第百二十九話
「まずロニア」
「僕ですか?」
「そうだ」
この場の大混乱は、ロニアの一言から始まっている。それにユニアとミモラも、ロニアに執着している。そうであるからには、まずはロニアをどうにかしなければ。
「きみは本当にクッキー屋を開きたいと思っているのか?」
「はい」
ロニアの返事は実にはっきりとした音で、一切の迷いがない。当然か。ロニアは突然の思い付きで大きな決断をすることはない落ち着いた子だから、かなり前からクッキー屋について考えていたはずだ。
「きみがクッキー屋をするというのなら、ミモラもそこで働きたいそうだ。それはどう考える?」
「僕としては嬉しいです。キキーモラのミモラさんがいてくれたら、色々と助かるでしょうし」
ロニアの言葉に、ミモラが黒い目をきらきらと輝かせた。すぐにでもあの廃墟に誘いかねないミモラを手で制して、ロニアとの会話を続ける。
「ならば、ロニアはまず修行だ。腕のいい菓子職人を知っている。私が話をつけるから、まずは彼のところで三ヶ月修行をしてくれ。三ヶ月に焼いたクッキーで、師匠と、私が紹介する者を納得させること。それがクッキー屋をする為の最低条件だ」
ロニアが私の家にいる間に作る菓子は美味いが、それはあくまでもご家庭レベルでの話だ。商品になるかどうかというのは、また別の話である。
「でもエル兄さん、三ヶ月でプロの味というのは無理がありますよ」
「商品として完成させる必要はない。この先も修行するに値する前途有望な味だと証明してくれればいいんだ。きみはうちにいる間いつも菓子を作るから、不利な話ではないだろう?」
ロニアが顎に手を当てて思案する。
ユニアとミモラの視線が突き刺さる中でもマイペースな彼は、ややあってから納得したようで頷いてくれた。強引に話を運んでしまったが、クッキー屋としての一歩を踏み出すチャンスだと理解してくれたようだ。
「分かりました。エル兄さんに従います」
「ちょっとエル兄!」
なんとか静かに座っていてくれたユニアが、鋭い声とともに立ち上がる。あまりの勢いに椅子が倒れてしまった。しかしそんなことはお構いなしに、ユニアが私を睨みつけてくる。
「あたしたちの親でもないくせに口挟まないで! これはあたしたち双子の問題だ!」
「私はきみたちの両親に頼まれて、きみたちがイリュリアに滞在する間は面倒を見ている。宿賃も取らずに部屋や食事を提供し、保護者が必要な場面では私がその責務を負ってきた。多少は口を挟む権利があると思うがね」
ユニアがぐっと下唇を噛む。興奮はしていても、相手の言葉を理解できる程度の理性はあるようだ。
「ユニア、きみも三ヶ月の間してもらうことがある」
「あたしも?」
椅子を起こして座り直したユニアが、怪訝そうな顔をした。
「ああ。きみには私の知人である夢喰屋を紹介する」
「あたし、今更修行とかいらないんだけど」
「そんなはずはない。昔きみは私にこう言ったな。『夢喰で人を救いたい』と。ロニアが自分の夢に挑戦するのだから、きみも己の夢の為に一歩踏み込んだ世界を見てくるといい。今まで旅をしてきた中で、『経験の浅い旅の夢喰屋』には任せてもらえなかった夢喰いもあったはずだ」
ユニアの口元がもごもご動くが、最終的には言葉を発することなく観念したように頷いた。自分がなんの為に旅をしていてどこを目指しているのか、そしてその旅だけでは経験できない世界があるのだと、ちゃんと彼女なりに分かっているのだ。
「最後にミモラ」
「はい」
甲高い声で返事をしたミモラは、ぷるぷる小刻みに震えていた。よく震えるやつだな。
「きみはずっとあの場所にいたのか?」
「はい。ミモラはずっとあの場所にいました。店長が毎朝六時に出勤してくるからです。ミモラはずっとあの店で店長を待っておりました。いつか店長はやってくると」
「分かった。分かったから。その話は後ほどじっくり聞かせてくれ」
雪崩のような勢いで話し出したミモラの言葉を遮り、こちらの話を続けさせてもらう。
「ミモラ。きみは三ヶ月の間、うちの家事を頼みたい」
「ぴっ!」
高い笛みたいな音でミモラが鳴く。小さな体がとんでもない勢いでがくがく震えていた。
「もちろん、きみのできる範囲でだ」
そう言ってはみるが、ミモラの体の震えはなかなか収まらない。
「きみがロニアとクッキー屋をしたいというのなら、少しは落ち着いて仕事ができるようになってもらわないと私も心配で仕方ない。うちで働きながら、きみやあの店について教えてくれ。もちろん働いてもらうのだから、給金を出そう」
こちらが苦労をすると分かっていて給金を払うというのも妙な話だが、キキーモラとの契約に対価は必要だ。そして対価を払っているかぎり、キキーモラは雇い主に対して忠実でいてくれる。
「いまいち家事能力について信用できないミモラを雇った」と考えると辛いものがあるので、「双子が己の夢と向き合う為の時間を買った」のだと思っておこう。
たぶん双子の両親なら、ミモラをこう扱ったはずだから。
「か、かしこまりました」
声まで震えながらも、ミモラは承諾してくれた。
「三人とも、私の提案に賛成したな? では、明日からさっそく従ってもらおう」
言い切って少し待ってみるが、三人から異論は出ない。
やっと場が落ち着いてくれた。
小さく息をついて、私はすっかり冷めた紅茶に口をつけた。




