第百三十話
翌日は朝から忙しく、ミモラがだめにしてしまった猫の悪夢代わりに蜂蜜を垂らした紅茶をゆっくり味わう時間などなかった。
全員に朝食を食べさせてからまず向かったのは、ユニアを預ける夢喰屋のところだ。あいつは多忙になると夜中まで戻らないことも珍しくない。会いたいなら朝を狙うのが確実だ。
「エル兄、こんなとこに夢喰屋なんてあるの?」
辺りを見回していたユニアが、不安そうに言葉を漏らす。
それも仕方ないか。この辺は住宅街といってもイリュリアの端の端で、まず店といったものは見当たらないのだから。
「きみと同じ訪問型の夢喰屋として営業しているから、店舗はないんだ。ほら、見えてきたぞ。あそこだ」
ユニアが私の指した方向を見て、思い切り不安そうな顔をした。
うん、本当に仕方ない。
そこに建っていたのは、小さな平屋だ。くすんだ赤色の屋根は瓦が一枚歯抜けのようになくなっている。
少々年季が入り過ぎて嵐を乗り越えられるのか心配になるような、小さな小さな家。
これこそがあいつの自宅だ。
金がないわけではないはずだが、基本的にあいつは衣食住にほとんど興味のない男だからしょうがない。夢喰屋は客商売なのだから清潔な身なりをしてはいるものの、服を選ぶのが面倒だからと同じ服ばかり買い揃えている。そういう性格である。
それでも家の陰から顔を覗かせているネムノキは瑞々しい葉を茂らせていて、あいつもやはりバクなのだなと微笑ましくなる。
「コーレル、いるか? エルクラートだ」
ドアをノックしながら名乗れば、ちょっとばかり建てつけの悪いドアががたがたと揺れて開いた。四十代ほどに見えるバクの男が、私を見てへらりとした笑顔を浮かべる。
「やあエル、おはよう。気持ちのいい朝だね」
若干間延びした柔らかな声をしたこの男こそ、ユニアを任せる夢喰屋のコーレルだ。さっぱりとした短髪に、ヒゲ剃りたての細い顔に乗る大きな丸眼鏡。いつでも着ている白いシャツが今日も眩しい。
「おはようコーレル、頼みがあるんだ」
「おやあ、珍しい。ナイトメアでも憑いたのかい?」
「いや、違う。この子をきみの助手として同行させて欲しいんだ」
「へえ?」
興味を持ってくれた雰囲気のコーレルがよく見えるように、私の後ろに隠れていたユニアを押し出す。
「大丈夫だユニア。コーレルはきみを取って食いやしないから」
そう言ってみるものの、ユニアはすっかり身を固くしている。滅多に人見知りしないユニアだが、コーレルはちょっと苦手なようだ。
コーレルに会った者はだいたいが「穏やかそう」という印象を口にするが、中には「つかみどころがなさそう」として警戒する者もいる。ユニアは後者らしい。
しかしユニアに一歩踏み込んだ夢喰いの経験をさせるのならば、コーレルほどの適任者はそういない。
「コーレル、ユニアだ。私の友人の子供で、旅の夢喰屋をしている。三ヶ月ほど助手をさせてやって欲しい」
「ど、ども」
普段のユニアはもっとしっかり挨拶ができるのだが、コーレルを警戒しているせいで彼女の纏う空気はとても硬い。
けれどもそんなユニアの態度を気にせず、コーレルは友好的に片手を差し出してきた。
「はじめまして、ユニア。私はコーレルだよ。これから三ヶ月、よろしくね」
「あ、えっと」
ユニアの視線が、コーレルと私の間で揺れる。
「コーレルは病院や牢屋の訪問を主としている夢喰屋だ。きみがなかなか見られない現場ばかりだから、しっかり学んでくるといい」
そう言い聞かせれば、小さく頷いたユニアがおそるおそるコーレルの手を握った。
「よ、よろしくお願いします。コーレルさん」
「うん。任せておくれ」
病人や罪人を相手にした夢喰いは、経験豊富というだけでは取り扱えない。夢喰いをするバク自身の性格や精神状態、生活状況などを審査されてやっと許可が下りるのだ。それだけ病人や罪人が見る悪夢というものは重く危険だし、精神的に非常に不安定な者を相手にしても精神を病まないようにしなければならない。
要するに、めちゃくちゃ難しい。
そう、こんなボロ……慎ましやかな家に住んでいるが、コーレルは『心身ともに健康であり、犯罪にはしる確率は極めて低い生活水準である』と審査で証明されているのだ。家の見た目だけで判断してはならない。
そんなコーレルにもうひとつ頼むことがある。
「コーレル、ユニアにはまともな昼食を与えてやってくれ。食費はあとで請求してくれると助かる」
私の言葉に、コーレルがあははとのんびり笑った。
「助手をしてもらうんだから、ご飯くらい喜んで出させてもらうよ。男の子だからって、私と同じ食事を強制したりしないさ」
コーレルの言葉に、ユニアの肩がぴくっと動いた。
「あたしは」
ユニアの声が震えている。
「あたしは! 生まれたときから! ずっと女だああああっ!」
まるで泣いているようなユニアの叫びが、朝の住宅街に響いた。




