第10話 白銀の再訪
朝の空気が、いつもより澄んでいた。
リオンが薪を運びながら、にやりと笑う。
「今日、来る気がする」
「誰が?」
ルシエルが振り向く。
「白い人」
ハナエがくすりと笑う。
「湯に入ると、顔がやわらぐあの人ね」
セリスの指が、ぴたりと止まった。
次の瞬間、空気が淡く光る。
白銀の羽が、静かに舞い降りた。
「巡回任務だ」
エリシアは変わらぬ声音で告げる。
「いらっしゃいませ」
ルシエルは笑う。
視線が合う。
ほんの一拍、長く止まる。
――近い。
自分でそう思って、すぐに打ち消す。
ただの再訪だ。
「拡張しているな」
エリシアの視線が宿へ向く。
仮だった屋根は整い、縁側も形になっている。
「ゆっくりね」
セリスが淡々と答える。
エリシアの目が、二人の距離を見る。
自然に並ぶ立ち位置。
無意識に揃う呼吸。
「湯を借りる」
囲いへ入り、足を沈める。
温かさが、すぐに包み込む。
前回より深い。
人の気配が増えている。
村の笑い声。
夜を越えた記憶。
混ざり合う揺れ。
今回、理性は保つ。
だが、目がほんの少しだけ柔らぐ。
湯面が、ゆらりと揺れた。
囲いの外で、ルシエルがセリスに小さく言う。
「……また来てくれたね」
「任務でしょ」
「うん」
そう言いながら、胸の奥がわずかにざわつく。
理由はまだ、わからない。
湯気が立ちのぼる。
白銀の再訪は、静かに始まった。
湯から上がったエリシアは、濡れた髪を静かに払った。
白銀の羽はきちんと畳まれている。
表情も、いつも通り整っている。
だが、頬の熱は、完全には引いていない。
囲炉裏の前。
自然な動きで、エリシアはルシエルの隣に腰を下ろした。
前回より、わずかに近い。
肩と肩が、触れそうな距離。
(……なんか、近い)
ルシエルは一瞬だけ意識する。
ほんの少し、体温を感じる。
すぐに視線を火へ落とす。
気のせいだ。任務だ。
向かい側で、セリスが黙って見ている。
何も言わない。けれど視線は鋭い。
「天界は揺らぎを嫌うの?」
ルシエルが問いかける。
「揺らぎは秩序を乱す」
エリシアは即答する。
「でも」
ルシエルは湯気を見つめる。
「ここは壊れてない」
エリシアも同じ方向を見る。
ゆらぎ湯は、穏やかに揺れている。
「……制御されている」
視線がセリスへ移る。
「あなたがいるからか」
静かな問い。
セリスは答える前に、ルシエルが言う。
「そうだよ」
迷いのない声。
エリシアの胸が、ほんの少しだけ締まる。
「あなたは」
エリシアが続ける。
「落第を後悔していないのか」
「してない」
即答。
「俺は選んだ」
まっすぐな目。昔と同じ光。
でも、今は違う。
あの頃より、柔らかい。
この子、セリスがいるからだ。
エリシアは気づいている。
それでも。
ほんの少しだけ、距離を詰める。
「……あなたは昔から、そうだった」
小さく笑う。
「無謀で、まっすぐで」
その言葉に、ルシエルが少しだけ照れる。
「褒めてる?」
「半分は」
火がぱちりと鳴る。
その瞬間、エリシアの指先が、ルシエルの手の甲にかすめた。
偶然のように。
だが、確かに触れた。
ルシエルの心臓が一瞬跳ねる。
セリスの視線が、わずかに鋭くなる。
「……熱い」
エリシアが小さく言う。
「火が近いから」
ルシエルが慌てて言い訳する。
何に対してか、自分でもわからない。
距離は近い。
けれど、触れたのは一瞬だけ。
それ以上は踏み込まない。踏み込めない。
囲炉裏の火が揺れる。
湯が揺れる。
三人の感情も、同じように揺れていた。
火が静かに揺れている。
さっき触れた指先の感覚が、まだ消えない。
ルシエルは無意識に手を握り直した。
セリスは、その動きを見逃さない。
「……巡回は終わり?」
セリスが淡々と聞く。
「まだだ」
エリシアは答える。
けれど視線は、ルシエルから離れない。
「天界に戻る選択肢はないのか」
静かな問い。前回よりも、少しだけ強い。
ルシエルは迷わない。
「ないよ」
即答。
「どうして」
「ここがあるから」
言葉は短い。
でも、はっきりしている。
エリシアの視線が、セリスへ移る。
「……これも、あなたがいるからか」
一瞬、空気が張り詰める。
セリスは目を逸らさない。
「私がいなくても、選ぶわよ」
「そうか」
エリシアは小さく息を吐く。
理解している。
この場所は偶然ではない。
選ばれた結果だ。
それでも。
「私は」
言葉が、ほんの少しだけ揺れる。
「あなたが落第と呼ばれたことを、今も正しいとは思えない」
それは任務ではない。個人の言葉。
ルシエルは、困ったように笑う。
「エリシアは優しいですね」
その笑顔に、胸が痛む。
昔も、こうだった。
守りたいと思った。
けれど今、その隣にはセリスがいる。
湯がゆらりと揺れる。
「……経過観測とする」
いつもの言葉。
だが意味は少し違う。
「脅威なし、と記す」
それは守るという選択。
立ち上がり、羽を広げる。
その前に、ほんの一瞬。
「次は、長く滞在する」
任務として。と、そう言い残す。
空へ舞い上がる白銀。
静寂が戻る。
火がぱちりと鳴る。
「……近かったわね」
セリスがぽつりと言う。
「え?」
「距離」
ルシエルは少し赤くなる。
「任務だよ」
「便利ね、その言葉」
同じやりとり。でも今日は違う。
セリスは立ち上がると、ルシエルの前に回り込んだ。
「選んでる、って言ったわね」
「うん」
「ちゃんと選びなさいよ」
まっすぐな視線。
ルシエルの胸が、強く揺れる。
「……選んでるよ」
「誰を?」
問いは小さい。けれど重い。
ルシエルは言葉に詰まる。
まだ名前がつかない。
でも。
視線は、自然とセリスへ向いている。
湯が、深く揺れた。
火が揺れる。
感情が、確かに形を持ち始める。
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