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最後にお一つ雪の花を  作者: 千野狐狼
プロローグ
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11/14

雪融けを告げる白い桜―10

凄まじい勢いで迫るそれに気付き、凛は前方へと体勢を低くして飛んだ。地面に映る丸い影がどんどんとその輪を広げていく。

「くっ!」

影の外にどうにか飛び込んだ凛の背後で、

――ズウウウゥゥゥゥゥゥゥゥン

と、地面を揺るがす程の衝撃と共に爆風が広がった。辺りに散らばっている残骸諸とも、体の向きを変えようとした凛も防ぎようのないその爆風に煽られて、壊れた本殿の裏手まで吹き飛ばされる。

(あいつ…………!)

それでも吹き飛ぶ中で凛はバランスをとり砂利へ鞘と刀を突き立てた。摩擦と掘削音を立てて二本の頑丈な杖により吹き飛ぶ勢いが殺される。はためく着物や乱れる髪が治まるのに合わせて止まった所で、凛は眉間にシワを寄せた鋭い目付きで上を向いた。

影の原因と爆風の原因は、餓鬼の大将の足による踏み潰す行動だったらしい。体から足二個分の位置に片足が出ている。いくら痩せこけて細い体とはいえ高さ約二十メートルを支える足ともあり、足一本の幅が五メートルはある。踏み潰されることなど容易くても避けることは難しい。

凛も真上にそれを見た瞬間は突如発生した暗雲にしか見えなかったのだ。そこで足踏みなどされたらあとには何も残らないだろうし地震に匹敵するだろう。足の大きさだけで見ても爆風が発生するのは頷けた。

そんな餓鬼の大将はその如何にもな体に見合った地響きを立てながら凛へと体を向けた。月明かりで照らされて明暗のついたくすんだ緑色の顔はまるで巨大な鉄球のようだ。その顔が斜め下を向く。

「ギサマ……グウ」

餓鬼の大将の足が動いた。凛は地響きで震える体をそのままに、

「食う前に一つだけ聞かせて」

と、餓鬼の大将へ向けて言った。

「あなたより強い奴を知らない?」

「オレザマガイヂバン」

「…………」

凛は尋ねた自分を恥じた。空腹でほぼ本能だけで動く餓鬼に何かを尋ねるというのはやはり間違いだったのだろう。二歩で歩み寄ってきたそれの前で凛は溜め息を吐いた。

「ギザマイバオレザマヲバガニジタナ」

風音がしそうな程の大きな声を出した餓鬼の大将に凛は不適に笑う。

「食べる罪で地獄に落ちたにも関わらずそれでも食べたいなんて、正しくその名に違わぬ餓鬼じゃないですか?」

「ギザマニゴノグツウガワガルガァァァ!」

いきり立った餓鬼の大将がそこで足踏みをした。地面が激しく揺れる。

凛は突き立てた刀と鞘を支えにして、それが治まるのを待ち刀を抜いた。何も知らず聞けない以上、もうこの餓鬼の大将に用はないのだ。

「その苦痛もあなた自身から生まれた物。自業自得です。それがそんなに馬鹿みたいに大きいのに分からないから、餓鬼なんですよ」

「ウウウウウ…………オオオオオオオオ!」

凛の言葉に対する憤怒のあまりか、餓鬼の大将は体を震わせると刀のように並び立つ歯が見える巨大な口を開き咆哮を挙げた。

痙攣でも起こすかのように空気が震ええ、木々がざわめき、地面の砂利や小石がカタカタと揺れ動く。

凛は耳をつんざく程のその雄叫びに眉をしかめながら手にした刃を餓鬼の大将へ向けた。そして瞼を一瞬だけ閉じ、冷たさの籠る目付きで天を仰ぐそれを見る。

「地獄へ帰る前に、最後にお一つ雪の花はいかがですか?」

「オオオオオオオオォォォォォォォォォ!」

凛の言葉が顔をこちらへ顔を向けた餓鬼の大将の雄叫びに消えた。

天を仰ぐ姿から体を前へと傾け、自身の雄叫びに力を乗せるかのようにした餓鬼の大将は、細くしかし太い腕を眼下の凛へと突きだしたのだ。一本でも人を容易に貫けるであろう五本の爪が凛目指して物凄い勢いで空気を切り裂き進んでいく。

