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第16話 中立の湯

 その日は、少し空気が硬かった。


白いローブが二人、先に来ていた。

羽は隠しているが、気配は隠せていない。


そこへ、石段を上ってくる黒い外套。

角も同じく隠している。


暖簾の前で、白と黒が鉢合わせた。


一瞬。ぴたり、と風が止まる。


「……巡回任務だ」

白が言う。


「監査だ」

黒が言う。


「順番」


セリスが即座に割り込んだ。

その声は冷静だが、ぴしゃりとした強さがある。


「ここは順番」

ルシエルもにこやかに続ける。


「戦いは外でね」


「戦う気はない」

白が言う。


「ない」

黒も言う。


だが、視線は逸らさない。


リオンが小声で言う。


「大丈夫かな」

「大丈夫よ」


セリスは短く答える。

「湯がある」


囲いの中。白と黒は一定の距離を保ちながら浸かる。


背筋は伸びている。視線は前。


沈黙。


湯面が、ゆらりと揺れる。


最初に息を吐いたのは、黒だった。

「……温度は適切だ」


「安定している」

白が続く。


まだ理性的だ。


だが数分後。


肩が落ち、眉間の皺が消える。


「……悪くない」

「……否定はしない」


まただ。ちょっと怖いよ。


囲いの外で、ルシエルが湯桶を抱えながら言う。


「同じこと言ってる」

「語彙が溶けてるのよ」


セリスは淡々と返す。


白が、そっと目を閉じる。

黒も、目を閉じる。


同じ湯に、同じ深さで。


距離は保っている。

だが、敵意はない。


湯が、静かに中和していく。


囲炉裏の火がぱちりと鳴った。


囲いの中、白と黒は、一定の距離を保ったまま湯に浸かっている。


湯気がゆらりと揺れる。


最初に口を開いたのは、白だった。

「……報告書には、どう記す」


黒は目を閉じたまま答える。

「事実を述べる」


「事実とは」

「戦闘なし。衝突なし。秩序への直接的影響なし」


「……揺らぎはある」

「あるな」


その言葉に、どちらも少しだけ口元がゆるむ。


揺らぎ。

否定するはずの言葉だ。


だが今は、ただの湯の波のように聞こえる。


「奇妙だな」

白が言う。


「敵対心が、持続しない」

「湯のせいだ」


「そうか」

「そうだ」


囲いの外で、ルシエルが小声で呟く。


「話してるね」

「ええ」


セリスは腕を組んだまま答える。


「殴り合いより健全よ」


囲炉裏の前では、リオンが湯呑みを並べている。


「中立って、こういうこと?」


ルシエルがぽつりと言う。


「どっちでもない、ってこと?」

「どっちもいる、ってことよ」


セリスは淡々と返す。

「排除しない。ただ、それだけ」


「簡単だね」

「簡単だから、難しいの」


湯気が揺れる。囲いの中で、白が目を開いた。


「……お前」

「なんだ」


「敵ではないのか」


黒は一拍、考える。


「任務上は敵対可能性あり」


「だが今は」


「湯の客だ」


白は小さく息を吐く。


「そうか」


それ以上は言わない。


湯が、二人の間をやわらかく揺れる。


囲いの外に、エリシアが静かに立っている。


その隣に、ヴァルクス。

「……問題は起きていない」


エリシアが言う。

「だが境界は薄まっている」


ヴァルクスが返す。

「薄い境界は、脆い」


「だが、穏やかだ」


短い沈黙。


囲いの中から、またあの声。


「……否定はしない」


ルシエルが笑う。

「流行ってるね、それ」


セリスは湯面を見つめる。


白と黒が、同じ深さで浸かっている。

同じ温度で、同じように肩を落としている。


戦わない。

怒らない。


ただ、湯がある。


それだけ。



 日が傾き始める頃。


白も黒も、囲いから上がっていた。

羽も角も、まだ隠したまま。


だが表情は、来た時とはまるで違う。


「……報告はどうする」

白が低く言う。


「事実を述べる」

黒が同じ答えを返す。


「“衝突なし”か」

「“問題なし”だ」


どちらも、少しだけ困ったような顔をしている。


「それで、納得するか」

「しないだろうな」


囲炉裏の火がぱちりと鳴る。


ルシエルが湯呑みを差し出す。

「どうぞ」


白は一瞬ためらい、受け取る。

黒も続く。


「……お前たちは」


白がルシエルとセリスを見る。


「何者だ」


「宿屋」

ルシエルは即答する。


「温泉付き」

セリスが淡々と補足する。


白は言葉を失う。

黒は小さく息を吐いた。


「単純すぎる」


「複雑なのはそっちでしょ」


セリスの返しは鋭い。


湯気がゆらりと揺れる。


エリシアが静かに言う。

「上は、議題にするだろう」


ルシエルが首をかしげる。

「議題?」


「扱いの決定」


ヴァルクスが続ける。


「正式に認めるか、排除するか」

「排除?」


リオンが目を丸くする。


セリスの視線が鋭くなる。


「理由はない」


エリシアはきっぱりと言う。


「だが、理由がないことが理由になる場合もある」


難しい話だ。


ルシエルは湯を見つめる。


「戦ってないよ」

「それが問題なのだ」


ヴァルクスの声は低い。

「敵対が前提の構造で、敵対しない場所がある」


「……変なの?」

「変だ」


エリシアも頷く。


「だが」


少しだけ間を置く。


「否定はできない」


その言葉に、セリスがわずかに目を細める。


白と黒の客は立ち上がる。


「また確認に来る」

「監査も続行する」


「順番守ってね」

セリスが言う。


二人は素直に頷いた。


石段を下りていく白と黒。


争いはない。

怒号もない。

ただ、少し困った背中。


ルシエルがぽつりと呟く。


「議題かぁ」

「知らないほうが楽よ」


セリスは湯面を見る。

「ここはここ」


湯が、静かに揺れる。


境界は薄い。

だが崩れてはいない。


隠れ湯庵ゆらぎは、今日もただ湯を沸かしている。


その向こうで。


“決めなければならない者たち”が、困り始めていることも知らずに。

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