番外編⑥ ~ 計画的な先輩 その1~
片手を眼鏡に添えながら木俣サブリーダーは3名の聴衆に釘をさす。
「これはプライベートなお話です。しかし、私たちの業務にも多大な影響を及ぼす極めて重要な相談です。心してお聞き下さい」
夕刻、業務終了後のJWN社の特別運用チーム室。
本来のチーム員である田尾、立浪に加え、何ゆえか彼女に呼び出された宇野部長までもが話を聞かされている。宇野は小声で田尾に不満を告げる。
(ちょっと、どうしてプライベートな話で私まで呼び出される必要があるの?私、彼女苦手なのよ)
(知らんよ。とりあえず彼女の話を聞こう)
上司の会話を目ざとく聞きつけた木俣は、教師のような態度で私語を交わす二人をたしなめる。
「はい!そこ!これから重要なことを述べますので私語は慎んで下さい!」
「「はい」」
木俣は1枚の工程表のような紙を3人に配り始める。
最上段は今日から3年間の月単位の目盛りが入っており、最初の行はGNNとの契約で始める気象予報専門番組の今後の予定が記載されている。
気象予報専門番組は、朝・昼・夜の3つの時間帯での放送を予定している。計画では、来年春に第1弾として昼の時間帯の放送を開始、その半年後に朝の部、1年後に夜の部、という具合に半年づつ時期をずらして放送を始める。この半年の間に、先行して開始した放送に対する視聴者の反応を確認しながら放送コンテンツを調整したり、人材を段階的に確保していくことを見越した計画だ。これについてはこの場にいる全員が承知している。
問題はその下の行だ。今この部屋にいる4名の名前がそれぞれ1行ごとに記載されており、それぞれの誕生月の場所に白抜きの下三角の印(▽)が入っている。上から宇野部長、田尾TL、木俣SL、立浪の順でそれぞれ1行を構成しており、上二つ、宇野部長と田尾TLのそれぞれの誕生月の印の一つはかなり目立つ。それより右側の領域が薄い赤色に着色されているからだ。思わず田尾が尋ねる。
「あの、木俣?これは?」
「 ”Work Breakdown Structure” です。日本語では作業分割構成図と言われることもあります。プロジェクトマネジメントにおける工程管理によく使われるツールの一つです」
片手を眼鏡に添えつつ胸を張って応える木俣。話を聞く3人の頭上には?マークが浮かんでいる。そんなことは言われなくとも承知している。宇野部長が尋ねようとしたところに、木俣は今日一番の気合を入れて部長の発言にあえてかぶせる。
「いや、それは知っているわよ。どうし」
「部長!!田尾TL!!お二人に聞きます。”高齢出産”の定義をご存知ですか?」
「「え?」」
宇野と田尾は顔を見合わせる。突然の質問に理解が追い付かない二人。木俣は追い打ちをかける。
「高齢出産とは、35歳以上で初産を迎える場合を言います。このWBSにおけるお二人の誕生月のうち、真ん中のそれは、それぞれが35歳を迎える誕生月を指します。それより右側で出産する場合、失礼ですがお二人の場合は高齢出産となります。右側の赤い部分は高齢出産ゾーンです」
しばらくの沈黙。突然、涙を流しながら宇野部長は田尾に詰め寄る。田尾は相当な落ち込み様だ。
「田尾!あなた、部下に一体どういう教育をしたらこれほど無慈悲な仕打ちをするようになるの?私、こんなにショックを受けたのは初めてよ!しかも彼女、わざわざ2回言ったわよ!」
「ううう、まさか自分に ”高齢” とかいう単語が当てはまるとは・・・」
しばし二人が現実を受け入れるまで無言で待つ木俣。その後ゆっくりと彼女の意図を語り始める。
「当社の大切な男子お天気キャスターである、篠塚君が成人を迎えました。これが何を意味するか分かりますよね?彼が国に提供する精子について、本人の了承が得られれば、人工授精の手続きが可能になる、ということです」
ここでようやく木俣の意図を分かり始める3名の聴衆。事の重大さに気づき始めた彼女たちは身を乗り出して木俣の説明に注目する。