凛は一つの橋のような腕のその遥か先にある物を見据えて地面を蹴り飛ばした。その衝撃で震えていた小石が辺りへと飛び散る。

空中へ躍り出る凛の眼前に細くしかし人からすればかなり太い腕と爪が迫る。凛は刀と鞘を握り締めた。空中では止まらない体が餓鬼の大将の爪に貫かれる間合いと範囲に入る。逃れる事の出来ないであろう空気の壁が前から押し迫った。

爪が――――掠める。

貫かれるその直前、凛は鞘を握る手を前に出しその鞘を横へと倒したのだ。さらにそれを軸にするかのように重心を背中へと傾け空中で仰向けになった。

凛は餓鬼の大将の突き進む爪が鞘に当たるその一瞬を狙い――

「ぐうっ…………アッアアアア!」

爪の先が触れた瞬間に力任せに腕を振り爪を弾いたのだ。しかし、餓鬼の大将の腕力は凛の力で弾くことはできずその勢いは止まらなかった。不動のまま地面を目指して風を纏って突き進んだ。

しかし、その先端に凛の姿はいない。

凛は爪が鞘に触れるその一瞬に込めた力をバネにして地面へと落下するように回避していたのだ。弾いたのは爪ではなく凛自身である。さらに地面へと叩きつけられる程の勢いで落ちるその途中で、寝ていた体を縦へと戻した。

僅か二、三秒程の中で、凛はそれだけの事を、確実に素早く餓鬼の大将を仕留めるための次へと繋げるための事をして、地面へと粉塵を巻き上げて衝突した。その一歩遅れて餓鬼の大将の爪も地面へと砂利を抉るようにして衝突した。

瞬間、凛は餓鬼の大将の首元にいたのだ。

先程の衝突の直後――――凛は地面に着いたその衝撃を殺さず、ポンプのように曲げた両足を生かして、見据えたそれに向けて無理矢理力を込めて飛んでいたのだ。

それはボールを落とした時の反動と同じ用量で、落としたボールは只では落ちない。落下する力と速度、それに比例した反発力を受けて跳ね返る。

普通ならば衝突した瞬間に足の骨や腱が砕けるためにこなせない。しかし、凛の足は普通の脚力をしていない時点で出来ることが違ったのだ。

爪が鞘に当たるまでの一瞬の内に考えたその荒業を凛は試みて、見事に成し遂げた。

そうして成し遂げた事を生かして向かうは腕の先に捉えた時と同じ、餓鬼の大将の首だけである。

それでも着地の瞬間に足が耐えられる容量を越えた衝撃にピキビキッと音はしたが、餓鬼の大将の首を取るため代償のための足の一つや二つにヒビが入るくらい大したことはないと、痛みを堪えながら凛は風を体で切って進んだ。

そうして餓鬼の爪が地面に衝突したその時、凛は刀を握り締めたのだ。

頭上には餓鬼の大将の顎。遥か下には醜く膨れた腹。目の前には餓鬼の大将の腕よりも細い首。

捉えたそれと止まらぬ勢いのまま凛は腕を振った。

――雪融けを待ち堪え忍ぶ花は春に強く逞しく芽吹くのだと思いながら。

「斬魔刀・忍冬!」

叫び振った腕が横一線に綺麗に餓鬼の大将の首を切り裂いた。上下に道が拓くが如く餓鬼の大将の頭と胴が分かれる。その間から噴出する血の壁へ凛は突進する。空中で進む勢いは殺せない。餓鬼の大将の首から上が重力に何一つ逆らう事なく地面に向けて落下する。

「ギャアアアアアアァァァァァァァァ!」

見事なまでに輪切りされて首を露出する胴体の主が、まだ両足で立つ自分の体にある首へ鞘を打ち立てる凛の背中を見ながら頭だけで落ちてゆく。

凛は爆発的に飛んだ勢いの体を止めるために、餓鬼の大将の生々しい肉が露出する首へ打ち立てた鞘で引っ張られるのを感じ、立てた鞘を軸に体を反転させた。

眼下には地面に刺さったままの爪とそれに引っ張られて傾く体と境内所か花日町一帯が眺望できた。それでも夜の町の煌めく姿は一瞬である。

凛は鞘を突き立てたまま浮いた体の重心を下へと移し、鞘を引き抜いて落下する。すかさず刀を傾く餓鬼の背中へと切りつけて、落ちる勢いをそのままに裂いていく。

そして股下で、餓鬼の大将の首と対面し、

「ギザ……マ……」

「まだ喋れるなんて天晴れです」

首から両断して尚も喋る餓鬼に呆れて凛は一瞥くれてやった。普通ならば両断した時点で死んでいるのに。

直後、両者共に地面へと砂塵を散らして、

「うっ!」

「ガハッ!」

到着した。

続けて餓鬼の大将の胴体が森まで達する程に倒れ込んだ。粉塵が砂嵐のように舞い上がり、木々が次々に音を立てて薙ぎ倒されていく。この惨劇の跡が鳥居の外の道路にまで飛び散った。

