呉服屋の新人
フィリーネはセドリックと対面してから二日後、明日に迫った逢瀬に備えて呉服屋へと来ていた。
ちなみに今日はリリーを連れているだけである。
本来なら騎士を随行するのが辺境伯令嬢にとって必須の体裁だが、リリーはかつて凄腕の騎士として名を馳せた人物であり、フィリーネも勇敢令嬢の二つ名に色褪せない優秀な騎士だ。
なので、フィリーネを慕っている土地柄も勘案して、領都からルイーゼに代わる騎士を呼んでいない。
「お待ちしておりました、フィリーネさま。毎度毎度わざわざお越しいただきありがとうございます。注文をいただいた品は準備できておりますので、お入りください」
「ごきげんようオスヴィン。それではありがたく入らせていただきますわ」
先触れを受けて店先に出ていた呉服屋の店主、オスヴィンはにこやかにフィリーネを出迎えた。
そこには貴族に対する緊張のようなものは見えず、むしろ親しみを持った優しい眼差しが浮かんでいる。
フィリーネが護衛の騎士をあえて用意する必要がなかったのはこのお陰である。
加えてフィリーネに害を為そうとすれば領民全員が刺客の敵対者に早変わりするので、そもそも刺客達はディアラドで不用意を犯しはしない。
「御注文いただいた品はこちらにございます。如何にございますでしょうか?」
「良い品ね。わたくしは気に入りました。だけど、ここの宝石は外してくださらない?良いとは思うけど、少し派手すぎるわ」
「畏まりました」
呉服屋に入ったフィリーネはセドリックとの逢瀬に着る、機能性と流行の両方を取り入れた服を試着して、お店の店員に細かい部分の手直しを加えてもらう。
店員は宝石を専用の器具で外す。
それが終わると、次は試着だ。
「お嬢様、失礼いたします。······寸法の調整は整いました。お嬢様と服との融和もよろしいのではないかと思います」
最終確認者であるリリーがフィリーネの試着姿を見て、袖や裾の長さの微妙なズレを修正するようにお針子に依頼する。
幸いそれほど大きなものではないようで、微々たる調整で終わり、そのあとは服自体があまりに古い流行になっていないか、装飾などが不適切でないか、フィリーネに似合っているのかを確認した。
「いつもながら思いますが、リリー様は誠に熱心でございますなぁ。特に今日は一層気合いが入っていると見えます」
「明日はバルデン宮中伯様との逢瀬ですから。身なりには一層の気を使う必要がありますから」
オスヴィンは嘆息して言った。
フィリーネはリリーの邪魔にならないよう答える。
政略結婚とはいえ一応は逢瀬なので、その辺はかなり神経質に整えておかないとフィリーネの、ひいてはミスランティ辺境伯家自体の格を貶めることになる。
「一言いっておきますが、これは姫様の為であって、宮中伯様のためでは決してありません。その点はお間違えのありませぬよう」
「ちょっと、リリー。少し言い過ぎよ」
「まあまあ、お二人ともお落ち着きくだされ」
少なくとも表面上は場が沈静化したことを見届けて、オスヴィンはフィリーネの耳元でリリーに聞こえないよう小さく耳打ちした。
「リリー様はおそらく外聞を気にしているから、婚約者と会うから、服をできる限り整えようとしているのではなく、姫様が少しでも美しく見られるために整えているのだと、そう言いたいのでしょう」
フィリーネは自分の短慮を恥じると共に、リリーが自分のためにそこまで考えていることに感謝した。
「これで宜しいかと。姫様、姿鏡に映しますので、ご不満な点があれば申し付けください」
「······そうね。大丈夫よ」
そのうち、調整が終わってリリーはフィリーネに最終確認を求める。勿論、不満などない。
じっと見つめるように見分してから了解した。
「それでは代金の勘定を」
「ええとオスヴィン、こちらの品も勘定に入れてくださる?」
オスヴィンが書字板に追加で用いた用品の計算を始めたとき、フィリーネは座っていた貴族用のふわふわの椅子を降りて、お店の一角にあった商品を手にとって見せた。
「これ、に御座いますか?」
オスヴィンは不思議そうに言った。
まだ季節は秋の中頃といった様相で、北方のミスランティ辺境伯領としてはそれほど寒い時期ではない。
