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エルクラートさんちの夢喰日記  作者: Akira Clementi
終章 我が家の夢喰日記

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第百四十四話

 「羽なしセイレーン」の噂さえなければ、私とクーアの日々は穏やかなものだった。


 朝からしっかり食べる彼女と共にする三食。

 手分けしておこなう家事。

 いつものように開ける店。


 いつどこでクーアの姿が人目に触れるか分からないので宅内でもフードつきマントは外せなかったが、それ以外はなにもかもが穏やかで、順調だ。あまりにも平和だから、私はクーアに伝え忘れていた。


 私には食べられないものがある、と。


 ひとつ屋根の下で暮らし、お互いの家族との暮らしについてぽつぽつと話すようになってきた私たちは、午後三時になるとおやつを一緒に食べるようになっていた。私の子供時代のルールをクーアが気に入ったからだ。

 しかし、クーアは菓子をほとんど作れない。だから彼女が出してくれるおやつは、散歩がてらでかけて買ってきてくれるものだ。


 彼女がどんなものに興味を持ち、なにを食べてどう感想を言うのか。

 毎回とても楽しみだったし、少しでも時間を共有できることが純粋に嬉しかった。


 その日も午後三時頃になると、クーアが店に姿を現した。


「エル、おやつにしましょ」

「もうそんな時間か」


 暖炉で薪が爆ぜる音に耳を傾けながらうとうとしていたら、時間などあっという間だ。


 店の入り口に「休憩中」の看板をぶら下げ、店へと引っ込む。

 おやつの時間の紅茶はいつも私が淹れることになっていたので、キッチンで用意をしてから、二人分のティーカップを手に食卓へとついた。

 今日のおやつはなんだろうと胸躍らせながらテーブルの上を見れば、雪だるまを模した小さな陶器のカップが置かれている。その中に入っているのは、クリーム色の物体だ。


 嫌な予感がした。


「今日のおやつはカスタードプリンよ」


 クーアの言葉を聞いてしまったら、一気に吐き気がこみ上げた。思わず口元を片手で覆ってしまう。


「エル?」

「すまない、下げてくれないか」


 これ以上近くに置かれていたら、醜態を晒してしまう。


「苦手なんだ……」


 吐き気をこらえつつ呻くように頼めば、クーアは慌ててカスタードプリンをキッチンに引っ込めてくれた。


「エル、大丈夫?」


 戻ってきたクーアが、小さな手で背中をさすってくれる。


「ごめんなさい。そんなに嫌がるなんて思ってなかったの」

「いや、いいんだ。伝えていなかった私が悪い」


 深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着く。吐き気の残滓を流すように紅茶を口にすれば、向かいの席に腰かけたクーアが問うてきた。


「ずいぶん嫌っていたけど、なにかあったの?」


 見るのも嫌がるほど嫌っていれば、理由を知りたくなるのも当然か。

 どう話したものかと考える私の沈黙を、クーアは拒否と受け取ったようだ。


「あっ、もちろん話したくなければいいの。無理しないで」

「せっかくだ。私と家族についての話を少し聞いてくれ。長い時間を共に暮らすきみには、知っておいて欲しい」


 私たちの間には、隠し事などしたくない。クーアが知りたがることは、どんなものでも伝えたかった。


「クーア、死んだバクがどんな状態になるか知っているか?」

「え? えーと……どうなるの?」

「ひとかたまりの夢になるんだ。見た目は金色の綿飴といったところだな。匂いと味は、カスタードのように甘い」


 そう教えれば、クーアがはっと息を呑んだ。


「私が子供の頃、キンバン熱という流行り病があったんだ。魔物の治療が後回しにされ続けたせいで、私の祖母も、両親も、皆罹患して亡くなった」


 この家にひとり残されたあの日、しんと静まり返った家の中は知らない場所のようで寒気を覚えた。あの感覚を思い出して、ぞくりとする。


「バクは死んでひとかたまりの夢になった仲間を喰らい、記憶の遺産を受け継いでいく。だから私は、私の家族を残さず喰らった」


 あの経験さえなければと思うことはある。しかし喰らったことで家族が持っていた記憶の遺産を手に入れた私は、夢の中ではあるが家族と過ごせた。必ずしも悪とは言い難い経験であるから、余計に悩ましい。


