模型は、透明なふたのあるケースに入れて残すことになった。
まだ屋根のついていない部分を直すかどうかで、少し話が止まった。
「俺、手先は器用じゃないですよ」
先に言っておいた。
「紙をまっすぐ切るくらいなら」
「いちばん難しいところです」
直人さんが即座に答えた。
結局、無理に完成させず、今の形で残すことになった。
ケースは美咲さんが買ってきた物で、俺たちの経費ではなかった。
「飾るの、居間は嫌です」
直人さんが言った。
美咲さんに伝えると、自分の部屋ならどうかと聞かれた。
直人さんはうなずいた。
展示場所が決まるまで、模型は何度も床と棚の間を往復した。
運んでいるのは俺と美咲さんで、指示だけ出す直人さんは途中から少し申し訳なさそうになった。
「あと3センチ、右へ」
「そこまで変わります?」
「窓の光が」
美咲さんが笑いながら、ケースをずらした。
「どうせ見えへんねんから、私にはどっちでもいいって言うといてください」
俺が振り向くと、直人さんも笑っていた。
*
全部が穏やかに決まったわけではなかった。
直人さんが処分してほしいと言った小さな喫茶店を、美咲さんは残したがった。
それは自分でもよくできたと思っている作品だと、直人さんは言った。
それでも、箱から出して何度も眺められるのは落ち着かないらしい。
「死んでからも、採点されてる感じがするんです」
俺は言い方を少し確かめてから、そのまま伝えた。
美咲さんは困った顔をした。
「上手やなあって見るのも、嫌なんですか」
直人さんは考え込んだ。
お母さんが窓際の椅子へ座った。
「私ら、全部を残せるわけやないよ。でも、全部をなくしたいわけでもないんよ」
直人さんは、お母さんを見た。
「捨ててええって言ってくれるんは、助かる。でも、残してええ物も、ちょっと決めさせてほしい」
俺は『処分』の箱から手を離した。
家族が部屋を片づける時間と、本人が物を手放す時間は、同じ速さでは進まなかった。
喫茶店は、いったん箱のまま残すことになった。
飾るかどうかは、家族があとで考える。写真を公開しないという希望は守る。
直人さんは迷った末に、その案を受け入れた。
「本当は、全部なくなったら楽かなと思ってたんです」
俺は箱のふたを閉じた。
「残す方も、何を残すか考えてました」
直人さんは、箱に貼られた大きな文字を見ていた。
*
未使用の木材や道具は、すぐに捨てなかった。
美咲さんが、模型を扱う中古店に問い合わせた。引き取れる物と、難しい物があるという返事だった。
査定や売却は家族に任せ、俺は種類ごとにまとめるところまで手伝った。
「これ、同じ幅でいいですか」
「0.5ミリ違います」
「今までの仕事で、いちばん細かいです」
久瀬が横から木材を見た。
「違いは確認できます」
「でも持てへんのよな」
「はい」
「惜しい職場やなあ」
美咲さんには俺の独り言が聞こえたらしく、どうしました、と振り返られた。
説明すると、手が足りないのはどこも同じですねと言われた。
死神の職場と普通の会社が、そこでつながった。
作業の最後に、机を拭いた。
マットを持ち上げると、細かな木くずが残っていた。引き出しの奥から、使いかけの紙やすりが出てきた。
作品がなくなっても、この人がここで手を動かしていた跡は、思っていたより多かった。
「その引き出し、閉まりにくいです」
直人さんが言った。
俺は押し込みかけた手を止めた。
「少し持ち上げてから」
言われたとおりにすると、すんなり閉まった。
たったそれだけのことを、直人さんは満足そうに見ていた。
*
帰る前に、美咲さんが小さなラベルを持ってきた。
昔の家のケースへ貼るという。
『直人の覚えていた家』
短い文字だった。
直人さんはしばらく見て、1つだけ頼んだ。
「後ろへ、貼ってもらえますか」
伝えると、美咲さんは呆れたように笑った。
「また目立たんとこ」
それでも、ケースの裏側へ丁寧に貼った。
「これでいい?」
直人さんはうなずいた。
俺が伝えると、美咲さんはもう1度だけケースを見た。
「お兄ちゃん、ここまででええよ」
その声を聞いた途端、直人さんの顔から力が抜けた。
久瀬が近くへ来たが、先に何かを尋ねることはしなかった。
直人さんの方から、口を開いた。
「お願いします」
まだ49日までは余裕があった。
けれど、机の上には、もう今日片づける物がなかった。
直人さんはお母さんと美咲さんの前に立った。
「勝手なことばかり、すみませんでした」
俺が伝えると、美咲さんが首をかしげた。
「敬語なん?」
直人さんが困ったように俺を見た。
俺は知らないふりをした。
「……片づけてくれて、ありがとう」
今度は、普通の声だった。
美咲さんは模型の入った箱へ手を置き、お母さんは何度かうなずいた。
俺と久瀬は、直人さんと家の外へ出た。
門の向こうに、冬の夕方の道が伸びていた。
直人さんは最後に2階の窓を見た。
「あの屋根、つけなくてよかったです」
久瀬が隣に立った。
「中が、見えますからね」
直人さんは小さく笑い、2人で歩き出した。
*
その晩、俺は自分の机の引き出しを開けた。
期限の切れたクーポン、書けないペン、いつ買ったかわからない電池。
捨てられる物だけでも、ずいぶんあった。
パソコンのカタログは残した。
別にしている報酬の残高を見て、購入までに必要な額を計算した。
まだ足りない。でも、ちゃんと増えていた。
片づけた机の上で、パソコンを起動した。
低い音を立てながら、いつもの画面が出た。
「もうちょっと、頼むわ」
返事はなかった。
今日は、それで普通だった。




