閑話 辺境伯の苦悩
リアステア城の領主の間で、ミスランティ辺境伯アルベールは大好物のコーヒーも手につかないほど悩んでいた。
話題の主は昨日、アルメニタ王国国王フェルナンドより下された、先の内戦において多大な功績を残し勇敢令嬢として平民から絶大な支持を受けているフィリーネと王の懐刀として活躍する侍従長セドリックとの婚約の王命である。
「ヘンリック、私はどうすればよい?」
アルベールはヘンリックに意見を問いかけた。
ヘンリックはミスランティ辺境伯家のステュワードであり、辺境伯の右腕として活躍している。
「どうもこうも、王命を受け入れるほかありますまい。此度の王命に逆らうのはいかにこのミスランティ辺境伯家とて不可能ゆえ。それに上手く断れたとしても二の矢が飛んでくることは火を見るよりも明らかなのですから」
「そうだな。その通りだ」
ヘンリックの零細な返答に、小さく返事をするとアルベールは肩を窄めた。
王は随一の信頼を置く侍従長をわざわざ手放してまで婚姻を成立させようとしているのだ。
相当の本気度を持ってことに当たっているのは察するにあまりない。
「ただ、侍従長をこちらに寄越して婚姻させる利益と王の側において役立てる利益との天秤が成り立たないのが不思議です。嫁入りならともかく婿入りさせる意味はあまり感じません」
「同感だ。来たところで家督を継げるわけでもない。フィリーネがもしも一人娘であれば可能性はあったのであろうが·······」
フィリーネにはテオドラという弟がいる。
いまだ齢10歳ながらも将来を嘱望される聡明さの片鱗を見せている次期辺境伯に相応しい弟だ。
この国の爵位の継承は男女で差別されるわけではないが、本人が希望していないことや、領内の貴族達の力関係の調節など様々なよういんが重なったことでフィリーネ自身は継承者から外れている。
「ですが、我が国の貴族たちはそれでは納得しないでしょう。王がお嬢様を傀儡にしてミスランティを牛耳ろうとしているのだと、そう主張する貴族も複数おります」
「相手がフィリーネであるからな。当然だろう」
フィリーネは実績的にも辺境伯の地位に立つのに負い目はない。むしろ本人が望まないだけで、実績としては充分である。
「フィリーネが家督を望むと思うか?」
「思いませんが······お嬢様はとてもお強い。騎士団長でさえ今では敵わないと聞きます。独立を望む貴族にとっては最高の指導者となります」
フィリーネが家督を望まなかったのは自分がなりたくないからだけではない。
自分が立てば貴族達の間に独立の機運が高まるからだ。
何度も言うが、フィリーネはミスランティの平民達よりひどく慕われている。
反乱軍がミスランティの街に押し寄せた時に陣頭で指揮を執り、15に満たない年齢で自らも反乱軍の騎士を相手に勇敢に戦っていた姿はさしずめミスランティのジャンヌ・ダルクといったところだろう。
とにかく、フィリーネが嫌がれば平民達は決起する。
「それだけは防がねばなるまい。あの子も望まないだろう。そんなことをしてはあの子を悲しませるだけだ」
辺境伯は独立を夢見ていても、戦争を起こしていたずらに犠牲者を出したいわけではない。
しかし平民達が一丸となって動けば、貴族たちは抑えられても······いや、その時には貴族の中にも同調するものが現れよう。
「私は反対です。そもそも、ミスランティ貴族で反発していない者などいますまい。領内で騒乱を起こして分裂するくらいなら王命の拒否を選びます」
辺境伯本人が婚約に反対している今、王命に対する拒否権を持つ辺境伯家なら、王命に従わないこともできなくはない。
「私も反対に決まっている!王に従う義理などない。しかし、二代に一代の婚姻の際には国王の承認を必要とするのだ。先代の時代には国王の許可を得ていない私とカナリアの婚姻がある」