「家族を喰らって以来、味や匂いがバクに似ているカスタードが食べられないんだ。見るだけでもあのときを思い出してしまう。ただ……いつかは克服しないといけないとは思っている」

「他のバクの記憶の遺産を受け継ぐ為?」

「違う。夢喰屋をする為に必要なんだ。私は夢喰屋以外の仕事を知らないし、おそらく適性もない。きみとの生活を守る為にも、庭のネムノキと共に受け継いだこの店を潰すわけにはいかないんだよ」


 そこまで話して、紅茶を飲む。猫の悪夢は入れていないが、飲み慣れた味が心を落ち着かせてくれた。


「夢喰屋に持ち込まれる夢のひとつに、『魂夢』というものがある。記憶の遺産を色濃く反映した夢で、夢主の魂に似る性質があるものだ」

「なるほど。バクの魂夢を夢喰いする為に、カスタードを克服しないといけないっていうのね」


 クーアは理解が早くて助かる。


「そうだ。魂夢は自分ではどうしようもないものがほとんどだから、バクも夢喰屋を頼る。だからもしもそれがうちの店に持ち込まれたら……」

「食べないといけない?」


 クーアの言葉に、私は頷いた。四六時中私の体についているものなのに、頭がずっしり重く感じられる。

 いつかの未来を考えて沈む私。そんな私にクーアが放った言葉は、意外なものだった。


「いいじゃない、苦手なら断れば。イリュリアの夢喰屋はエルだけじゃないんだから」


 実にあっさりとした口調でクーアが続ける。


「たしかにエルには『残さず全部食べてくれる』なんて噂があったし、あたしも最初はそれをあてにしてあなたの店に来たわ。でもそれって、結局は単なる噂なのよ。だから本当は食べられない夢があったっていいじゃない」


 フードから覗く彼女の口元は微笑んでいるが、言葉には芯のようなものを感じる。私を適当にあしらっているという雰囲気ではない。


「どうしても魂夢を食べるのがあなたじゃなきゃだめだって言われたら、そのときはお客さんから取り出した夢を庭にでも埋めておけばいいのよ」


 庭に埋める。

 私にはまったくといっていいほどなかった発想だ。


「クロスト瓶だったかしら? 中に入れた夢が漏れ出さない瓶があるって、キールが教えてくれたわ。それに詰めて庭に埋めましょ。そしたらお客さんは夢を見なくなるし、あなたも食べる必要がない。いいことばかりだわ」

「家の名誉を掲げて商売をしている私に、逃げろと言うのか?」

「そうよ。生きる為に逃げるのは、それが必要だからだもの。恥なんかじゃないわ。それに庭に埋めたなんて、誰にもばれやしないわよ」


 クーアの言葉が、私の心の中にすっと溶けていく。きっと彼女なら、私が本当に魂夢を庭に埋めたところで「これですっきりしたわね」なんて言ってくれそうだ。

 双子の魂夢を喰らえなかったことも、「結果的によかったじゃないの」と受け入れてくれるような気がする。


「ふ、ふふ、はははっ、そうか。そうだな。そのときは逃げるか」

「そう、逃げるのよ。あたしもあの日家から逃げ出したから、こうしてあなたに出会えたんだもの。逃げるっていいことに繋がってるのよ」

「きみは旅に出てずいぶん変わったな」

「そう?」


 クーアは傷ついた小鳥のような存在だとばかり思っていたのに、成長したものだ。まさか私の悩みを一蹴してしまうとは。


「ああ、変わったよ。とても強くなった」


 そんなクーアの変化が、心の底から愛おしい。

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