雪融けを告げる白い桜―9
まるで手付かず森の中に突如現れたように立つ巨大な天という時にも似たその天辺に凛は降り立った。月明かり以外照らす物もない中でのそれは、とても紅く染められた物とは思えないほどどす黒い色をしていた。
春の夜風を浴び、空中を屋根や木の枝を伝って飛びながら最後に凛が足を止めたのは鳥居の上だった。高さ五メートルはあるその場所の天辺は遮るものがあまりなく冷えた風を直に受ける。死装束のような白い着物の中にTシャツとスカート以外身に付けず数キロを風を切りながら駆け抜けてきたためか、その寒さは凍えるような物だった。その寒さを身震い一つで払い凛はそこから目の前に広がる光景を見て息を潜めた。
仮にも神社内の鳥居の上に降りるなど言語道断だと凛自身思っている。だが、凛はここを神社とは到底思えなかった。
小高い丘の上にある鬼伏神社は周囲を森で囲まれていた。そこに明かりはなく車道にある街灯も十メートル程離れて設置されている。後方にも当然の如く森があり、凛が鳥居の上で背伸びをしてようやく視界に町の明かりが見えるほどだ。凛が通ってきた道なき道から見る限りでも民家と言えるものはほとんどなく、まるでこの神社全体が町から隔離されたような場所だった。
その境内は至ってシンプルで、鳥居から先には砂利で左右を囲まれた敷石の参道があり、その先には賽銭箱の置かれた小さな本殿らしきものがあるだけだ。素朴で何の飾り気もなく、神社というよりは寺に近いものだった。どこまでが境内か把握できない造りで、鳥居を正面として見た右側には細い道もある。その先が恐らく話で聞いた墓地なのだろうと凛は考えた。
これほどまで簡素な造りでさらに町から離れていれば人も来ないのが頷ける。こんな所に建てるくらいならばなくても良いような気さえする。しかし、建てなければならなかった理由がここにあることを凛は着いて悟った。
神社の名前は鬼伏神社。人食いの鬼を封じ込めた場所である。それはその名の通りで、子守神社とは違う雰囲気を凛は確かに感じていた。
見えるのだ。
鳥居から先が酷く“歪んでいるのだ”。それは蜃気楼や湯気のようにぼやけていて、特に本殿らしき建物がゆらゆらと揺らめいている様は陽炎そのものだった。まるでその下に炎でもあるのかと思わせる程に揺れているそれに凛は目を細めた。
(これが餓鬼の念だとしたら…………間違いない)
陽炎のように揺れる本殿を見て凛は仮定が確信に変わるのを感じた。ここにそれがいるのだ。町に出てきた餓鬼達の司令塔である大将が。
凛はそう思うだけで今にも体が勝手に動き出しそうだった。
餓鬼達に言葉が通じるのであればその大将にも問題はない。居場所も突き止めて目の前に控えた以上、今肝心なのは目的の男の事を知っているか知らないかなのだ。
凛の目的は人助けではない。あくまでこの手で必ず殺すと決めている程憎む奴なのだ。人助けや化け物退治はその手掛かりを集めるための二次的な物であって、最優先事項では断じてないのだ。たまたま人が襲われていたから救っただけであり、凛が喋れる相手に何をしてでも聞きたいのは憎むべき敵だけなのだ。
それでも一介の餓鬼に尋ねる気はなかった。本命はそれを纏める大将だけである。だからこそ凛はこの瞬間よりも前に抱いていた物を露にする。
知っているのであれば相手がどうしようとも吐かせる。知らないのであれば切り捨てるだけ。
そのつもりで来たという決心を改めて心に刻みこむかのように、凛は白い刀の柄と鞘を右と左で握りしめた。
(ただ一つの願いを叶えるため。あれを殺すために…………)
凛は秘めた思いを胸に鞘から刀をゆっくりと引き抜く。白い鞘をそのまま象ったように鋒から柄まで白い愛刀である。飾りなど不要な美麗の一言に尽きる装飾刀そのものだが、その切れ味は業物以上である。
それを右手に握り、鞘を天地逆さまにして左手に持つ。
見据える先は本殿。まずはそこへの侵入だ。戸を壊してでも開ければそこはどうにでもなる。次に中がどうなっているかだ。
