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フィリーネの一大事

 フィリーネはルイーズに抱えられて宮中伯邸を後にしてから、屋敷へと運ばれた。未だ意識を失ったままだ。


「早急に姫様が休める準備を整えてくれ。それとリリーに姫様の寝室へと急ぐように連絡を」

「は、はい!分かりました!今すぐ」


 扉の近くを掃除していたとある下級の侍女は彼女にとって雲の上の存在であるルイーズに話しかけられたことに動揺した。


 しかしルイーズの背中でぐったりとしているフィリーネをみて、その動揺はすぐに消え去り慌てて屋敷の中へと向かった。


 そしてそれを見届けてから、ルイーズも他の侍女の助けを借りてフィリーネを部屋のベッドに寝かせる。


「どうしたのですか、ルイーズ?エミリーが至急こちらに向かうようにと貴女から言われたと聞きましたが?」


 不思議そうな顔をしてやって来たリリーだったが、横になって完全に眠っているフィリーネを見て、手に持っていた雑巾を落とした。


「何が····あったのですか?」


 茫然自失とした様子でリリーはただ空虚に問う。視線はフィリーネを捉えているようでありながら、また別の何かを捉えているようで、錯乱していることが手に取るようにわかる。


「······説明させていただきます」


 静かに、そして悔しそうにルイーズはその部屋の音を支配した。そして話す。


 宮中伯邸でセドリックと会うために執事と交渉をして、やっとのことで案内してもらえたことを。

 しかしその部屋にはセドリックはいなかったことを。

 フィリーネが訓練場でセドリックを見つけ、ルイーズが見失っている間に二人が会話して、その過程でおそらくフィリーネが酷く傷つく何かがあっただろうことを。


「私が辿り着いたときには······もう手遅れでした。訓練場の景色が開けると同時に姫様が横に倒れるのが見え、頭を打たないように支えるだけで手一杯。その後宮中伯を問い詰めましたが、まるで相手にならず······」


 リリーは絶句した。フィリーネがセドリックのことを少なからず好ましく思っていたことを常日頃から一番近くにいたリリーは知っている。家族に対する親近感のようなものだと言っていたものの、心の底ではそれ以上の感情が生まれていたことを知っている。


 正直、ミスランティのことだけを考えればあまり良いことではない。独立志向の強いミスランティの貴族達にとって、侍従長でありハドール侯爵家の人間であるセドリックな邪魔な存在だからだ。下手を打てば固い結束を誇る領内で内部分裂が起きる可能性も否定できない。


 まだリリーが騎士をしていた若い頃に今と同じ状況になっていたら、表面ではフィリーネを憂うような素振りを見せながらも内心では喜んでいただろう。


 しかしリリーが初めてフィリーネと出会ったときから、リリーにとっての一番大切なものはフィリーネになった。だからこそフィリーネの気持ちを最優先するつもりだし、そのために影から支えてきた。



 元々フィリーネは外部から見られるほど強くない。確かに勇敢ではあるのだが、それは生来の物というよりは領地や領民の安寧を願う過程で芽生えた気持ちが勇敢さという形で世に現れたものだと思っている。


 敢えて生来の性質を明示するならばそれは"優しさ"だ。その優しさは人に責任を押し付けることを良しとはしない。良い方に転がれば良いのであるが、そうでなければ弱さともなりうる諸刃の剣だとリリーは推察している。


 リリーの沈黙を、無言の責めだと考えたのか、ルイーズが謝罪する。


「申し訳ありません。リリーは反対していたのに、私が、私が姫様の肩を無責任にも押してしまったから!姫様が傷ついて苦しむ可能性を心の何処かで理解しながらも目を背けてしまったのです」


 こうなったときからルイーズの心には自責の念が絶えなかった。リリーが正しかった。あのときにフィリーネの味方をするのではなく、リリーと一緒にフィリーネを優しく諭していたならば違ったのではないか?そう思わずにはいられない。


「貴女のせいではありません。全ては宮中伯が原因です。親密になるつもりがないのなら、どうして仲良くなれるような素振りをしたのですか!どうして最初から冷徹な態度でお嬢様が近づく気持ちも湧かないような行動をしなかったのですか!挙げ句の果てにお嬢様を傷つけて倒れるまで追い込んだ!」


 普段はフィリーネに負けず劣らず優しい面を多く持つリリーが声を荒らげる。


(リリーとはこれまで長いこと、それこそ姫様が生まれる前に私の友人であるカナリア様の下にいた頃から共に働いてまいりましたが、これほど特定の誰かに対して心の底から怒る姿を見たことがありません)


 ルイーズにとってリリーは感情に流されて突っ走りがちな自分を押し留めて、いつでも冷静に物事を判断し、決して我を失うことがない人物だった。

 そのリリーがここまで怒るのは二度目であり、一度目は内戦の時だ。 


 その時······


「違う、違うの」

「お嬢様!お目覚めですか!?」

「リリー、寝言のようです」


 フィリーネの呻くような声に、リリーは目覚めたのかと勘違いして飛びつく。それをルイーズは左手で制する。


「セドリック様は、悪くない、の、です。悪い、のは、わたし、勝手に近づいて、セドリック様の目的を邪魔、したから······ぜんぶわたしが、ぜんぶわたしが······」


 寝言であるようだ。

 自責している。ここまで追い込まれても元凶であるセドリックのせいにしなかったのはフィリーネのさがゆえだ。


「あぁ、おいたわしやお嬢様。あなた様に悪い所など一つもないのに。優しく、ただ優しすぎるばかりに、限界まで全てを抱え込んでしまわれた」


 リリーはフィリーネの眠るベッドに寄り添って涙した。

 ミスランティ辺境伯家とハドール侯爵家の両家の対立が激化しないことを願って、セドリックと良好な関係を築こうとしたフィリーネの行動が昏倒という最悪の結末に終わったことを悲しむ。

 そしてリリーにとって何より大事なフィリーネが背負った苦しみを想って嘆いた。


 ***


「お嬢様、お目覚めになられたのですか?」

「リリー、ここは?城にいたはずだけど」

「お嬢様、······まさか記憶を?」


 やがてフィリーネは目を覚ました。しかしそこに、今までのような元気さや強い意思は微塵も感じ取れない。


 ただ揺蕩うような虚ろな瞳が光を失って煌めいている。


 その脳裏にセドリックという名前は存在しない。

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