併合したとはいえ一方的な強弱ではなく、四割の領地を割譲させてもいずれ歯向かってくることを恐れたアルメニタ王国によって、自分たちの側に立つ人物を送り込むためのもの。
「国王に従うしかなかろう」
そうぼそりと呟いた。
王命を拒絶することもできないではない。
しかし拒否すれば、王国側から討伐の軍を挙げられても文句は言えない。
領内で地獄を見るか領外と地獄を見るか
そのどちらを選ぶことも今のアルベールにはできない。
「ご主人様、エーレンフェスト侯爵がいらっしゃったそうです」
「!?········」
「ヴァネッサ、御主人様は少し余裕がないようです。エーレンフェスト侯爵には応接室でスノーパウダーの紅茶をお楽しみになっていただくように」
侍女長が領主の間に入ってきた。
アルベールは思わず吃驚して、コーヒーを少し零す。
品行方正で儀礼を欠くような人物ではないのでノックを忘れることなどあり得ない。
さらに、ヘンリックは普通に応対していたので、アルベールの方がノックを気づかないくらい考え込んでいたのだろうと合点した。
「そうおっしゃると思い、すでに手配を済ませております。それはそうと、先程レプトン伯爵が大層怒っておられるようでしたが?」
「その件については心配ない。誰か問う者がいても、決して広めることなく、そしてその者の名前を記憶して、私に報告するように」
「承りました」
侍女長はひとつ頷くと、そのまま部屋をあとにした。
侍女長の耳に入るということは侍女達の間でも広まっているということだが、内面はともかく表面上は取り繕ってくれるだろう。
辺境伯はそう安心したのか、ほっと一息をつく。
「そういえばそんなこともありましたね。レプトン伯爵との会談はどうだったのですか?」
侍女長が居なくなるのを待ってからヘンリックは問い質した。
ちなみに公にされない形での会談は基本的に機密に相当するものであるためにその内容は外に出ることはほとんどない。
極力身内にも打ち明けないのが鉄則なのだが、領主の代理人として重要な職務であるステュワードだけは例外だ。
「例の件についてだ。やはり協力はしてもらえないらしい。我らにできることは折り合いがつくまではフィリーネと伯爵一派の交流を抑えることぐらいだな」
アルベールは溜め息をつきながら言った。
レプトン伯爵は辺境伯の妻であるカナリアの父親、つまりフィリーネからすれば祖父に当たる。
当然、ミスランティの中でも随一の有力者だ。
彼は同じく王命結婚に反対であるアルベールとは比較にならないほどの強硬派として知られており、今は周囲が必死に抑えているものの一触即発の事態となっている。
「そうでございますか。予想通りですが、領地の安寧を最優先に考えるとあまりよくない兆候にございますね」
レプトン伯爵家の厄介なところは彼の管理する土地の出身で、ミスランティ辺境伯領の騎士団に所属している人物がとても多いということだ。
例えば、今は引退しているがかつては細麗の副隊長との通り名で勇名を轟かせたリリーしかり、フィリーネの信奉者達のリーダー的存在になっているルイーゼしかり······
レプトン伯爵と本気で対立することになれば、状況次第では騎士団が分裂することも覚悟しなければならない。
「せめて氷の魔人さえいなければ伯爵の言うように、屋台骨の揺らいだ王国の隙を突いて、絶対不可侵同盟を結んで独立することもあたうのだが······考えても仕方ないな」
氷の魔人がいることで、先の内乱の際には国王反対派に与することができず、かといって領内情勢的に国王派に与することもできなかった。
おそらくどちらも氷の魔人によるものと思われる。
神出鬼没に様々な領地で暗躍し、貴族を抑えている手腕は敵ながら見事としか言いようがない。
「今は氷の魔人よりも王の懐刀だな。エーレンフェスト侯ならもう少し詳しい事情を知っているやもしれぬ」
アルベールは椅子から立ち上がり、エーレンフェスト侯を待たせている応接間へとむかった。