一瞬の騒音を繰り広げた境内周辺はやがて何もなかったかのように静まり返る。さらさらと風に流れる砂の音だけが辺りを包んでからしばらく、咳き込む声がした。

凛は徐々に足から消えていく餓鬼の大将のその足元で、刀と鞘を杖にして起き上がった。その拍子にやはり足にヒビが入っているのか、腱が切れているのか、痛みが体を駆け巡った。それでもどうにか痛みで震える足で立つと、薄れゆく粉塵が舞う辺りを見回した。

本殿など餓鬼の大将が倒れ込んだために下敷きになっている。餓鬼の大将が出てきた時には既に原型はほとんどなかったため更地になっているだろう。

鳥居は依然として変わらないが敷石はひび割れて土壌が露になっている場所もある。木々は数本薙ぎ倒されているだけだ。周りには本殿や敷石、木々の残骸が大小転がっている。

それ以外に変わったところはなかったが、ここが神社だったことを証明するのは鳥居くらいの物である。元の面影は何一つもなかった。

惨状を目の当たりにして凛は深く息を吐いた。復元することは不可能だ。元に戻すような魔法の力は残念ながら凛にはない。この荒れた場所は誰かが手をつけない限り戻らないのだ。

だからこそ凛は安心した。これが町の中心ならば壊滅しても可笑しくないのだ。凛は化け物を倒すことが出来ても、化け物によって壊れたものを戻すことは出来ない。死んだ人間を生き返らせる事もだ。

凛はこの神社の惨状が子守神社や町でなくて本当に良かったと胸を撫で下ろした。同時にあの二人を連れてこなくて良かったとも思った。この中にいたら恐らく凛は助けるような暇も餓鬼の大将を外に出さずに仕留めることも出来なかった。

その事に安堵した凛は餓鬼の大将の体が消えたのを確認して、目を見開いた。

「ギ……ザ……ユルザ、ナイ」

消えた体の下にあったらしい餓鬼の大将の頭が潰れたような姿で横になって転がっていたのだ。血塗れでまだ残っている事だけでも驚くところをまだ意識が残っている事に尚更凛は驚いた。餓鬼の大将は首から両断されているのだ。

これが真の化け物の恐ろしさという物だろうかと考えながら、凛は自分の体ほどもある餓鬼の大将へと近付いた。こうなれば止めは確実に差さなければならない。ここまで生きているのだから放っておいて体が再生されたらたまった物ではないからだ。

「オバエ」

「そうですか……」

餓鬼の大将の言葉を凛は冷たく遮った。

刀と鞘を杖代わりにして歩くも、やはり足は一歩ごとに痛みで呻き声を上げてくる。思わず歯を食いしばるが、それでも痛みに堪えかねて顔に苦痛の二文字がはっきりと浮かぶ。

「ギザ……!」

餓鬼の大将は目の前に迫る凛を見て口を閉じた。鞘と足だけで立つ少女が刀を自身の眉間に向けていたのだ。

しかも、その目は殺気を直に感じるほどの鋭く恐ろしいものをして睨んでいたのだ。

「少し黙って頂けますか?」

凛はそう言うと下を向いて息を吐いた。

これに用はないのである。切り捨てた所で困るような事もない。聞きたいものは全て聞き無に帰った。役にも立たず暴れただけである。自身の人としての生前の罪から与えられた空腹を満たすために。罰だけが続く永遠の地獄からようやく出てこれた故に。

