心は揺れる
次回は火曜日の18時過ぎに投稿します。
本の紹介をした日以降も、リックは毎日のように屋敷へと来た。記憶が無くなっていて、思い出せないのが申し訳ないけどリックは、ないならまた新しく一から作り直せばいいと言ってくれました。
そのお陰でわたしは今日も罪悪感なくリックとお茶会をしているのです。
「今日の紅茶はスネーフリンガでございますか。すっと溶けるように消えていく格式高い芳醇な香りはまさに雪の結晶という二つ名にぴったりで御座いますね」
リックは紅茶の味にうっとりするような恍惚とした表情を浮かべた。口にあったようで何よりです。
「フィリーネ様は最近は何をしていらっしゃいますか?」
「読書をしていることが多いです。最近はリリーも読みたいだけ本を読ませてくださいますので」
リリーがとても優しい。
別にリリーが意地悪かったなどというわけでは決してありませんが、元々はときに厳しくといった仕様で、辺境伯令嬢として相応しい格式を持つように厳しくしていたので、あまり取れなかった読書の時間も増えました。
「それはよう御座いました。ただし、ご節操は捨てられませぬよう。後々が大変になります」
リックは読書時間が増えたことを私事のように喜んでくれたけれども、嗜めることも忘れません。もしかしたら、リリーから事前に言い含められているのかもしれません。
「リックはどうです?今は社交シーズンですしお針子仕事の最盛期なのではなくて?」
社交シーズンはちょうど今頃、冬の新年会と夏の彼岸送りの季節です。シーズン中は貴婦人のお茶会も盛んに開かれますので、そこで話題になった服装が新たな流行となって、多くの人からの注文が殺到します。
そうでなくとも春の季節のための服も作らないといけないので、呉服屋にとっては稼ぎ時であるとともに、最も忙しい時季なのです。
「そうですね。ただ、私は商品の配達と注文の承りが仕事の中心でございますから、貴婦人方のご注文の内容が固まっている今の時節は針子ほど忙しくはありませんよ」
「そうでしたね、リックは裁縫の技術もとても素晴らしいですから、うっかり勘違いしておりました」
わたしはリックにそう言われたことで、白いマフを頂いたことを思い出して、勘違いを紛らわすようにオホホと優雅に笑いました。
毎日のように来てくださっているのも、リリーが頼んでいるからだけではなく、仕事がそれほど忙しくなくて余裕があるからなのでしょう。
「お褒めに預かり光栄です」
リックは恐縮したように頭を下げた。
「針子仕事の関連で思い出したのですが、そろそろ土の女神と風の神に祈る新年の儀式があるのではありませんか?私の記憶が正しれば、そこに辺境伯一族が参加すると聞き及んだのですが」
「はい。今年も参加します。ですので、今は取れている読書の時間も次の風の日が来れば段々と減って、儀式を執り行なう巫女の振る舞いの訓練になります」
儀式は神殿の神殿長と、領主一族のうちで領主に最も近い未婚の女性が巫女として参加して行います。この場合、それに該当するのはわたしですから、今年も舞を舞わなければなりません。
「舞がどのような経緯で行われているのか、その歴史までは存じておりませんが、確か一般市民にも開放されるのでしょう?私も見に行かせていただきますね」
「儀式のときにはお店も出ているそうなので、よければいらしてください。わたしもがんばりますね」
リックに見られるのは恥ずかしいけれど、それに見合うように努力しなければなりません。
それからわたしはリックに儀式の目的や歴史などのうち、常識であるために紹介されない部分を教えました。
***
「ありがとうございました。フィリーネ様のお陰で、現地で恥をかくこともなくなりました。舞も楽しみにしております」
「決して褒められるほどの腕前ではありませんけれども、リックが失望しないように頑張ります」
リックに見られるのは何故か恥ずかしいけど、リックがミスランティに興味を持ってくれたなら幸いです。
「失望など致しませんよ。私はフィリーネ様の良いところを沢山知っておりますから」
心臓がどきりと跳ねました。失望されないという宣言はただ嬉しいことのはずなのですけれど、この心臓の鼓動は嬉しいという気持ちではなく、また別の気持ちのような気がします。
「······あ、ありがとう存じます」
わたしはちぐはぐながらも平静を装います。この妙な心がリックに知られなければいいのですけれど······
「どうかされましたか?」
案の定、鋭いリックのことです。中身までは見抜かれていないようですが、何かわたしがおかしいことを肌で感じとってしまったようです。
「いいえ、何もありません。ただ、リックが楽しみにしてくださっていいなぁと思っただけです。それよりも儀式の後日にもお祭りが開かれて、そこでは水の都リコリア名物の氷祭りが行われますから、楽しみにしていてください」
「はぁ······」
急な話題転換に動揺したのでしょう。困ったような呟きがリックの口から漏れました。ふと横を見ると、リリーが眉を抑えているのが分かります。
「普段の水の都も素晴らしいですが、その日は氷の都になるのですか。とても興味深いです。楽しみにしています」
リックは慌てて取り繕うように言いました。
氷祭りがあるから、その日限定で氷の都になるとは言い得て妙です。
そんなことを考えて気持ちを紛らわそうと思いますが、やはり簡単にうまく行くはずもなく、先程と同じ鼓動が知覚されます。
止まれ、止まれ
そう念じてみますが言うことを聞いてくれません。
「フィリーネ様、大丈夫ですか?」
「お嬢様、そんなに傾かれては危のうございます。姿勢を正しく、揺れすぎないようにしてください」
気づくと今にも倒れそうなくらいに傾いていて、リリーが立て直してくれたことで事なきを得ましたが、リリーの機転がなければどうなっていたことが分かりません。
わたしは病気でもしたのでしょうか?
一瞬、そんな不安が心を過ぎります。
心の動揺の原因を考えているうちに、リックとのお茶会は終了したのでした。
やっと恋愛らしくなってきました。
フィリーネの病名は······皆さんご存じのものです。