だけれども防寒具であるマフが既に置かれているように、冬が始まる前に用意しておくのは必須である。
それに騎士として、剣を使いにくい手袋よりもいざというときはさっと外せるマフの方が効率が良い。
フィリーネはオスヴィンが首をかしげる理由がわからずに困惑した。
「何かおかしいことでも?」
「いえいえ、そういうわけではないのですが、この商品は積極的に売れると思っておいたわけではなかったので驚いているだけです」
オスヴィンは歯切れ悪く言った。
フィリーネは急であまりに予想の範疇外からの答えだったので、思わず一瞬硬直した。
「売れると思っていなかった、とは?」
理由を聞こうと思って問いかけてみれば新たな疑問の出現である。
オスヴィンは呉服屋の店主である前にミスランティの貴族達を何人も御用達に持つ凄腕の商人だ。
そんなオスヴィンが売れるかどうか確信が持てないものを店頭に置くとは思えない。
勿論そういった博打のような商品を置くことも全くないわけではないが、そのような商品はオスヴィン自身が「これは売れる!」と一定の自信を持って店頭に並べる、いわば発掘のようなものだ。
大体、ほとんどの商品は売れようが売れまいが店頭に並べる前に代金を作者に支払うので当然と言えば当然の考え方である。
しかし先ほどのオスヴィンの口振りはそれとは違い、本当に売れる事を想定していなかったようなものだ。
「実は、これは当店に最近入った新人の作っている作品で、予想以上に良くできたものだったので、勢いで店に並べたものなのです」
契約も新人の要望で商品が売れたらの後払いになっていたので、オスヴィンは店頭に並べるに足りうる最低限の品質が保証されていることを確認しただけで並べたのだという。
「そうだったのですか。まあ、なにはともあれ購入したいと存じます。オスヴィンがお店に置けると判断したのなら、良品であることは間違いありませんから」
フィリーネはオスヴィンの目利きにも全幅の信頼を寄せている。
それにフィリーネはこの白色のマフを気に入った。
よくある貴族のそれのように過度な装飾もなく、色味などは控えめだが、それが逆になんとも言えない気品を産み出していて、見たところ防寒性能も悪くないものと思われる。
「一度着けてみても構いませんか?」
「それは勿論、いくらでもご試着ください」
フィリーネはオスヴィンの許可を得て、白のマフを手につけてみた。
表から見るだけでは分かりにくかったが、裏地には丁寧なコットンの起毛が、暖かみを増幅させている。
コットンは上質なもの、おそらくミスランティ北部とハドール侯爵領の境界線辺りのラルドー産のものであり肌触りも申し分ない。
この素材のように両領地が協力できる日が来れば良いな、とフィリーネは思う。
「オスヴィン、やはりこれを購入したく存じます」
「それはそれは有難い。当店の新人も喜ぶことでしょう。料金は······」
「お客様の言い値で構いませんよ」
オスヴィンが料金を提示しようとしたところ、丁度配達から戻ってきたらしき、深めの青い髪色の青年とも立派な大人ともとれる容姿の店員が言った。
「この方が例の新人店員ですか?」
「そうでございます。リック、挨拶を」
「リックと申します。お初に御目にかかります。勇敢令嬢と持て囃される辺境伯令嬢フィリーネ様に会うことができて恐悦至極に存じます。とるに足りぬ我が名にございますが、以後お見知りおきを」
リックは微笑みを残して優雅にお辞儀をした。
僅かに細められた麗しい若葉色の瞳にフィリーネは見惚れそうになり、同時にデジャヴを感じた。
背丈や髪色が似通うこともあって、そんなはずはないと知りながらもフィリーネはセドリックの社交的な姿のように感じる。
「初めまして、リック。入ったばかりだというのに外向きの仕事を任されているなんてすごいのね」
「仕事にございますから」
リックはさらりと流した。
リックは最近ミスランティ辺境伯領に越してきたらしく、前はエーレンフェスト侯爵領で貴族を相手に取引する商店で働いていたらしい。
道理で礼儀作法がしっかりとしているわけだ。
「それにしても貴方の裁縫の腕は素晴らしいわ」
「勿体なきお言葉です」
もしかしたら緊張させてしまったかもしれない。
フィリーネは値段を手早く決めて、そさくさと立ち去ったのだった。