凛は目が泳いでいる餓鬼の大将を見つめた。

「最期に、本当に最期に、あなたを……貰います!」

凛は躊躇いもなく眉間に向けたままだった刀を突き出した。血が噴き出す間もなく餓鬼の大将は空へ向けて砂のような肉片を放ち消えていった。

凛は支えを無くした刀を地面に真っ直ぐに刺した。

これで餓鬼の大将自体は死んだのだ。しかしこれで終わりではない。まだやることが残っている。開けられた地獄の道を閉めることだ。

それを終えるまで凛は休めない。休むことはできないのだ。しかし、そんな心情に反して体は正直だった。今すぐ休み座りたいとまでも言わんばかりに力が抜けていく。

少しの間でも良いから座ってしまおうか。そう思った自分に凛は首を振った。事態は争うような事である。次の餓鬼がいつ出るとも分からない。今の体の状態では一体出るだけでも大変な重労働である。だからこそ出ないうちに閉めてしまわなければならないのだ。

凛は動こうとするたびに一々激痛の呻き上げる足に鞭打ってその場所へ歩こうとして何かに気付いた。

タッタッタッタッとリズムを刻むような微かな音がしたのだ。

「凛ちゃん!」

自分を呼ぶ声に凛はそちらを振り向いた。鳥居の下で、息が切れているのか、両膝に手をついている二人組がそこにいた。静寂の中に二人の肩から息をするほどの弾んだぜぇ、ぜぇという呼吸音が聞こえる。

凛はそんな二人を見て喜んでよいのか、呆れて良いのか迷い、同時にほっとしてどっと疲れるのを感じた。

二人は本当にここまで来たらしい。ついてきたところで意味も何かあるわけでもないのに、息を切らして走ってきたようだった。瑠美の方は限界なのか地面に尻餅を着くようにへたれこんでいる。宗太の方は膝に手をついて下を向いている。そこまでして来ることでもないのに、二人はこんな所まで来たのだ。

とてつもなく馬鹿げている二人である。恐らく何ができるのかもわからない、何もできないのを分かっているのに来たのだろう。餓鬼の恐ろしさを目の前で見て、それを殺す自分を見たにも関わらず、何を思ったのか来てしまったのだろう。凛は二人が見えた瞬間にそう呆れ果てていた。

けれども、丁度良い二人でもある。餓鬼の大将が死んだ後に来た二人は運が良かったのだろう。災害級の戦いに巻き込まれることもなく、頭だけで喋る真の化け物を見ることもなかったのだから。それらを見ていたら二人は間違いなく発狂するか気絶しているに違いないのだから、良いタイミングで到着したと凛は心なしか嬉しかった。

凛はそれと同時にもう一つ安堵の気持ちを覚えた。これから地獄の道を閉めるためには二人がいなくてはならなかったのだ。先程の無理が祟っているのか、やはり足を動かす度に痛みが走り、刀を杖にして歩くのがやっとの状態である。二人には協力してもらわねばならないのだ。

「お二人とも……」

気持ち大きめに声を出して凛は二人を呼んだ。二人がぱっとこちらを向く。二人が動けるのか怪しいところではあるが、凛は刀と鞘を杖代わりにしてようやく立っている自分よりもマシだと思い言った。

「申し訳ないのですが手伝って欲しいんです。足が痛くて動かなくて」

「分かった!でも……もうちょい待って」

「あと一、二分で良いからタイム!」

不甲斐ない今の自分が手伝ってもらうのだから数分なら大丈夫だろうと思い凛は頷いて返した。

凛は地獄の道を閉める方法はもう考えていた。御札などの書き方を凛は知っている。その紙と筆はないが代わりに敷石と倒れた樹木がある。筆になるものもあることにはある。気休め程度かもしれないが、それを実行するだけなのだ。効力が表れるか否かはやってみないと分からなかった。

凛はそれを考えて、耳に入ってくる音に気付いた。二人を見るが動いていない。その事に周囲へ顔を向けようとした凛の目の前を黒い影が横切る。

「お二人とも一度逃げてください!」

叫んだ先で二人が顔を正面に向けた。

「餓鬼!?」

「嘘でしょ!?」

二人が慌てて逃げるよりも速く、腕を突き刺す形に構えた餓鬼が迫る。宗太が座り込んだ瑠美を起し、瑠美が立ち上がって二人とも走り出そうとしていた。しかし、その時には餓鬼が瑠美の前にいた宗太に触れそうな距離にまで達していたのだ。

ク、ワ、セ、ロ。と、餓鬼の口が動くのを宗太は目の前に捉えた。人外の生き物の息が掛かりそうな距離の恐怖に立ち尽くし、宗太は目を瞑った。

言葉にならない凛の声が夜空に響く。

ブシュッ――――と、何かを切り裂く音がして、同じく目を瞑った瑠美の悲鳴が虚空のような闇夜へしばし木霊した。

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