第10話 見られたくない棚
パソコンの画面が止まった。
俺は動かない矢印を見つめ、次に、保存した時刻を思い出そうとした。
思い出せなかった。
「神谷さん」
窓の外から声がした。
約束の15時だった。俺は玄関を開け、久瀬を部屋へ入れた。
「ご準備は」
「今、文章の生存確認してます」
「私は機械については」
「そっちの専門外なんは知ってます」
しばらくして画面が戻った。
文章は残っていた。急いで保存し、念のため別の場所にもコピーした。
死神と会うたび、何かが助かっている気がする。今回はたぶん関係ない。
机の脇には、家電店から持ち帰ったカタログがあった。
欲しい機種の横に、俺が丸をつけていた。
「買い替えるのですか」
「そのために、助手の分は使わずためてるんです。生活費とは別に」
「いつごろ、足りそうですか」
「今のペースなら春くらい。先にこっちが力尽きへんことを祈ってます」
久瀬はパソコンを見た。
手を合わせたりはしなかった。できることとできないことの区別は、いつも明確だった。
*
12月の公園は、座るだけで足元から冷えた。
待っていた男性は、俺を見るなり立ち上がった。
「確認ですが、秘密は守れますか」
名乗る前に聞かれた。
「内容によります」
「非常に個人的な、趣味に関わる問題です」
久瀬が本を開いた。
「安西直人さんです。お部屋の片づけについて、ご相談が」
「そうです。まず本棚の下から2段目を」
「ちょっと待ってください。神谷です」
直人さんは咳払いをした。
31歳だという。灰色のスウェットに、几帳面そうにそろった前髪。俺のノートを見て、書く前に話を全部聞いてほしいと言った。
「小さい人形の家です」
「人形の家」
「模型です。縮尺のある。家具から作っていて」
説明に熱が入ったところで、直人さんは急に声を落とした。
「誰にも言ってないんです。特に、妹には」
仕事で使っていた資料と、趣味の道具が、実家の自室に混ざっているらしい。
亡くなってから3週間。妹の美咲さんが、年末の休みに少しずつ片づける予定だという。
「その前に、模型だけ処分してほしいんです」
「ご家族に黙っては、できません」
直人さんの口が止まった。
「箱に入れて、外へ出すだけでも」
「家の人に説明して、了承をもらいます。勝手には持ち出せません」
直人さんは頭を抱えた。
「全部、見られるということですか」
「内容まで詳しく話すかは、相談できます。まず、趣味の物の整理を手伝うという話で」
久瀬が少し身をかがめた。
「知られたくないことは、具体的にどこまででしょう」
直人さんは指を折るような仕草をした。
作品を作っていたこと。途中で投げ出した物が多いこと。模型に使った金額。
最後の1つで、俺は机のカタログを思い出した。
「金額は、わざわざ報告しなくていいと思います」
「それはぜひ」
返事は、今日いちばん力強かった。
*
美咲さんとは、直人さんの知っていた実家の住所を訪ねて話した。
玄関先で説明すると、最初は不審そうに眉を寄せた。
俺は生前の友達を装わず、できることと、断っても構わないことを伝えた。
「兄が、模型を片づけろって?」
「はい。詳しい内容まで、お話ししてよいかは」
「あの人、まだ隠してるつもりなんですか」
隣で直人さんが固まった。
「知ってるんですか」
「廊下まで木の匂いしてたし、宅配の箱に店の名前書いてあったんで。部屋に入ったら普通に並んでますし」
直人さんは俺を見た。
俺を見られても困る。
「中まで見ましたか」
確認していいか直人さんに聞いてから、俺は美咲さんに尋ねた。
「棚は。箱の中はまだです。触ったら壊れそうで」
美咲さんは、母親が台所にいると言った。
2人で相談したあと、土曜の午前中なら作業を手伝ってもらいたいと返事をくれた。
「ただ、兄が本当にそう言ってるかは、私には確かめられません。捨てる物は、私たちが決めます」
「はい。何も勝手には捨てません」
その約束を、直人さんにも聞いてもらった。
直人さんは不満そうだったが、最後にはうなずいた。
*
土曜、案内された部屋は、予想より整っていた。
机の上には作業用のマット。細いピンセット。刃にカバーをしたカッター。
本棚の下から2段目に、小さな家が並んでいた。
美咲さんが、部屋の写真を撮っておきますかと聞いた。
配置を元に戻すためには便利だったが、直人さんが首を振った。
「棚全体なら、かまいません。でも、作品を大きく写すのは」
その希望を伝えると、美咲さんはスマホを下ろした。
「じゃあ、今日は撮らずにやりましょう。困ったら、また聞きます」
俺は、仕分け前の物を並べる場所を先に空けた。
何でも記録しておけば安心だと思っていたが、記録そのものを残したくない人もいる。
ノートにも、作品の細かな形は書かないことにした。何をどう扱ったかがわかれば、活動の報告はできる。
直人さんは、それを確かめてから、棚の方を向いた。
俺はまだ何も持ち上げていなかったが、ようやく作業を始めてよい気がした。
「これ、全部自分で?」
思わず聞くと、直人さんは肩を少し上げた。
「既製品を使っている部分もあります」
小さな喫茶店のカウンターに、米粒みたいな砂糖入れがあった。
隣には、作りかけの部屋。壁のない片側から、低いテーブルと椅子が見える。
直人さんは俺の視線を追い、慌てて前へ回った。
「そっちは失敗作です」
遮ろうとした体を通して、俺にはテーブルが見えた。
本人にもわかったのか、直人さんは黙って横へずれた。
「まず、箱の中からお願いします」
美咲さんが軍手を差し出した。
俺は受け取り、小さすぎる家具には素手で触れた方がよさそうだと相談した。
移動させる物。処分を検討する物。家族が確認する物。
紙に書いた札を床に置き、仕分けを始めた。
「この椅子、脚が1本ないですね」
「作りかけです」
「こっちは?」
「作り直す予定でした」
「これは完成?」
「椅子ではなく、棚です」
美咲さんが笑った。
「今の、兄の説明ですか」
「はい。俺の理解が追いつかなくて」
小箱がいくつも埋まっていった。
その途中で、美咲さんが棚の前に座った。
直人さんが失敗作と言った部屋を、両手で持ち上げた。
「これ、昔の家や」
直人さんの指が止まった。
「お母さん。こっち来て」
廊下から足音が近づいた。
直人さんが、俺の方へ身を寄せた。
「それだけは、捨ててください」
机の上には、まだ『残す』という札を作っていなかった。