それが分からないからこそ、凛は迷うことなく鳥居を蹴り飛び降りた。一気に下へと落下する。着物の端が落下の勢いで風にバタバタとざわめきをあげた。
続けて落下する速度と体勢に合わせ片方の足を出す。トンと小さな足音を立て着地したそれに合わせて、膝を曲げて衝撃を力に変えると、地面を後ろへと思いきり蹴った。
その勢いで鳥居から参道を地面から僅かに浮く形で飛び越え本殿までを一陣の矢の如く駆け抜ける。突風のような勢いに重い空気の壁がぶつかり髪や服がばさばさと音を立てる。駆け抜けながら前方に近付くものを凛は一瞬で捉える。
建物はやはりシンプルな造りだった。一段上がった低めの床板。四方を囲んでいる柱。瓦葺きの屋根。傾き天井から垂れ下がる鈴紐。おんぼろの賽銭箱。
それらを目で捉え失速するように後ろへ力を入れて凛は本殿の階段の前へと差し掛かった。同時に賽銭箱の端が光るのを捉える。
直後、
「クワセロー!」
と、金切り声のように高い叫び声と共に月光で鋭く光る五本の刃が凛へと振り下ろされる。凛は横目にそれを捉え、咄嗟に刀を握った右腕を右下から左上へと振りあげる。同時に飛んでいる勢いを殺すように体の前にある賽銭箱の角へと足を掛けた。
――鈍色の光が上下に交差する。
その一瞬、金属同士が擦れる高音が響き渡り、たちまち鮮血が周りへと激しく飛散する。明らかに人の物ではない五つの鎌のような爪がついた腕の先が、凛の体の前で天上を向いた。
「アアアアアアアァァァァァ!」
血が滴り落ちながら下へと動く腕と、傾きながら天上を向く爪のついた腕に起きた事を理解したその主が叫び声を上げた。しかしそれも束の間。凛は今振った腕を素早く逆へと返し、腕を切り飛ばした主の体すらも両断する。月明かりに光る瞳のような真っ赤な血が凛を正面から濡らす。
餓鬼が薄れゆく叫び声を上げる中、凛は先程の疾駆する自分を受け止めて階段へと傾く賽銭箱を軽く蹴り、後方の地面に降り立った。
(まずは一体……)
目の前で消えていく餓鬼と鈍く重い音を立てて階段に横たわる賽銭箱を確認して凛は周りへと注意を向ける。ここは餓鬼の巣穴に等しいのだ。今切り伏せた一体だけではないのが分かっているからこそ目の前で消える存在に凛は構うことはしない。
注意深く周囲を窺うや否や、その思考通り、ドタドタ、ジャラジャラと品のない足音を立てて餓鬼達が凛のいる場所へと集まってきた。凛は音を出さないように息を吐き出し肩の力を抜く。
集まった餓鬼達は全部で六体だ。凛はその数を把握して咄嗟に少ないと感じ、同時にこれだけではないはずだと疑った。
自分が殺してきた餓鬼は多くて十である。先程のとここにいるのを含めると十七体だ。いくらなんでも少ない気がしたのだ。
取り囲むように位置するそれらの動きを一時も逃さないように神経を研ぎ澄ませつつさらに周囲を窺う。木々の間や建物に隠れている者を視界と聴覚で探そうとするも、動きを見せる者も草や石の音一つない。本当にこれだけなのだろうかと疑いながらも凛は周りの餓鬼へと視線を向ける。
木立の合間から出てきたのか砂利の上にいる者が左右合わせて二体。裏から這い出てきたのか本殿の廊下の手摺に乗り支柱に掴まっている者が左右で二体。正面の本殿の扉前、賽銭箱が倒れている階段の上に二体。退路である後ろはがら空き。それら六体を視界に捉えて凛はふむと頷いた。
皆どれも同じ、醜い姿である。これだけ集まろうと同じ姿同じ格好なのだ。
縮れた髪に大きな口。赤い瞳に高くへんてこな鼻と尖った耳。痩せこけたような体なのに立派に膨らんでいる腹。細い腕に不釣り合いな程見事に並ぶ鋭い爪。間違い探しをしても何が間違いかも分からない程に同じような格好の化け物が凛の百八十度内にいる。
それでもどれもが元は人間なのだ。
動きを見せず周りで自身の様子を窺う餓鬼達に、凛は近くの砂利へと刀を真っ直ぐに突き立てた。餓鬼が微かに動く。凛は刀の柄に手を添えたまま挑発でもするように周囲へ睨みを効かした。
(動け!)
