第百四十一話
ロニアとミモラが引っ越して、半月後。
「やったー! 見て見てエル兄! 見てー!」
「分かった分かった。分かったから落ち着け。そんなに押しつけられたら見えるものも見えん」
役場前で、私はユニアに一枚の書類を自慢されていた。つらつらと文字が綴られたクリーム色の紙には、役場の大きな印が目にも鮮やかな赤いインクで押されている。
「あーもうめっちゃ嬉しい! よかったー!」
書類を手に、ユニアがその場でくるくると舞い踊る。往来だからもう少し落ち着いて欲しいが、今のユニアにそう言ったところで無意味だろう。
コーレルのところで三ヶ月学んだユニアは、彼のように特殊な夢喰いをする為の資格を得たいと言ってきた。審査を受けてから結果が出るまで毎日不安そうにしていたユニアなので、こんなに眩しい笑顔は久しぶりだ。
そう、今日はユニアの特殊認定証を受け取るべく役場へ来たのだ。
相変わらず喜びを全身で表現している彼女の手から認定証を取り上げ、内容に目を通す。
年齢や実績に生活状況など、コーレルとユニアでは大きく違う。当然ながら、ユニアの夢喰いには制限がついていた。
『イリュリアを含む十五の町村でのみ、入院患者の夢喰いを許可する』
『入院患者の夢喰いは、夢喰いの時点で三泊以内の患者のみ許可する』
通常の夢喰いに多少毛が生えたかなという程度だが、それでもユニアにとっては大きな一歩だ。実績を重ねていけば、いつかはコーレルのようになれるかもしれない。
「ねえエル兄! あたし今から旅に出る!」
「そうか」
いつでも自由気ままなキールという旅人を知っているので、ユニアの言葉で特に驚きはしなかった。
旅に必要な食料品や消耗品などを買い揃えながら帰宅して、ユニアに貸している部屋で荷造りを手伝う。
庭に干していた彼女の服は、魔法で呼び出した風を使い乾かした。
部屋を綺麗に使っていた上に旅慣れているユニアは、手際よく荷造りをしていく。
小一時間で彼女の私物は、すっかり大きなリュックに収まってしまった。リュックに入っていないのは、私が庭から回収してきたネムノキの鉢植えだけだ。
ロニアとミモラは仕事。
コーレルももちろん仕事。
私はユニアに合わせて仕事を休んだ。
ちなみに、まだ昼食の時間には少し早い。
そんな時間に、リュックを背負ったユニアは軽い足取りで家の裏口へと向かい、自分の手でドアを開ける。
「今度は木が弱っても、もうロニアはいないからな。気をつけるんだぞ」
ネムノキを手渡しながら声をかければ、
「分かってるって。エル兄は心配性だなあ」
非常に生意気な物言いが返ってきた。
友人の子供だからと、少々甘やかしすぎたかもしれない。今度ユニアが木を弱らせても、すぐには助けないことにしよう。
「じゃあねエル兄! まったねー!」
まるで無邪気な少年のように大きく手を振りながら、ユニアが旅立つ。
せっかく特殊認定証を手に入れたのだ。次に会うときは、もう少し夢喰屋らしい落ち着きを身に着けてくれているといいのだが。
***
家の中が静かになってから、一ヶ月が過ぎた。
今年もイリュリアの夏は、背後にそびえたつトラキア山脈から吹き下ろす涼風が心地いい。
きっと何事もなければ、私は今年ものんきに「クーアが帰ってきたらいいのに」なんて思いながら、この風に吹かれていた。
素直にそれができないのは、自分が原因だ。
店で真面目に夢喰いをすればするほど、棚に常備しているクロスト瓶を見れば見るほど、双子の魂夢を喰らえなかったという事実を思い出してしまうのだ。
今回は双子の関係を修復する役に立ったからまだいい。
だがもし他の無関係なバクの夢喰いをするときになって、それが魂夢だったら? そのときはどうやって逃れる? いや、違う。そうじゃない。どうやったら喰らえるんだ。逃げる方法ばかり探してしまう。
そんな分厚い怯えが、私を包んでいた。
あの金色の綿飴のような、カスタードを思わせる匂いをまとった夢。
あれが、死んだバクに見えて仕方ない。
祖母、父、母。
私がキンバン熱で失った家族を喰らった日のことを、嫌でも鮮明に思い出してしまう。
無視しようとすればするほどその存在は大きくなり、最近私はまともに店を営業できなくなっていた。二、三日働いては休み、店を開けたと思えば午後は休業する。そんな不安定な営業を続けているせいで、主に常連からの「店に来たが休みだった。また来る」という旨のメモ書きがドアに挟まれることも増えた。
街中で客と会ってしまったときは「夏風邪の治りが悪くて」などと茶を濁すものの、心配してくれる客たちに嘘をつくのは辛い。
もちろん、金の小鹿亭にも行っていない。行けば、バンシー騒ぎのときにとんでもなく心配してくれたマルセルに「大丈夫ですか?」と問われるに決まっている。
私に向けられる優しさに耐えられる自信がなかった。
そんな暗鬱な日々の中、それは届いた。
キールとクーアからの手紙だ。
いつものように差出人にはキールの名前を使って送られてきた、分厚い手紙である。テーブルで水出しの紅茶を飲みながら開封すると、二人がせっせと書いてくれた手紙が出てきた。
先にキールの手紙から目を通す。
とんでもない癖字ではあるがクーアをまめに観察してくれている彼によると、最近クーアはキールに習った子供向けの昔話を客前で披露しているそうだ。
子供向けの昔話とはいっても、それを聴く客は子供だけではない。彼らについてきた親もいる。あまり目立つ行動する印象のなかったクーアの行動に、素直に驚いた。
そんなクーアの昔話は好評らしく、夢屋の真似とともに旅先で路銀稼ぎの役に立ってるのだとか。
クーアの成長を知るほどに、彼女からの手紙を読むのが辛くなる。
双子をそれぞれ利用するような形で夢喰いから逃げた卑怯者の私は、彼女からの手紙を読む資格なんてあるのだろうか。
テーブルにクーアの手紙を置いて悩んだものの、紅茶をおかわりする間に好奇心が勝ってしまい結局手を伸ばしてしまう。我ながらなんとも浅ましいことだ。
ころんと丸い字が綴る手紙には、キールから子供向けの昔話を習っていると書かれていた。ひとつひとつの話を何度も練習して、夢で見るほどにまでなってきたらしい。
前回の手紙では料理に凝っていたが、この様子だともしかして吟遊詩人に転向するのだろうか。
そうだとしても、クーアの昔話を聞きながら昼寝というのも悪くないな。
のんきに考えつつ手紙を読み進めていて、その一文に行き当たってしまった。
『あなたとあたしの子供が、昔話を喜んでくれるといいのだけれども』
クーアと、私の、子供。
この手紙を書いたとき、クーアはどんな気持ちでいたのか。私を信頼し、心の内をさらけ出してくれていたと考えてもいいはずだ。
その上で、彼女は私との間に子供を望んでくれている。
本来なら喜ぶべき告白だが、己の卑怯者ぶりが足枷となって素直に喜べない。
私がこんな情けない男だと知ったら、クーアは。
彼女は、私を。
軽蔑するかもしれない。
クーアに持たせたものと同じ本に手を伸ばすが、思い直してその手を引っ込める。
読者の心を鏡のように映すこの本は、今の私をどう映し出すのか。
情けなさと恐ろしさで、とてもではないが本を開けなかった。




