身分を超えた接吻②
浴場の重い木製扉が軋む音と共に開放された。
夕暮れの微光が大理石の床に長く伸びている。
リィファの素足がその光跡を踏みしめた瞬間、冷たい空気が肌を撫でた。
「……寒いな」
ヨシオの囁きが彼女の耳元で反響する。
無意識のうちに指が絡み合っていた。リィファが指の関節ひとつずつ確かめるように握り返すと、男の掌に刻まれた微細な作業痕が妙に愛おしく感じる。
「離れたくありません」
彼女の言葉は吐息と区別つかないほどの小声だった。
「この温度が……」
ヨシオの無骨な親指がリィファの薬指を擦る。「またすぐに会えるさ」
「約束ですか?」
「ああ」
「嘘だったら承知しませんわよ」
「俺は嘘つきが嫌いな男だ」
その回答にリィファの肩から緊張が解けた。
彼女が踵を返そうとした時—突然ヨシオの腕が彼女を引き戻す。
「……!」
驚愕の声は接吻で封じられた。
唇が離れた瞬間、透明な橋が二人の間を繋いだ。リィファの舌先が名残を惜しむように空中を舐める。
「これ以上は……危険ですわ」
彼女の呟きは喘ぎ混じりだ。
「自制心が……保てなくなる」
ヨシオの腕が緩むと同時にリィファが半歩後退した。
しかし視線は依然として絡み合っている。
廊下の燭台が灯り始めたことで二人の影が壁に大きく伸びた。
そこで初めて二人の視線が自然に逸れた。
大理石の床に映る光模様を追う仕草は互いの照れ隠しだった。
「おやすみなさい……ヨシオさん」
リィファが丁寧に頭を下げる。
「良い夢を」
ヨシオの言葉に彼女の肩が微かに揺れた。
工場労働者が貴族に贈る挨拶としてはあり得ない気安さだ。
くるりと向き直ったリィファの背中が廊下に消えていく―――