念じるように凛は再び周囲を見た。刹那、ザザッ、と静寂を引き裂く音がこの空間に響いた。右と左の餓鬼が砂利の音を激しく立てて凛へと飛びかかる。研磨された鋭い爪が餓鬼の飛ぶ速度で白銀の線を宙に二本描き一つになろうとするかのように凛へと迫る。
迫り来る左右二体に凛は目配せしつつさらに前方にも警戒する。前方四体がどう動くのか予測できない以上下手な動きは一つも出来ない。しかし、左右から既に来ている以上動きを見せなければならないのだ。そのため凛はその二体の爪が腕一本分の距離と差し迫るところまで微動だにしなかった。しかし、動かない四体と両脇に迫った二体に凛は動いた。
刀に置いた手に力を込める。餓鬼の伸ばした爪が頭に触れて重なりあう寸前、凛は重心下に移動させ一気に足を曲げたのだ。同時に体を餓鬼の方へと捻った。太い針みたく尖った爪の先が視界の上へとスライドする。下へと動く勢いに任せて、それでも刀に置いた手を離さず、そのまま這いつくばるような体勢までしゃがむ。
ドゴッ、ブシュッ、と、凛の頭上で塊同士がぶつかり肉を裂く音がした。
餓鬼同士の衝突に凛はニヤリと口角を上げてほくそ笑んだ。しゃがんだ勢いを殺ずぶつかった二体へと、後ろで腕一杯にまで回して掴んだ刀で、砂利事背中からの大上段で切り裂くかの如く大きく縦に前へと振った。後ろに回した腕を前に戻す勢いありき、込めた力ありきで、風を切る音よりも速く切断音と血の落ちる音が辺りを包んだ。
まるで果実が両断されたかのように血肉を曝し、鏡面左右対称に二体の餓鬼は地面へと落ち、たちまち逆流する砂の如く消える。重力に逆らわない餓鬼の血だけが凛の頭や肩、愛刀から冷たい敷石の上に落ちてゆく。
凛は顔に流れる赤い液体など気にも止めていないかのように横目に残った四体を睨みつつ、立ち上がると同時に血振りをした。
今しがた起きた事は偶然ではなく凛が仕組んだ必然性なのだ。
餓鬼にしてみれば目の前の標的が一瞬で視界の下へと消えた。その時点で既に二体の結末は決まっていたのだ。人ですら前方の壁で止まれと言われ互いに全力で走り、目の前で突然壁が消えたら衝突の一つや二つは起こす。それを人よりも速く動く事ができ、さらに宙へと躍り出て飛びかかった生物がそこでお互いに止まれるはずがないのだ。
よほどそのような事に慣れている者がいたとしても、急に後ろへ下がったり向きを変えるには壁や空気を最低限蹴らねばならない。ここへ来たときに凛が賽銭箱を足場代わりにしたように。
もし何もないのに方向転換や回避などの奇跡的な事が出来るのであれば凛は刀を放すような余裕を見せてはいない。しかし、それほどの事を餓鬼程度ができるはずがないと凛は残り四体を見据えて思った。
四体は今の二体の有り様を見てか戸惑うように左右へ足踏みをして揺らめいている。勇み足を踏んでいると言えばまだ餓鬼達は様になるかもしれないが、完全に腰が引けている。
凛はそれをからかうように足を思いっきり前に出して音を出し、すぐに引っ込めた。そんなこけおどしに釣られて餓鬼が肩を引っ込めるや否や、前方から二体、上方から二体向かってきた。
凛は一瞬下を向いて溜め息を吐く。これは少数での戦法でやってはならないことだ。
前から迫る餓鬼の方が速く、上からの餓鬼は弓なりの軌道を描くために遅い。時間差での攻撃や追撃を狙えるものだとしてもそこにはかなりの弱点がある。悪あがきだとしても普通は選ばない手段だ。餓鬼のこれは有効手段ではなく死に体とも言えた。
餓鬼には戦法がやはりないのだろうか、と凛は呆れながら前方二体に真っ直ぐと刀の先を向けた。
「弾いて」
その言葉通り突きだされた刀の先を餓鬼は爪の先で弾いた。力の強さで右側へ腕ごと大きく刀が反れる。それを待っていたかのように凛はニヤリと笑みを浮かべた。
