第百三十四話
「エルクラート様、昼食の後はなにをしましょうか? ミモラはなんでもやります。ええ、やってみせますとも」
「廊下の掃除の続きをしてくれると助かるよ」
ミモラと二人で過ごす昼食の席もすっかりおなじみの光景になってきた。いつもと同じ質問をしてくるミモラに、お決まりの台詞のように言葉を返す。
ミモラは私が買い与えた小さなホウキで掃き掃除をしているのだが、ゆっくり丁寧にやるよう言っているのでとても時間がかかる。全て終わる頃には店の営業も終わるので、私は毎日ミモラに廊下の掃除を頼んでいた。
だが普段は文句らしい文句を言わないミモラが、うつむいて「きゅう」と不満そうな鳴き声を漏らした。パスタを巻くのに使っていた子供用のフォークを置き、くりくりとした黒い瞳でじっと私を見つめてくる。
「エルクラート様、ミモラは頼りないですか? お庭の水やりと廊下の掃除以外は、どうしても任せていただけないのでしょうか?」
「そうではない。ただ、ひとつひとつ落ち着いて作業するというのを覚えて欲しいだけだ。きみは今も庭の水やりをすればずぶ濡れになって戻ってくるじゃないか。そういうのが直らないうちにあれもこれもと欲張ったところで、きみの成長を妨げるだけだ」
「でも」
ミモラが椅子の上に立ち、テーブルに手をついて身を乗り出す。
「このままでは、ミモラは美味しいクッキー屋さんのお手伝いができません。そう、なんの役にも立たないミモラなのです」
ミモラの目から、ぽろりと涙が一粒零れ落ちる。ふわふわの体毛を転がった涙がテーブルに落ち、ぽつ、と小さな音を立てた。
「なんの役にも立たないと分かったら、ミモラはまた捨てられてしまいます……」
ミモラはあの廃墟でクッキー屋をしなければならない理由があると思っていたのだが、どうも違うようだ。彼女について詳しく知るいい機会かもしれない。
「ミモラ、きみはどうしてそんなにクッキー屋にこだわるんだ。よかったら聞かせてくれ」
「それは」
小さな手で目元をぐしぐしと拭い、ミモラが言葉を続ける。
「お屋敷で役立たずと罵られて捨てられたミモラを拾ってくれたのが、クッキー屋のミロ様だったからです」
「きみは山中に捨てられたのか」
「はい。ミモラは失敗ばかりしていました。奥様が大切にしているネックレスをゴミと一緒に捨ててしまって、ミモラはクビになりました。ホウキを折られたミモラは山の中で木に逆さに吊るされたのです」
なんという非道な行為だ。キキーモラが大切にしているホウキに危害を加えるのは、心に深い傷を残す虐待行為だ。しかもそれだけではなく、ミモラを山中の木に逆さ吊りにするとは。魔物に対する差別的行為云々という以前に、立派な殺人未遂である。
「そんなきみを助けてくれたのが、ミロ様というわけか」
「はい。ミロ様は人を幸せにするクッキーを作りたいと、いつもミモラに話してくれました。願いを叶える魔法のクッキーのおとぎ話を添えて、楽しそうに話してくれました」
ミロ様とやらは『青い屋根のクッキー屋さん』を知っていたのか。あの絵本はかなり古い話だから、知っていても不思議ではない。それにあの絵本を知っていたのなら、双子が言ったように廃墟の外見が絵本の店に似ていたというのも頷ける。
「ミロ様はとてもお優しい方でした」
命の恩人について語るミモラの声は弾んでいる。きっとミロ様と過ごした日々は、ミモラにとって毎日楽しくて仕方ないくらいの幸せに満ちていたんだろう。
「ミロ様はミモラが卵を全部落としてしまっても、お掃除をしようとしてそこらじゅうを水浸しにしても、ミモラを納屋に吊るしたりせず許してくれました」
うん、なるほど。ミロ様とやらは相当広い心の持ち主だったようだ。毎日その調子でやられたら、私は平静でいられる自信がない。ミモラに危害を加えようとは思わないが、解雇の二文字が脳内をちらつくと思う。
「そのミロ様はどうしたんだ?」
「ミロ様は、ミロ様は……亡くなりました」
今まで嬉しそうに話していたミモラががっくり肩を落とす。
「二十三年前、村を襲った雪崩に巻き込まれて、亡くなりました。ミロ様とミモラは山の中にある村に住んでいたのですが、ミロ様も、他の村人も、ほとんどが雪崩で亡くなりました」
イリュリア山脈の中にはいくつか村があるが、ミモラが住んでいたのはそういった場所のひとつだったのか。
「それなのにきみはその場所にずっと残っていたのか?」
私の問いに、ミモラはゆっくり首を横に振った。
「いいえ、ミモラは生きのこった村人と山を下りました。ミモラは実家に戻ろうと思ったのです。ですが、ミモラの家族は疫病で皆亡くなっていました」
ミモラが口にした「疫病」という言葉がひっかかった。
「その疫病というのはキンバン熱のことか?」
「はい」
キンバン熱は私が家族を失う原因となった疫病だ。あれは国中で猛威をふるった上に、魔物の治療が後回しにされ後に大問題となった。
そうか、ミモラもあの疫病でひとりぼっちになったのか。
似たような境遇と分かった途端、私はミモラに対して親しみに近い感覚が湧いた。我ながら単純だ。
「帰る場所がなくなってしまったので、ミモラはまたミロ様のクッキー屋に戻ったのです。ええ、ミモラは戻りました。ミモラはあの店しか働ける場所を知りませんから」
ミモラは人間に好まれやすいキキーモラなのだから、働き口を見つけるのは容易だったはずだ。それでもあの廃墟に戻ったのは、おそらく昔働いていた屋敷でホウキを折られたのがショックすぎて仕事を探せなかったからだと思える。
ぷるぷるよく震える要領の悪いキキーモラという印象のミモラは、随分と色々な傷を負いながら生きてきたようだ。
「エルクラート様、ミモラはもう失敗するわけにはいかないのです。もっとたくさんできることを増やして、ロニア様に捨てられないようにしなければいけないのです。ですから、水やりと廊下の掃除以外もさせてください」
切実そうな声を伴い、ミモラが私をじっと見る。
ミモラが我が家で家事をしているのは、ロニアがいつか開く店で働く為だ。山中で廃墟を訪れてクッキー屋という幻覚に引っかかったロニアに、ミモラはかなり執着している。
まあ、それはいい。ロニアもミモラがいたら助かると思っているふしがあるのだから。あいつはミモラをごく普通のキキーモラだと思ってその発言をしたのだから当然だ。
問題は、ミモラがキキーモラではありえないほど家事ができないということだ。
ミモラがロニアの期待に応えられたのなら、全ては丸く収まる。
「……分かった。それなら皿洗いを頼む」
菓子作りはとにかく洗い物が多い。ミモラが皿洗いを覚えたら、ロニアも助かるはずだ。それに魔法で水を呼び出す練習にもなる。庭の水やりからするに最初のうちはキッチンも水浸しになるだろうが、私が魔法で乾かせばいいだけだ。
「ただし、絶対に落ち着いてやると約束してくれ。できるか?」
「もちろんです! お任せください!」
弾むように頷くと、ミモラはにっこり目を細めた。




