初夜の朝③
大広間の扉前に立つメイド長が一瞥をくれる。
その視線は無言の非難と好奇の混在する色合いだ。
かつての職場監督官が不良品を見つめる時のそれに酷似している。
「お二人とも……お連れ様のお支度が」
慇懃無礼な口調が昨夜の狼藉に対する叱責を含んでいるのは明白だった。
花音の爪がヨシオの掌に食い込む痛みが実刑判決の印のようだ。
「行きましょう」
勇気づけるように促し扉を開く。
大理石敷き詰めの大広間では既に家族一同が待機していた。
長机の両端にはリィファとルシア—そして中央に座るのは伯爵。
「遅れて申し訳ありません」
花音の声が震えている。
下腹部の痛みに加えこれから始まる尋問への恐怖が声音に滲み出ていた。
「おはよう」
ヨシオの挨拶は皮肉めいた落ち着きを保つよう努めた結果だ。
路上生活で鍛えたポーカーフェイスはこういう時に役立つ。
「随分仲良く見えるじゃあないか」
伯爵の一言が先制パンチとなった。
昨夜の宴席とは違う冷徹な視線がヨシオと花音を交互に貫く。
その眼光の鋭さたるや—鋳造プレス機の下降ペダルが徐々に押し下げられる緊張感に似ている。
「父上……これは」
反論しかける花音を制止する手のひら—体温を通して伝わる微かな脈拍は高速道路のジャンクションで渋滞中の自動車群のように逼迫している。
「彼女に怪我はありませんよね?」
リィファの追及が加わる。医療従事者らしい配慮だが声調に含まれる棘が尋常ではない。
「もちろんだ」
ヨシオは毅然と言い放つしかなかった。
ここで怯めば全てが終わる。
かつての労組委員長時代を思い出し—不利な条件でも堂々と主張することが生き残る唯一の手段だと知っている。
「花音さんをご自愛なさいました」
ルシアの静かな声が仲裁に入った。
まるで裁判官の休廷宣言のように場の空気が緩む。
「今日は大事な日ですから」
その言葉が何を意味するのか—三人姉妹全員が理解している様子だった。
花音の顔色が一瞬青ざめたことを見逃さない。
昨夜の契約通り—午後には本格的な儀式が始まることを暗示しているのだろう。
「さあ席について」
伯爵の号令で朝食が始まった。
パンケーキの香ばしい匂いが漂う中—皿の上でナイフとフォークが金属音を奏でるたびに火花が散るような緊張感が続く。
特に花音とヨシオのテーブルセッティングは爆発寸前のダイナマイトに例えられるほどの危うさだった。
「花音ちゃん……美味しそうだね」
リィファの無邪気な声が却って空恐ろしい。
昨夜見た姉の痴態が脳裏を過ぎり—ヨシオは咀嚼することさえ困難になっていた。
「昨晩はよく眠れましたか?」
ルシアの質問には探りの色が濃い。
診器を当てる医師のような視線がヨシオの首筋を撫でていく。
「おかげさまで」
答えた声が掠れていることを自覚した瞬間—伯爵閣下の笑みが深くなった。勝利を確信した企業トップが見せる傲岸不遜な表情だ。
「これからも我が娘たちと良好な関係を続けていただければ幸いだ」
言葉の裏側に潜む意味を読み解く余裕はヨシオにはない。
ホームレス生活で培った危険察知能力が警報を鳴らしている。
この豪邸での滞在が長期化すれば—いずれ身の破滅に繋がる道標のような予感が背筋を這い上がってくる。
「午後からの『儀式』について説明しておく必要がありますね」
突然のリィファの宣言に場の空気が一変した。朝食メニュー表を取り上げるかのごく自然な動作で彼女が立ち上がる。




