王の懐刀の到着
フィリーネは領都のから少し離れた街道沿いに発達した宿場町ディアラドに来ていた。
ここは王都とリコリアを結ぶ衛星都市で、事情もある今はハドール侯爵の縁者を迎えるには最悪の中の最高というような場所である。
「姫様、ハドール侯爵子息様がいらっしゃいました」
辺境伯より半ば専属護衛のような役割を与えられている騎士のルイーズが、フィリーネの屋敷の扉を小さくノックした後、音を立てないように開けて、そう報告した。
「ありがとうルイーズ。今い······」
「お嬢様の準備が整うまでもう少し時間が掛かるようです。ですので、それまではお待ちいただくように」
フィリーネが立ち上がろうとしたとき、珍しくリリーが言葉を遮り勝手に返事をした。
「でもリリー、気にするほどでもないでしょう?宮中伯様がいらしているなら急いだ方が······」
確かにフィリーネとしても予想よりも到着が早かったので準備が整いきっていない自覚はある。
それでも人前に、仮にも婚約者の面前に現れるための最低限以上の装いは整えていると考えているので、フィリーネは面会を優先しようとしたが······
「いいえ、御髪が乱れております。それに剣の鍛練を終えたばかりですので、せめて汗を落とすぐらいはしていただかなければなりません。というわけですのでルイーズ、侯爵子息様にはお待ちいただくようにお伝えください」
「畏まりました」
と、とりつく島もない様子だ。
おまけに普段はフィリーネを第一優先に意見を取り入れてくれるルイーズさえもリリーに同調してセドリックを待たせる構えであり、これ以上味方が増える見込みもない。
なおもフィリーネは言い募ったが、リリーが「直ぐに会えば侯爵子息様に対する不必要なやっかみを作ることになります」と耳打ちしたことで仕方なしに受け入れた。
「ですが、私の不手際で待たせることになるのですもの。代わりにお詫び差し上げたいのですけれど、何か良い案はないかしらリリー?」
彼女としては過去の話に固執しすぎるのも考えものだとは思っているが、王国、特にハドール侯爵の先祖が行ったことを鑑みれば理解もできる。
いくらセドリックとその先祖は別人だといっても、すべてを水に流すというわけにもいかないだろう。
ミスランティ貴族のことを考えれば、一応冷遇したという体はとっておいた方がよい。
ただ、冷遇してはハドール侯爵家からの心証が悪化しかねない。
故にフィリーネは代替案を求める。
「それではお嬢様、領地特産のスノークリスタルの紅茶で持て成し差し上げるのはいかがでしょうか?」
「私といたしましてもそれが善いかと。きっとハドールの家の者もスノークリスタルの優雅な甘みには舌を巻くに違いありません」
リリーは領内でも随一の紅茶で持て成すことで、間を取ることを提案した。
「その辺りが妥当かしら。それじゃあルイーズ、後は任せても良いかしら?紅茶は屋敷の侍女に聞けば分かるはずよ」
「しかと承りました」
そうしてルイーズは部屋を出ていき、リリーとフィリーネは身だしなみの最終調整を行った。
そして約10分後········
フィリーネは顔を黒い布で覆った男性と応接室にて相対していた。
月夜に光るようなサファイア色の髪色が美しく、背丈も六尺近くあると思われるほどでフィリーネの頭の高さとセドリックの首あたりが同じ高さだ。
「バルデン宮中伯様、王都より遠路はるばるいらっしゃってくださり恐悦至極に存じます。王より侍従長の地位を賜っておられる宮中伯様が婿入りいただくことを、我々ミスランティ辺境伯家は心より歓迎いたします」
部屋に入ってきたフィリーネは、優雅に見えるように細心の注意を払いながらカーテシーで挨拶をした。
「こちらこそ。改めて私はセドリック・フォン・バルデン・ハドール。デイムにお会いできて光栄です」
感情を悟ることのできない冷淡な声でセドリックは挨拶を返す。
「リコリアでお出迎えすべきところ、ディアラドでの歓待になってしまったこと、誠に申し訳ありません」
