第11話 捨てるには早い
「このカーテン、覚えてる?」
美咲さんが指を差した。
模型の窓に、黄色い布がかかっていた。端の方だけ、色が少し薄い。
お母さんは顔を近づけ、眼鏡を上げた。
美咲さんは、模型の床へ手を伸ばしかけた。
俺が声をかけるより先に、自分で止めた。
「これ、触っても平気ですか」
直人さんが、壁には触らず土台を持つように言った。俺が伝えると、美咲さんは両手で底を支え直した。
土台の裏に、鉛筆で書いた数字がいくつもあった。
「そこ、見なくていいです」
本人に言われ、俺は慌てて目を戻した。
美咲さんにも伝えると、数字の意味を尋ねずに模型を置いた。
残したいと言うことと、すべて見たいと言うことは違うらしかった。
直人さんの手が、少しだけ下がった。
作った物を好きだと言われても、すぐ安心できるわけではない。その距離を、俺は机のこちら側で測り直した。
「日焼けしてた方まで、よう作ったね」
直人さんが俺を見た。
言ってくれ、という顔だった。
「ご本人は、処分してほしいそうです」
俺が伝えると、美咲さんの手が止まった。
「何でですか」
直人さんは模型から目をそらした。
「寸法が違う。窓の位置も」
そのまま伝えた。
美咲さんは窓を見たあと、俺を見た。
「違ってても、いいです。家、もうないので」
引っ越す前に住んでいた借家だったという。
建物は数年前に取り壊された。写真に写っているのは、誕生日や正月の人の顔が中心で、部屋だけを撮った物は少ない。
「このテーブル、よく角にぶつけたな」
美咲さんが言うと、お母さんも笑った。
直人さんは笑わなかった。
「失敗した物を飾られるのは嫌です」
俺は、その言葉も伝えた。
お母さんは模型から手を離した。
「あの子、本当にそう言うの」
「はい」
信じさせるための証拠を探すのはやめた。
ここで俺が伝えられるのは、言っている言葉だけだった。
「じゃあ、今日は決めないでおこうか」
お母さんが言った。
美咲さんは模型を棚へ戻した。
*
ほかの物を片づけていても、俺は棚の下から2段目を何度も見た。
直人さんも、美咲さんも同じだった。
作業が半分ほど進んだところで、お母さんがお茶を用意してくれた。
「兄、昔からそうなんです。うまくできるまで見せへんのに、できたら見せたい」
美咲さんは廊下の窓を少し開けた。
紙のほこりが、光の中に浮いた。
「妹の前で格好つけるくらい、いいでしょう」
直人さんが横から言った。
伝えていいか聞くと、少し迷ったあと、いいと言った。
「何を今さら。小学生のとき、折り紙で鶴折れへんくて、私のやつ持っていったくせに」
直人さんは口を開き、閉じた。
「それは、言わなくていいです」
「もう向こうが言いました」
美咲さんが俺の返事を聞いて、肩を揺らした。
俺も少し笑った。
けれど、棚の話に戻ると、2人とも黙ってしまった。
「神谷さんは、捨てた方がいいと思います?」
美咲さんが聞いた。
「俺が決めることではないです」
口にしてから、それだけでは手伝いに来た意味がない気がした。
「でも、今すぐ決めないで済むなら、何が嫌なのか、もう少し聞けます」
美咲さんは湯飲みを置いた。
「私は、残したいです。それは伝えてください」
直人さんは、伝える前から聞いていた。
俺は改めて、同じ言葉を渡した。
*
次の作業日までの間に、直人さんと公園で会った。
俺は前回の記録を開いた。処分した物の種類と、持ち出していないこと。残して確認する物。
美咲さんたちが了承した範囲でしか、作業は進んでいなかった。
「捨ててほしい物ほど、残りましたね」
直人さんが言った。
「あの家、どうして作ろうと思ったんですか」
直人さんは、最初は答えなかった。
久瀬は本を閉じたまま、隣に立っていた。
「模型の練習です。想像で作るより、知ってる物の方がいいので」
「作ってみたら、違った?」
直人さんはうなずいた。
「台所の広さが、どうしても合わなくて。記憶ではもっと狭いんです。でも、あの家具を入れると窮屈すぎる」
子どものころの家は、図面に残っていなかった。
記憶の中では窓の横にあった棚が、写真では反対側に写っている。何度も配置を変えるうちに、どれが正しいのかわからなくなったという。
「あれを見て、ああ、こうだったって思われたら困ります。間違ってるのに」
俺はノートの端に、小さな四角を描いた。
「直人さんが覚えてた家やって、わかるようにはできませんか」
「そう書くんですか」
「書くかどうかも含めて、相談できます」
直人さんは黙った。
久瀬が、ゆっくり口を開いた。
「残す場合、何をしないでほしいかも、伺ってよろしいですか」
その聞き方だと、直人さんは少し話しやすそうだった。
「人に見せて回らないでほしいです。ネットにも載せない。俺が家族のために作ったとか、勝手に話をつけないでほしい」
俺は書き留めた。
美咲さんが言ったのは、昔の家を残したいということだけだった。
兄の愛情がこもっているとも、贈り物だとも、言っていなかった。
「そういう話をされたこと、ありました?」
直人さんは少し考えた。
「……まだ、ないです」
俺はうなずいた。
相手が言っていないところまで先回りして、嫌になってしまうことなら、俺にもあった。
*
次の土曜、俺は直人さんの希望を美咲さんとお母さんに伝えた。
模型を前にして座ったが、すぐに誰かが結論を出すことはなかった。
「ネットには載せません。親戚に見せるときも、勝手には話をつけないです」
美咲さんが言った。
「でも、間違ってるから捨てるっていうのは、嫌です。私の覚えてる家も、たぶん間違ってるから」
模型の低いテーブルを、指で示した。
「これ、私は緑やと思ってた。でも写真見たら茶色で。緑のは上に敷いてた布やった」
直人さんが模型を見た。
茶色いテーブルの上には、何もなかった。
「緑の布」
直人さんが、小さく繰り返した。
「そうやったな」
俺はその言葉を伝えた。
美咲さんは、しばらくテーブルを見つめた。
「兄の覚えてる家と、私の覚えてる家、違っててもええと思います。どっちかに決めなくても」
廊下で、お母さんのスリッパが小さく鳴った。
お茶を入れに行こうとして、やめたらしかった。
「直人が作ったことは、間違ってへんもんね」
直人さんは棚を見上げた。
俺はノートもペンも動かさずに待った。
「……全部は、置かないでほしいです」
美咲さんが顔を上げた。
俺は、続きを待ってから伝えようと思った。




