変り身
「セドリック様!·······お元気そうで何よりです」
フィリーネは大きな声で元気であったことを祝福したい気持ちは山々なのだが逸る気持ちを抑え込んで、貴族らしい落ち着いた微笑みを整えてから挨拶をする。
部屋に入るときには大声で叫んでいたし、名前を呼ぶところは取り乱したような落ち着きのない声になってしまったが状況を考えればそれもご愛嬌というものだろう。
「お久しぶりです。デイムも元気にお過ごしだったようですね。······屋敷へと入れるよう交渉を続けた上に結界まで張ってこちらにいらっしゃったのですから」
「セドリック様のお見舞いをしたかったとはいえ、宮中伯邸に押し入るような真似をしてしまったことは心よりお詫びします」
フィリーネはセドリックの言葉を咎め立てであると解釈して素直に謝罪した。
他にもフィリーネは無断で屋敷内を駆け回ったのだが、セドリックはまだ知らないのでここでは言及されていない。
「とにかく、ご病気が完治したようで安心いたしました。ここ最近は寝込んでいて会えないことが続いておりましたから」
「そういえばそうでしたね」
その短い言葉のなかにフィリーネは好意的ではないものを知覚したが、矢庭にセドリックが侍従長時代、取り決めの不履行や予定の正当な理由のない急変更に厳しかったという逸話を思い出して、それに該当してしまったのかもしれないと考えた。
「それで、デイムは病人がいるはずのこの屋敷に一体全体何をしにいらっしゃったのでしょうか?」
「セドリック様がどんな症状を持っているのか確認してそれを基に御届けする果実の種類を決めようと思いまして。······セドリック様には心から早く完治して欲しかったですから。ですが回復なさったそうなので必要なくなってしまいましたね」
おどけるように言って、少し寂しそうな顔をする。だけれども心配が良い方向に杞憂に終わったことはむしろ喜ぶべきことだ。フィリーネは純粋にセドリックの快復を祝福した。
セドリックの表情は布に隠されて読み取れない。
「デイム······」
「······ああ、御病気が治られたのならもうこの結界は必要ありませんね。リリース」
透過防止結界:アルフューラが解除されて、フィリーネとセドリックを隔てていた薄く碧い壁が消えた。
霞んで見えていたセドリックがフィリーネの目に明らかになり、夜空に光る美しい髪が露に映った。
(何度みても美しい髪······でも今日の色は少し黒い。上手く言えないんだけど、なんというか何か重いものを抱えて決意をしているような······)
少し不審なものを感じたのには違いないが、その原因となるものが分からないのでフィリーネは探りつつ会話を続行する。
「それで、何時に致しますか?」
「なんのことでしょう?」
セドリックが首をかしげる。まさか忘れていようはずもない。手紙でも何度も言及していたし、そうでなくともセドリックが予定を忘れることなど噂にもなったことがない。
「何って、もちろん逢瀬についてに······セドリック様、ちょっと動かないでください」
フィリーネが見つけたのは虫······ではない。おそらく訓練の時についたであろう傷から血が出ている。フィリーネはおもむろに騎士服に用意しておいたハンカチを取り出す。
そして優しく手を伸ばす。
その時、セドリックはフィリーネの差し伸べられた手を弾く。間違いなどではなく、そこには明確な意思を感じる。
「セドリック様·······?」
フィリーネは何が起こったのか分かるのに解らないまま、ただセドリックを見つめる。そして、フィリーネは知りたくない事実に気づいてしまう。
それまで、フィリーネは気がつかなかった、否、気づいてはいたが脳が理解することを拒んでいたのだ。
セドリックの対応が初対面の時と同じ、ともすればそのときよりも融和を拒絶するような冷淡なものに変わっていたことに······
(そういえば、今日は会ってから一度も"フィリーネ様"って呼んでもらえてない。ずっと"デイム"って呼ぶばかり)
後から考えれば兆候はあったのだ。名前呼びの件も然ることながら、口調が氷のようなものであること、最近は少し分かるようになっていたセドリックの布に隠された表情が見えなくなっていること、等々探してみればいくつも該当する。
先程フィリーネがデイム呼びを遮ったのももしかすると彼女が無意識のうちに止めさせるため、やったことなのかもしれない。
「私は今まで臥せっていた訳ではございません。それどころか頗る元気にしておりました」
「え·······?」
フィリーネは今度こそ何がなんだが理解できなかった。考えることを拒んだわけでもなく、必死に理解を試みているにも関わらずである。
(臥せっていなかったってことは病気だったというのも嘘なの?そうだとしたら、どうして?なんのためにそうする必要があったの?いつから?途中までは本当に病気だった?いやいや、そうだったらわざわざ療養を引き伸ばす理由もないはず、きっと最初から嘘を······ということはわたしがお見舞いしようとしてたのは無駄だったってこと?)
疑問はどれだけ思考を巡らせても何周同じ問題の周りをくるくると旋回しても解けない。堂々巡りの蟻地獄をさまよう。
「このような心ない言葉を御令嬢に告げていたずらに傷つけたいわけではないのですが、これ以上は明晰に言っておかなければ理解してもらえぬようですので言わせていただきます」
返答もできないほど処理が追い付いていないフィリーネに対してセドリックは顔色ひとつ変えないように見せて続けた。
「病気というのは嘘です」
混乱して錯乱しているフィリーネをさらに襲う賢く冷徹な獣のような言葉尻が突き刺す。
それは記憶を失うほどの壮絶で悲しい過去を抱えた少女にはあまりに厳しく残酷な言葉だった。
フィリーネは小さく一言、「どうしてですか?」とそうとしか問えなかった。踏み込みたい、事実を知りたいと思う気持ちと、何も知りたくない、傷つきたくないという気持ちとが拮抗しあっている。
本当は今すぐにでも逃げ出して事実から目を背けてしまいたいのだが、足が言うことを聞いてくれない。
心と体がちぐはぐに動いていて、フィリーネは今どこにいるのかさえ分からなくなった。
「私は王国を守るために来たのです。貴女と馴れ合う為でもなければミスランティ辺境伯領に利益をもたらすためでもない。貴女と共にいるとその本分を忘れてしまいそうになる」
セドリックは平静を装ったまま何度も何度もフィリーネに刃を突き立てる。言葉で型どられた鋭利な刃物は漏れなくフィリーネを突き刺して、フィリーネの平常心やセドリックとの記憶を奪っていく。
フィリーネはもう覚えてはいないが、内戦の時に友人が処刑されている図を見たときと全く同じだ。信じていたものが崩れ去るとき、大切なものが消えていくとき、そんなとき心優しすぎて過酷な環境に弱すぎるフィリーネは勇敢令嬢と称えられる影もなくなってしまう。
「まだまだ言えます·······お望みであれば、デイムが満足するまでは何回でも何度でも言って差し上げましょう。諦めてくださるまで」
「あ、あぅ、···········うっ、·················あ、あぁぁ·············あぁぁぁぁぁぁ··········」
フィリーネは涙と共に声にもならない悲鳴のような人間が壊れる音のようなものを上げた。
「姫様!ご無事ですか!」
ルイーズが扉を蹴破って侵入してくる。どうやらセドリックか執事かのどちらかが扉に防御結界をかけて開きにくくしていたらしい。
フィリーネはルイーズの姿を目の端に捉えて、言葉を発する力をも失って、そのまま意識は暗転した。
明日は共通テストがあるので、投稿するつもりではいますが、どうなるかは分かりません。23時頃にしていなければ明日はなしということになると思います。




