舞台裏 その頃の王の懐刀
フィリーネがカナリアからお茶会の作法を叩き込まれている頃、セドリックはディアラドの屋敷で部下からの報告を受けていた。
「旦那様、ミスランティ辺境伯領の隅々まで聞き込みを行って参りましたが、やはりここの領民は内の結束が固い上に、特に田舎に行くほど部外者への警戒心が強いのであまり有力な情報はありませんでした」
ジュードが申し訳なさそうに謝った。
彼らには私が出向くことのできない地域での情報収集を担わせていたのだが、首尾はよくなかったらしい。
「そう気に病むでない。元来より難しい任務であったことは承知の上だ。その中で其方は何を知り得た」
「はっ。旦那様の予想通り貴族達の大半は王命に対して、隠すこともなく酷く反発しているようです」
「そうか」
だろうな、と私は思った。
元々私の実家、ハドール侯爵家とは不倶戴天の敵対関係にあった場所だ。
そんな家から勇敢令嬢ともあろう人物に年増の、しかも王国の中枢部にいる人物が送り込まれたとなれば、不安や怒りなどの様々な負の感情が煮えたぎって反対するに違いない。
むしろ大人しくしていた場合は反乱を起こすために、王国を油断させる意図があるとしか思えない。
「しかしそれにしては公の反応が薄すぎるな。道中、襲撃の一度や二度あってもおかしくないと思っていたのだが······」
私は不審に思って呟いた。
無いに越したことはないのだが、私自身確実に襲撃で自分を亡き者にすることで王命を退けようという短絡的な行動に出る人物がいると思っていた。
それを理由にミスランティ辺境伯領の不穏分子を排除しようというのがフェルナンド様の思惑だ。
ミスランティ辺境伯領は必要だがそっくりそのまま残したいわけではなく、あくまでも王国に従う余地のある人物だけを残すつもりであられた。
特にレプトン伯爵などは現時点では王命に反対の意を隠さない上に反乱分子である別の領地の貴族と関わりも見え隠れする危険人物だ。
「それに関してですが、辺境伯夫妻やその近辺が押さえ込んでいるようにございます」
「なるほど、合点がいった。そういえば辺境伯夫人はあのカナリア様であったな。彼女であればレプトン伯爵の娘でもあるし、あの影響力をもってすれば抑えられるか」
最初にこちらに来た際におそらく無駄に時間を開けたのは為政者として非情になれないフィリーネ様が思い付くような手段ではない。
しかし彼らの不満を避けるための辺境伯夫人の計略だと考えれば納得がいく。
あの場には夫人の友人である細麗の騎士リリーや白馬の麗人ルイーズがいたのだから、フィリーネ様の意見を逸らすことも可能だろう。
「辺境伯の動きはどうだ?伯爵に同調する素振りを見せてはいないか?」
「はい。今のところは······リアステア城に潜り込ませている手の物からの情報ではむしろこれからの方針を巡って独立派の伯爵と慎重派の辺境伯の間で数日前に口論が起こったようです」
我々を油断させるための演技なのか、それとも本当に亀裂が入っているのか、とても今の状況では見出だせそうにない。
「エーレンフェスト侯爵の動きは?」
私はエーレンフェスト侯爵が王命の発令の後、私が宮廷を後にしたのちに、ミスランティ辺境伯領内へ視察の名目で入っていたことを思い出した。
彼は王国に忠誠を誓い、内乱の際にも反乱領地に周囲を囲まれながらフェルナンド様を支えた忠臣だ。
疑う訳では無いが、特に理由を告げることもなかったその行動には何かしらの意思があるものと思われる。
侯爵はミスランティ産の紅茶を好んでいたゆえに、単なる取引交渉に出向いたとも受け取れるが······
「今のところは目立つ動きはしておりません。伯爵と辺境伯のどちらとも面会をしておりますが、侯爵がミスランティを訪れたときは過去にも、どちらとも面会をしております」
元々侯爵は前辺境伯と伯爵のどちらとも懇意にしていた。
その時からの縁であるのだから、面会自体はおかしくはない。
「引き続き警戒を怠らず、何かあれば報告するよう」
「はっ」
私は部下を下がらせる。彼は音も立てずに消えた。
一人になった部屋の中、温かみを帯びた魔法灯が凍りついた私の背中を溶かしつつあるのを感じる。
そういえば、フィリーネ様はいかがお過ごしだろうか?
「おかしいな。ただの一度たりとも他人の消息を心配したことなどなかったのに」
私はおそらく薄情な人間だろう。
上司として尊敬していた前侍従長が内乱において戦地で帰らぬ人となかったときも、兄が明日も危うい重い病気の時も、時局への影響を心配こそすれ、当人のことを心配したことは一度もない。
"わたくしはセドリック様のことを知りたいのです"
彼女の言葉があれから何度も心の中に木霊している。
あれほど真っ直ぐな気持ちをぶつけられたことも、あれほど政治の世界に穢れていない清浄な感情を見たことも、親友と呼べる人物を除けばいつぶりのことだろうか?
何がそうさせてしまったのか、暇があるごとにいつも、気がつくと彼女のことを考えてしまっている。
"セドリック、お前は恋愛などしてはならない。お前のために死んだあの人のことを忘れ去ってもいいのか?"
心に巣食う、色褪せることのない記憶が私を蝕む。
反乱軍を討伐するために昨日までの友人の家族を陥れていたあの頃、嫌気が差して街を放浪していた私を包み込んでくれた恐らく年下の少女の姿が頭を過る。
刺客に狙われた私を守るために勇敢にも刺客達を引き付けて、それから二度と戻ってくることのなかった彼女
私は彼女への思いに囚われている。
"お前がやるべきことはミスランティ辺境伯一族の力を削ぐこと、そんなお前が恋心など持っていいのか?"
もう一つの囁きが耳を刺した。
私の任務を果たす以上、きっとあの心優しい少女を傷つけることになってしまう。
非常に徹しなければ、あの時から私は、主の他には誰のことも大切に思わないと決めたのだ。
私は融解しつつあった心を氷の檻に閉じ込める。
さて、そろそろリックを使って内部へと切り込んでいくときか
あれを使って少しでもあの心優しい少女の心が手遅れになる前に、早く決着をつけねばなるまい。
私は空を仰いで、次の指令を下すのだった。




