22.運命に抗う
「くしゅん」
どこからか聞こえてきた声で目が覚めたセストは、見覚えのない天井を見て跳ね起きた。驚いて周りを見渡すと、隣で眠るラウラの姿が目に入りここが王都の宿屋であることを思い出す。
離れている間にラウラの髪は伸び、大人びた顔つきに変わったと思っていたが、眠っている顔は幼い頃と同じあどけないままだった。
思わず浮かんだ笑みのままラウラの寝顔を見ていたセストだったが、掛け布団から出たラウラの肩が寒さで粟立っているのに気づいた。
さっきの声はラウラだったのかと、急いで布団を肩の上までかけると、ラウラの表情が柔らかなものに変わっていった。
窓から差し込む光を見るととっくに太陽は昇っている。
宿に入ったのは夜だったため気づかなかったが、部屋の壁や天井の木材は経年変化で随分と色褪せて古びている。しかし、それは不快なものではなく、まるで自宅にいるような落ち着いた気持ちになれた。
太陽の光に照らされて金色に輝くラウラの髪を撫でながら、セストは今後のことを考えていた。
ラウラの祖母はラウラの未来を視る能力を決して人に知られてはならないと言っていた。しかし、ラウラの存在が消えつつある今、そんなことをいっている場合ではないだろう。
やはり魔術士副団長に今の状況を相談をし、なんらかの解決の糸口を掴みたい。
情けないことだが、魔術や不可思議なものに対するセストの知識はほぼ皆無に等しい。
どうすれば事態が改善するのかを考えることすらできない。
「……セスト?」
髪を撫でられる感触で目を覚ましたのか、ぼんやりとしたラウラが身じろぎしながらセストの名を呼んだ。
「目が覚めたか?」
「……ん、覚めた」
横たわったまま、片肘に頭を預けていたセストがラウラを見下ろしている。
見たこともないような甘い微笑みを漏らすセストの顔を見て、思わず目を逸らしたラウラだったが、おずおずとセストを見上げて呟いた。
「……なんか照れるね」
「そうか?」
セストがラウラの頬を撫でると、目を細めて猫の子のようにすり寄ってきた。
「嫁入り前の娘に何してるんだって、怒り狂う姉さんが想像できる」
激高するセストの姉の姿を想像して、ラウラがくすくすと笑っている。セストの姉にとってラウラは妹同然だ。時に姉はセストよりもラウラ優先することすらある。
だからこそ、セストの姉の中からラウラが消えた時は殊更辛かった。
「この後、少し出かけようと思ってる」
「あ、うん。どこに?」
セストの唐突な提案にラウラはよく分からないまま頷いた。
「俺はこのままラウラが消えてしまうことだけは阻止したい。だから、ラウラのことを魔術士副団長に話そうと思う」
それはセストが故郷の町でも考えていたことだ。
「でも、おばあちゃんは誰にも言ったらだめだって言ってたよ」
祖母の言いつけを頑なに守ってきたラウラとしては、それはとても恐ろしいことのように思える。
かつての魔女のように追われるかもしれない。そうなった場合、ラウラを匿ったセストや、事実を知れば間違いなくラウラを守ろうとする両親たちを危険にさらすことになるかもしれない。
「今はそんなことを言ってる場合じゃないだろう。俺は辺境で魔術士副団長と面識を得ることができた。魔術に造詣の深い方だから、ラウラのことを話せば、解決策を講じてもらえるかもしれない」
魔術士副団長と騎士団長がセストに対して思うところがあるというのは間違いない。恐らく、霧の山での話がしたいといえば聞いてもらえるだろう。
しかし、何も知らないと虚偽の報告をしていたことを、咎められるかもしれない危険は伴っている。謂わば賭けだった。
「これから、魔術士副団長が辺境からいつ戻って来られるのかを聞きに行こうと思う。一旦町に帰ることになったときに、王都に戻った居場所を連絡するようにと言われていたんだ」
報償の受け取りは全部隊が辺境から帰着してからだと告げられていた。
その場であればきっと魔術士副団長とも話す機会が得られるはずだ。
「よし。出かけよう。ラウラも準備をして」
名残惜しそうにラウラの髪を撫でていたセストだったが、手早く準備を終えると宿屋に連泊の申し出をし出発した。
「兄ちゃん、これ食っていかないか?」
露天の店主がセストに話しかける。
目の前にいるのに気づかれないのはとても辛いことだった。
その度に沈んだ顔をするラウラを、口を引き結んだセストが見つめている。ラウラと繋いでいるセストの手に思わず力が入る。
「セスト、手……」
「手がなんだよ?」
「私、ひとりで歩けるよ?」