餓鬼の大将に用があり凛は餓鬼自体に用はないのだ。だからこそ餓鬼相手に刀を自分で振ることすらもはや面倒だった、というのが本音なのだ。その助力として餓鬼に刀を弾いてもらい、あとはそれに速度を乗せて倍にして返すだけで二体とも両断できる。それが狙いで先程から動いていなかったのだ。
凛はその考え通り腕を左側へと振り返す。
「アアアアアアァァァァァァ…………」
血と叫び声を撒き散らす餓鬼から上へと凛は顔を向ける。腕を突き出すようにして眼前に迫る餓鬼。振った腕の先にある刀に力を入れる。
「飛んで火に入る……」
凛は足にも力を入れた。刀で上方に銀色に光る弧を描く。餓鬼の目が大きく見開いた。
「ギャアアアアアアアアァァァァァァ」
「夏の虫」
刀を振り終えると同時に、凛は爪先に負荷を掛けて地面を蹴り飛ばす。切り裂かれて上下に別れる四対の餓鬼のパーツとすれ違う。赤いカーテンのように垂れ落ちる血を鞘を持った左手で払い、凛は本殿の扉の前へとようやく降り立った。耳障りな床板の軋む音がする。
本殿の扉は中が見えないようにするためか格子の一つもついていない。絵や装飾もなく、木の年期を感じさせる古ぼけた姿そのままだった。
凛は確信する。他を探す必要はない。この中に大将がいるのだ。気味の悪い異様な気配が既に扉から漂っているのが証拠だった。鳥居で見た陽炎のような物は間違いなくそれの証である。
凛は恐れることなく扉を開けるために取っ手に手を掛けた。外開きの扉らしく手前に引く。しかし、開かない。内開きなのだろうかと押すも開かない。横に引いてもガタゴトと音を立てるだけで開かない。
神社ともあり戸締まりがしっかりしているのだろうがこういう時には困るのだと凛はしかめっ面で溜め息を吐いた。
この神社には誰もいない。その事を確認して凛は足を扉に対して垂直に出す。一回、二回と強めて三回目で壊れるほどの力を込めて蹴り飛ばした。
扉が木屑や埃を巻き立てながら下へと倒れ込む。咳き込むほどの粉塵を含んだ空気が開けた拍子に全身を覆い外へと出ていく。凛は目を細めて血濡れた着物の袖で口許を覆った。煙たい塵の舞う中で凛は中の様子に驚いた。
開けた入り口から中へと僅かに射し込む月明かりで露になったのは床板もない伽藍堂の本殿だった。
入り口正面から左右の壁面には木で造られた小さな格子窓がある。そこからも射し込む光はこの建物の中央部分にも満ち足りていない。それでも部屋は薄暗いながらもどうにか見える。入り口から真正面の壁は仏壇などを置くために棚にしていたであろう窪んだ作りになっている。だがその棚には何も置かれていない。持ち出したのか持ち出されたのかは分からないが見事なまでに片付いている。
そんな本殿内を見回して、凛は中央へとやはり視線を向けた。
この場所に床板はない。凛が今いるところから下は土の匂いがほのかにするだけで真っ暗闇だ。土の微かな匂いに凛はそこに地面があるのだろうと思ったのだが、降りることを躊躇った。中の地面が外と同じ高さならば月明かりで見えているからだ。
しかし、目の前に見えるのは暗闇である。そこから察するにここは洞穴になっているのかもしれないと凛は考えた。でなければ何らかの現象で床事消えたのかもしれない。
それが証拠に倒れたはずの扉が見えないのだ。落ちて地面に衝突する音すらも聞こえない。底なしの奈落の穴とも言える物が目の前にあるために、凛はそこへ無闇に飛び込む事だけはやめた。
どうするべきかとそこを眺めながら凛は考える。どうするのが正しいのか。飛び込むのが正しいのか、飛び込まないのが正しいのか。飛び込んだところで底があるのか。なければ戻ることは不可能とも言える。それらの事が頭を一瞬にしてぐるぐると巡る。
その瞬間、凛は風が下から突き上げてくるのを感じた。
その風の勢いは凄まじく着物がはためき、髪が遡る程だった。さらに鼻を掠める風の臭いに凛は再び口許を押さえ思わず顔をしかめて数歩下がった。朽ち果てた肉を焼き焦がしたような、吐き気を催すほどの強烈な腐敗臭がその風からはしたのだ。
(これが、地獄の餓鬼の臭い…………!)