フィリーネは待たせたことを怒っているのではないかと焦って、謝罪をした。
ディアラドはリコリアよりも王都に近く、ミスランティ辺境伯領でも有数の都市ではあるのだが、辺境伯の領都ではない。
本来なら領都のリコリアにある辺境伯一族が住んでいるリアステア城にて歓待すべきところなのだろう。
今回の措置はミスランティ貴族からの批判を防ぐための特例であり、ある意味では無礼とも言える。
「構いません。私としても辺境伯閣下の事情は分かっているつもりですので」
さすが王の懐刀と言うべきか、それとも周知の事実なのかは王都に行ったことのないフィリーネには分からなかったが、彼女はセドリックが話が通じそうな相手であることに安心した。
しかし他方で、他人を遠ざけるような近寄りがたい冷淡な雰囲気は収まることはない。
貴族の礼儀として最低限の当たり障りのない世間話を交わしているうちに時間が過ぎ、日の暮れが近づく。
「それではセドリック様に滞在していただく予定の屋敷に案内させていただきます。案内人はこのリリーが務めさせていただきます」
「ええ。分かりました。それではデイム、次の風の日にまた会えることを楽しみにしています」
セドリックは口調に王命で定められた週一回の逢瀬を楽しみにしている気持ちを混ぜている。
だけどもフィリーネには気持ちが籠っているようには感じられなかった。
「もちろんですわ。セドリック様におきましては、なれない寒い土地でしょうがお体を大切になさってください」
「寒いとは聞いていたので防寒具は多めに準備しておきました」
王都とは違ってこのミスランティ辺境伯領は広い王国のかなり北の方にあるのだ。さらに北にあるリコリアよりも南にあるとはいえこのディアラドも例外ではなく、特に秋の時期以降は寒くなる。
その辺りを心配した完全なる好意であったのだが、セドリックにはあまり伝わらなかったらしい。
淡々とした返答で流されてしまった。
少し気まずくなって沈黙をつくる。
「それでは参りましょう。私が案内申し上げます」
「······」
フィリーネが沈黙している間に、リリーが案内を始めようとして、セドリックもそれに従って用意されている屋敷へと案内されていこうとしている。
フィリーネは自分の気持ちを伝えねばならぬような心地に駆られた。今伝えなければ二度と伝えられないような、そんな心地だ。
「お待ちください!」
フィリーネは必死の思いで既に馬車に乗り込もうとしていたセドリックに声をかけた。
セドリックは何事かと言わんばかりにこれまで一度も揺らすことのなかった覆いの布を僅かに揺らして振り返った。
「あなたに伝えたいことが」
「はい?······まあ聞きましょう」
政略結婚として大した興味を向けているわけでもなかったセドリックにとっては青天の霹靂で、覆いの布で他人には隠れているが、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしていた。
「わたくしはバルデン宮中伯様、いいえセドリック様のことをもっと知りたいのです。ミスランティ辺境伯令嬢とハドール侯爵令弟との対立貴族の戦いとしてではなく、たとえ政略結婚だとしても、愛すべき婚約者として、ひとりとひとりの人間同士としてお互いを知っていきたいのです。確かにミスランティ辺境伯家とハドール侯爵家は敵対していますが、わたくしたちはわたくし達です。歴史ですとか因縁ですとか、そんな禍根のせいで今を生きるわたくし達がわかり合う努力をする前から嫌い合うのは、·······えっーとなんと言いますか、違うのだとそう思うのです」
フィリーネは一世一代の告白をするかのような心拍の速さで言葉をなんとか紡いだ。
それに対する返答は「勿論です」という極々淡白なものではあったが、フィリーネにはセドリックが自分と向き合う気持ちを起こしてくれたことを感じ取った。
誰も知らないことだがこの後のセドリックの馬車の中は普段の氷のような冷気の漂う車内ではなく、少し暖かみのあるものだったそうな。