「今でこそ、社内で彼に精子提供を申し出る勇者は確認されていません。ただし、個人的な提供依頼を会社が規制することはもちろんできません。誰かが最初に口火を切ると、次々と彼にお願いをする者が現れると私は予想しています」
この国で女性が人工授精を望む場合、とくに精子提供者を特定しない場合が一般的だ。ただし、提供者の同意を得た場合は、その提供者の精子を用いた人工授精も可能だ。女性にとって、望む相手がいる場合に、その相手から精子提供の同意が得られるというのは、誰もがうらやむ妊娠の形態なのだ。ちなみに、自然妊娠となると、それはもう夢の話に近い。それぐらい相手を見つけるのは大変なのだ。
話を聞く3名の表情が引き締まる。これは極めて重要なことだ。木俣は最終確認を行う。
「お三方に確認します。自分は出産するつもりはない、という方はいらっしゃいますか?」
「「「・・・」」」
「では、精子提供者は篠塚君でなくても構わないという方、いらっしゃいますか?」
「「「・・・」」」
手を挙げるものは一人もいない。当然だ。女性なら誰でも理由もなく出産をあきらめたりはしないだろうし、望ましくは彼の精子が欲しいのだ。状況を確認した木俣はようやく表情を柔らかく変える。
「はい。かしこまりました。全員、可能であれば、彼の子供を産みたいということでよいですね。それでは本題はここからです。まずこの4名のうち、仮にそれぞれが妊娠し休職される場合、誰がカバーすることになるかはわかりますね?」
ここまで黙って話を聞いていた立浪が木俣の問いに応える。
「宇野部長の場合は高木常務と田尾TL、田尾TLの場合は宇野部長と木俣SL、という具合に、その方の上司と部下でカバーしあうのが自然と思います」
笑顔で頷く木俣。ここにきてこの部屋にいる4名の認識がようやく一致し始める。そう、この件は全員が当事者であり、重要なのは ”だれ” に ”いつ” その慶事が訪れるかだ。
それは、とりもなおさず特別運用チームのこれからの数年間の人員計画にも影響を及ぼす。場合によっては追加の補充を考える必要もあるだろう。さらに言うと、宇野部長と田尾TLには時間が無尽蔵にあるわけではない。二人とも高齢出産というリスクが付き始めるのだ。これほど重要な問題は他にないだろう。木俣は続ける。
「皆さん。本日はその用紙を持ち帰っていただき、一晩じっくり考えた上で、その工程表にご自身が望む妊娠と出産の時期を記載して、明日の午後一で、私に提出いただけますか?
夕方までに私の方で集計し、各自の希望をこの表に落とし込みます。明日の夕方、再びこの4名で集まり、集計結果をもとに相談させて下さい」
最早、逆らうものはいない。全員が真剣そのもので頷く。
「当然ですが本件については、仮に本人の希望通りに手続きを行ったとしても、必ずしも予定通り事が運ぶかどうかは分かりません。とは言え無計画に各自が行動しては、チームに多大な迷惑をかける可能性もあります。そのあたりをご承知のうえで、あくまでも現段階における本人の希望時期について、記載をお願いします」
そうだろう。まずは個人の希望が優先だ。各自の希望が出そろったところで、調整を始めるべきだろう。うまくすれば希望が重ならない可能性もある。その場合は互いにカバーしあうことが可能だ。木俣は上司二人に釘をさす。
「宇野部長と田尾TL、お二人は重要なポストについているだけでなく、時間的にも切羽詰まっています。ご自分の人生と会社の計画、これらをよく考えて記載して下さい。言うまでもありませんが、気象予報専門番組の成功は、当社の予報士派遣事業の最重要課題であることを最後に付け加えさせていただきます。よろしくお願いします」
「分かったわ。よく考えるわ」
「分かったよ。木俣。確かにこれはとても重要な問題だね。ありがとう」
雪緒が関係する家族計画の相談が、今、始まろうとしていた。この相談は、彼が所属するチームに収まらず、彼の家族や恋人まで巻き込んだ一大論争に発展していくことになる。
知らないのは本人のみであった。
続きますね。