地面が突き上がるような違和感に、凛は咄嗟に後方へと床板を蹴って飛び下がる。
刹那――暴風が吹き荒れるかのような風と共に本殿の屋根が瓦事打ち上げられ、床板や壁がバキバキと音を立てて剥がれていく。剥がれた本殿の一部が入り乱れるように宙を舞い、凛もその風に体事拐われそうになる。そんな洞穴とおぼしき所から吹く死臭を伴う突風に紛れ、どす黒い巨大な影がちらついた。
参道の敷石を鳥居まで半分程滑り止まる凛の目の前で、治まりゆく暴風に原型をなくした本殿の残骸が雨の如く降り注ぐ。
衝突し砕けるような音を立てて散らばる凶器の塊とも言える豪雨を眼前に、凛は本殿の跡地を見据える。飛び散った木片が頬を掠め一筋の赤い線が顎までを伝った。
流れる血を拭うことなく目を見開き凛は首を後ろへと少しばかり傾ける。月明かりに照らされた枯れ草のようにくすんだ色のそれに凛もさすがに息を飲んだ。
欅という大木がある。それは高さ約二十メートル近い落葉高木だ。建築装飾材にも使われる木なのだが、凛は目の前の物を見てそれが立っているような感覚がした。山ほどの高さもある入道とまでは言わない。けれど、突如目の前に現れたそれは入道にもなれそうな程だった。
それが証拠に少しばかり傾けたはずの首はいつのまにか顔が空を向くまでに傾いている。
(これがあの餓鬼の大将…………)
想像していたものとは大分違うそれに、凛はさっきまで相手にしていた餓鬼達を思い浮かべた。その大きさは比べなくとも明らかに違う。だがその容姿はまごうことなく餓鬼の姿をしていた。
木の枝みたく伸び放題の縮れた髪から覗く針葉樹の葉のように尖った耳。凛の顔一つ分はある大きな赤い目玉に、人一人分はあろう裂けたような口。皮か肉か分からないような痩せこけた体に不釣り合いな何かを孕んでいるように出っ張った腹部。その一つ一つがそこらで生えている木のように長く、切り裂けない物はないと思わせるような鋭い爪。それらは紛れもない餓鬼の姿だ。
ただの餓鬼なら今頃凛は殺していた。だが想像していなかったその巨大さに圧倒され、立つことすら忘れるほど竦んでいた。
そんな凛の遥か頭上、餓鬼の顔がゆっくりと、まるで落ちて来るのではないかと感じさせる動きで、下を向いた。
餓鬼の顔が陰り恐怖をそそる。
「ギザマ……ダレダ?」
ゆっくりと低く唸るような大将の声に、凛は何かに気付かされたように立ち上がった。
餓鬼と同じくやはりこれも人語を喋れる。その事に歓喜するも顔には出さず、睨み付けるように餓鬼の顔を見上げる。
「餓鬼もあなたも含め、どうやって地獄から出てきたんですか?」
凛は出せる限りの大声で誰かとの問いには答えず質問を投げ掛けた。餓鬼の口許が引き吊るように上がる。
「ザーナァ…………スゴシマエニジゴグノフタガアイダンダガ、ギザマジャナイノカ?」
凛はその言葉に餓鬼達が出てきた理由が何となく分かった。
やはり封は地獄から開いたのではなく外から勝手に開けられたのだ。たまたま開いた地獄からの抜け道を見て餓鬼達は脱走してきたのだろう。しかも開けられたのがごく最近だったためにまだ数も少ないだけなのだ。つまりはここでこれをすぐさま始末して閉じなければ、餓鬼の被害は増えるばかりという事である。
しかし、誰がどう開けたのかが分からないのは凛にとっては難点だった。外から開けられたのであれば餓鬼達は誰が開けたのかもどう開けたのかも見られない。閉めなければならないのにそれが分からないとあっては餓鬼騒動は締まらない。
無駄な事を聞いたと舌打ちして凛は一番聞きたいことを尋ねようとした。それさえ聞ければ凛は一先ず満足なのだ。
そう思った直後、凛の頭上は暗闇に染められた。




