## 世代を超えた友情 ### 第七章 異国語の囁き
浴室のドアが開く音がした。
ちょうどヨシオが湯船から上がるタイミングだった。
タオルを腰に巻いただけの姿で脱衣所に出たところで凍りついた。
そこに立っていたのは柚希ではなく、少年だった。
「久しぶりだね、叔父さん」
柔らかな声。
背丈はヨシオの胸くらいだ。
その佇まいには大人びた落ち着きがあった。
整った顔立ちと利発そうな瞳。
紛れもなく柚希の弟、凛太郎だった。
「凛太郎……?」
ヨシオの声は掠れていた。
「いつの間に帰ってきた?」
「今さっき」
少年は微笑んだ。
「フランスから二週間ぶりに戻ったんだ」
「フランス?」
「母さんと一緒に向こうの研究所で学会があったんだ」
凛太郎は手に持った鞄をソファに置いた。
「柚姉ちゃんからメッセージ来てたよ。『今日のお客さん』のこと」
ヨシオは慌ててバスタオルを腰に巻き直した。
「柚希から聞いていたのか?俺がここにいること」
「うん」
凛太郎は肩をすくめた。
「でも驚かないよ。昔から柚姉ちゃんは叔父さんのこと好きだから」
その言葉にヨシオは目を丸くした。
「え?」
「『ヨシオおじさんは嘘つきだけど優しい』って言ってた」
凛太郎はキッチンカウンターに寄りかかりながら続けた。
「僕が七歳の時、夏休みに遊んでくれたのも忘れてないよ」
ヨシオの記憶が蘇る。
小学生だった凛太郎は確かに人懐っこく
よくヨシオの部屋に入り浸っていた。
工作やゲームをするうちに仲良くなったよな……
「そういえば」
凛太郎はふと思い出したように言った。
「昔貸した本、まだ読んでる?」
「ああ、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』だろう? 随分前に読んだよ」
「フランス語版も読んだのか?」
少年の目が輝いた。
「ああ。君が貸してくれたやつ」
ヨシオは苦笑した。
「漢字だらけの難しい言葉は苦手なのに、外国語の方が分かりやすかったんだ」
「そういう単純な理由で語学が得意になる人もいるんだよ」
凛太郎の顔に年相応の笑みが浮かんだ。
「私と同じ......」
リビングの奥から柚希が顔を出した。
「凛太郎?フランスから帰ってきたの?」
「うん」
弟は振り返り
「それにしても……」
とヨシオを見上げた。
「叔父さん、服はどうしたの?」
柚希が咳払いをする。
「私がバスローブを渡すわ」
ヨシオは慌ててタオルを押さえた。
「すぐ着替えるよ」
三人は奇妙な三角形を作るように座った。
柚希と凛太郎は同じソファに座り
ヨシオは一人掛けの椅子に腰掛ける。
「でも本当は嬉しくない?」
凛太郎が姉に尋ねた。
「叔父さんに会えて」
柚希の頬が赤くなる。
「別に……この人は自分のプライドだけ守ろうとしてるだけよ」
「僕は分かるよ」
凛太郎は真剣な眼差しで言った。
「叔父さんが昔、僕たちに嘘をつく時『これはお前たちのためなんだ』って言い訳してたの」
ヨシオは息を飲んだ。
「でも本当は怖かっただけでしょ?本当の自分を見せるのが」
一瞬の沈黙。
「凛太郎」
柚希の声が尖った。
「余計なことは言わないの」
「でも事実だよ」
少年は毅然と答えた。
「僕はもう中学二年生だ。それにトリリンガルの秀才だし?」
自慢げな言い方に柚希はため息をついた。
「いつもそうやって自分を持ち上げるんだから」
「持てる武器は使うべきだと思うよ」
凛太郎は立ち上がり
「叔父さん」
と向き直った。
「もし良かったら明日の朝ごはん一緒に食べませんか?フランス料理作りますよ」
ヨシオは呆気にとられた。
「朝から?」
「クロックムッシュとブリオッシュです」
凛太郎はウインクした。
「僕の特技の一つだから」
柚希が横で睨んでいるのに気づきながらもヨシオは自然と頷いていた。
「ありがたいな」
「約束ですよ」
凛太郎は拳を掲げた。
「昔みたいに逃げないでくださいね」
ヨシオは懐かしさと共に微笑んだ。
「もちろんさ」
リビングの時計が二十二時を告げる鐘を打った。
それぞれの心に複雑な感情を残しながらも
奇妙な絆で結ばれた三人の時間はこうして幕を閉じていった。




