第百四十話
双子が仲直りしてから修業期間が終わるまで、それこそあっという間だった。私が特になにも言わずとも双子はお互い励まし合っていたし、ミモラも双子を支える為にとそれまで以上にやる気を見せた。三人とも己のなすべきことに全力で向き合ったからか、しっかりしたような気がする。
穏やかな春の陽気から少し汗ばむ初夏へと移り変わり、服も半袖で過ごす日が増えた頃。
私はミモラ、そして私の友人であるハルピュイアのリザと共に、セルスのケーキ屋に来ていた。ロニアの試験ともいえるクッキーを食べるのが今日だからだ。「家庭用のオーブンだから焼き上がりに差が出た」なんてつまらない言い訳ができぬようにと、セルスが店での試食を提案してくれた。
修行期間中、私はロニアから預かったクッキーをリザに食べさせていた。彼女の舌と金銭感覚は鋭い。そんなわけで彼女にロニアの試験官を頼んでいた。
ちなみにミモラがここにいるのは、ロニアの希望だ。店を持つとなったら一緒にやっていく仲なので、ミモラにもクッキーを食べて欲しがったのだ。
「おう、こいつがミモラか。ロニアの店で働きてえんだってな」
「ぴっ……!」
悪気はないのだが声も体もでかいセルスに、ミモラがすっかり圧倒されてしまっている。
「大丈夫だミモラ。セルスは純粋な人間だよ」
「ぴい……」
言い聞かせれば、ぶわっと広がっていたミモラの体毛が少しずつしぼんてきた。
リザはといえば、
「なにこのクッキー! 可愛いー!」
作業台に置かれたロニアの渾身の一作を見つけ、歓声を上げていた。
かなり厚みがある、白くてぽってりとしたクッキーだ。表面にはまるで猫の肉球のような模様が刻まれ、そこにきらきらとした赤いジャムが入っている。
指の第一関節を超える厚みとリザの「可愛い」なんて感想のおかげで、私の脳内では手足の生えたクッキーが「やあ!」なんてご機嫌に挨拶をしていた。三ヶ月間三人の面倒を見続けたので、疲れているのかもしれない。
「これが僕の自信作、ハッロングロットルです。食べてみてください」
エプロンをつけたままのロニアが、笑顔で勧めてくる。その言葉に頷き、私たちはハッロングロットルに手を伸ばした。作業台よりも背の低いミモラには、リザがとってやっていた。初めて会った人物にも自然に優しくできるのは、リザのとてもいいところだ。
厚みがあるクッキーを口にして最初に感じたのは、バターの風味も豊かなしっとり感だった。しかし柔らかな生地は、口の中に入れるとすぐにほろほろと崩れていく。
とても軽い食感にアクセントを加えるのは、少し硬めに作られた木イチゴの濃厚なジャムだ。以前家で食べさせてくれたジャムサンドクッキーとはまったく違う。
じゅわっと溢れる甘酸っぱい果実味、バターの香り、しっとりほろほろ食感。
全てが絡まりあって、一枚食べただけでもなんともリッチな気分にさせてくれる。
「えっ、凄い。めちゃめちゃ美味しいよこれ。今まで試食させてもらったのと比べ物にならない」
リザの言葉に私も頷く。なにも知らず口にしたら、セルスが焼いた商品かと思うくらい美味い。
リザの誉め言葉に少しばかり恥ずかしそうにしながら、ロニアが口を開いた。
「卵を使っていないので、くちどけのいい生地だと思います。ジャムはセルスさんに教わりました。僕の完全オリジナルレシピというわけじゃないんですけど、お口に合ったのなら嬉しいです」
ロニアの言葉に満足げな声を発したのはセルスだ。
「いやあ、これぞまさに『筋がいい』ってやつだな。普通のジャムより少しばかり手間のかかるもんを教えてみたんだが、もうしっかりモノにしたみてえだ。こんだけ美味いハッロングロットルが作れるなら、腰を据えて修行をしたらもっといいものが作れるようになるぜ」
師匠のセルスはご機嫌だ。
「俺の店より人気出ちまうかもしれねえなあ!」
セルスはいいものをいいとちゃんと褒める男だが、ここまでべた褒めは珍しい。
試験官を頼んだリザも嬉しそうだ。
ミモラはもう夢中なようで、両手で大事に持ったハッロングロットルを声すら上げずに食べていた。
「エル坊、ロニアは合格か?」
セルスの問いに、つい笑ってしまう。
「それを決めてくれと頼んだのは私だよ。まあ、親父さんもリザも満足しているようだから合格なんだろうな」
「まあな。そもそもまともなもんが作れねえなら、うちの厨房でクッキー作って試食なんてさせてねえさ」
つまりセルスの中では、初めからロニアは合格だったのか。それだけロニアが三ヶ月間真剣に打ち込んだ証だ。
「ロニアさえ嫌じゃなけりゃ、自分の店を持てるようになるまでうちで面倒見てもいいぜ。部屋はあるから、住み込みでな」
セルスの言葉に、ロニアの顔がぱあっと一気に明るくなる。
「ぜひお願いします!」
ほとんど脊髄反射に近い返事をしたロニアだが、きっと後悔というものは欠片もない。私もセルスがロニアの面倒を見てくれるというのなら安心だ。
お祝いムードが漂う中、ぴい、とか細い鳴き声がした。
ミモラだ。
すっかりハッロングロットルを食べ終えた彼女が、メイド服のエプロンをぎゅっと握りしめながら私を見上げている。
「あの、エルクラート様。ミモラはどうなるのでしょうか。ミモラは、ロニア様と一緒にはいられないのでしょうか」
不安を満面に滲ませたミモラの疑問は当然だ。彼女はロニアの店で働く為に、家事の練習をして、ロニアの休日には彼のそばで洗い物をして手伝っていた。ロニアがセルスの家で暮らすとなったら、ミモラはロニアに会うことすら少なくなる。
過去のトラウマで求職できず、キンバン熱で身寄りのなくなったミモラに、ロニアが店を開くまではひとりで暮らしていけというのは酷な話だ。
しかしそこに手を差し伸べたのもまた、セルスだった。
「ミモラだったか。おまえさんもうちに来るか? ロニアの店で働くなら、菓子屋の雑用も覚えておいて損はねえだろ。二人まとめてうちに来い」
「ですが、ミモラは、その、駄目な子で……」
ただでさえ小さなミモラがうつむき、更に体を縮こまらせる。家事の全てに加えて雑用までやりきるのは難しいと、ミモラ自身がよく分かっているのだ。
「親父さん、ミモラは家事の練習中なんだ。だから他のキキーモラよりも、ゆっくり教えてやって欲しい。頼めるか?」
私の言葉に、セルスは実に気前よく「おうよ」と頷いてくれた。
「生きてりゃできねえことなんて山ほどあるさ。ひとつひとつ覚えていこうぜ。よろしくな、ミモラ」
セルスが屈み、ミモラに片手を差し出す。
「あっ、よ、よろしくお願いします!」
大きな手に飛びつくようにして、ミモラはセルスと握手を交わした。