なぜだか今日のセストは、昔のようにラウラと手を繋いで歩きたがる。
ラウラといえば、子供の頃とは違うセストの大きな手が恥ずかしくて離そうと手を引くのだが、セストは全く意に介さない。
困った顔をするラウラをよそに、繋いだ手はさらにきつく握られた。
「ラウラは目を離すと何をするか分からないから離さない」
きっぱりと言い放つセストには、それ以上何を言っても聞き入れてもらえそうになかった。
何しろラウラにはこれでもかというほどの勝手をして、今の状況に陥っている。
こうしている間にもラウラの天秤は傾きを増している。
あと何日セストと一緒にいられるだろうか。
「この先にある角のパン屋が美味しいと評判らしいよ」
「それも噂か?」
「そう。噂」
パン屋で二人分の量を買ったセストは、一人でよく食べる客だと思われたのだろうか。
そう考えて少し愉快な気持ちになったラウラの前に、すっと影が差した。
「よお、セスト。やっと会えたな」
「レナートか」
宿近くの露天通りを歩いていると、人なつっこい笑顔を浮かべた青年がセストに声をかけた。
辺境で一緒だったというレナートは、セストの肩を軽く叩くと気安く話しかけてくる。
「故郷に帰ってたんだろう? 喧嘩別れしてたラウラちゃんと仲直りはできたか?」
自分の名が聞こえ驚いたラウラはレナートを見るが、当然ラウラのことが見えているわけではない。
聞いていてもいい話だろうかとおろおろとセストの顔を窺うと、困ったように笑っていた。
「行き違いは解消できたよ」
自分の名前が出て、聞いていてもいい話だろうかとおろおろとしていたラウラはそっとセストの顔を窺うと、ばつが悪そうに苦笑しながらラウラに目配せをする。
話を遮られなかったことに安堵して、ラウラは興味深くレナートの続きを待っていた。
「そっか。良かったな」
「レナートたちはいつ帰ってきたんだ?」
「セストが帰った次の部隊で帰って来たよ。そういえば、セストは報償をもらった後のことは考えたか? 望めば騎士団に入団することができるってやつ」
今回の魔獣は無事に殲滅することに成功したが、払った犠牲も多かった。今後また魔獣が出現するということも十分に考えられるため、辺境へ行った魔力保持者たちに騎士団への入団を促している。
騎士のように剣や矢を使うのではなく、魔力を活かす役割を担うのだと聞いた。
「なんで魔術士団じゃないんだろうな」
「魔術士は魔力を媒介に、魔術や新しい術式を開発するのに躍起で、魔獣退治になんて興味はないらしい。今回は国の一大事ってことで嫌々参加していたそうだから、これ以上は断られたのかもしれないな」
「確かに、魔術士たちは変わり者ばっかりだったからな。目の前に倒れてきた魔獣に逃げるでもなく、いきなり死体に残る魔力を鑑定し始めた時は、絶対に相容れないと思ったよ」
すぐに騎士によって魔獣と引き離されたが、そのまま魔獣に近くにいたら鋭い爪で引き裂かれていた。
それほどに魔術士たちの魔力への探究心と執着は尋常ではない。
「……あの連中と、上手くやっていける自信はないな」
レナートが肩をすくめる仕草にセストが思わず吹き出すと、俺も無理だと笑い出した。
ラウラはセストの横で、ふたりの会話に耳をそばだてている。
レナートにラウラが見えていないせいか、ラウラの知らない辺境での話がぽんぽんと出てくる。聞いているだけで背筋が凍るような話もあるが、セストの話が知れることは嬉しかった。
「そういや、リタのことは上手くいったよ」
「そうか。良かった。流石レナートだな」
「詳しい話は俺が勝手に話すわけにはいかないから、その内、リタから聞いてくれ」
一瞬何かを言いかけたレナートだったが、すぐに口を噤むと片手を挙げて去って行った。
「大変だったんだね」
レナートが去った後、セストにそう言うと苦笑いする。
「あまり楽しい話じゃないから、聞かせたくなかったんだけどな」
「私の知らない話が聞けて良かったよ」
「……何度も死にそうな目に遭ったけど、ラウラと話をするまでは絶対死ねないって思ってた。あんな別れのままで死ねないだろう?」
「ごめん」
「お陰で命根性汚くなって、死に物狂いで生き残ったよ」
その後、セストは騎士団へ向かい、滞在中の宿屋の名を告げた。その際に、辺境に残っていた最後の部隊が魔術士副団長と共に帰途についたことを耳にした。
「帰着は十日後くらいになるだろうから、呼ばれるのは二週間後くらいだろう」
顔見知りの騎士にそう言われたセストは、騎士団の門扉で待っていたラウラを伴って宿屋へと戻った。




