第百二十八話
「僕、クッキー屋を開こうと思うんです」
翌日の夜。
食後のお茶をゆっくり堪能していた私は、隣に座るロニアの言葉に思わず茶を噴き出しそうになった。私が話を振ったわけではない。のんびり食事を食べ終えたロニアがいきなり言い出したのだ。
夕方頃に空腹を訴えながら起き上がってきたロニアは元気そのもので、夕食もおかわりをするほどだった。その姿に私やユニアたちはほっとしていたのだが、そんなゆったりとした時間はロニアのこの言葉で崩れ去った。
自分が寝ている間にユニアとミモラが争っていたなどとは知らぬはずなのに、火の粉を振りまいて再燃させるとは。ロニアによって作られた状況に頭痛がする。
「副店長! やはり副店長は、ミモラとクッキー屋をしてくださるのですね!」
真っ先に嬉しそうな声を上げたのは、私の向かいに座るミモラだ。
普通の食器は、小柄すぎるキキーモラの彼女にはちょっと大きい。私が昔使っていた子供用の食器を出してきて、それを使わせていた。ミモラはまるまるとしたヒヨコの絵がついた水色のマグカップを手にしたまま、大きな瞳をこれでもかというほどきらきら輝かせ、ロニアを見つめていた。
けれどもロニアはそれに頷きはしない。穏やかそうな性格を表した顔にやんわり困りの色を浮かべ、ロニアが口を開く。
「ミモラさん、その『副店長』というのはやめてくれませんか。申し訳ないのですが、僕はミモラさんにそう呼ばれる理由に心当たりがありません。それに僕は誰かの店で働きたいのではなく、自分の店を持ちたいんです」
あの廃墟で幻覚を見せてきた犯人がミモラであると、ロニアにはまだ教えていない。ゆえにロニアの発言は、ミモラの影響を受けていない。完全に彼自身の意思によるものである。
だがそのせいで、ロニアの向かいに座っているユニアが苛立っている。
「でもクッキーっていったって、どこで焼くのさ。あたしたちは旅人だよ?」
強い語気でユニアが問う。のんびり屋が多いバクにしては珍しく、ユニアは少しばかり気が短い。
しかしそんなユニアを相手にするのは慣れているようで、ロニアは落ち着いていた。
「ユニア、僕は町に店を構えたいんです」
ロニアは基本的に落ち着いているが、あまりにものんびりとしていて若干空気が読めないことがある。わざとではないがときに相手の神経を逆なでするそんな言葉に、ユニアの眉がぴくりと跳ねた。これはまずい。
愛用のティーカップをテーブルに置き、肉体言語の出現に備える。
頼むから怪我をするほど激しい喧嘩はしないでくれ。魔法で治せるとはいえ、血だのなんだのを見るのはあまり気持ちのいいものではない。
そう願う私が見守る中、ユニアがロニアに言葉を投げつけた。
「ロニア。それって、あたしたちの旅を終わりにするってこと?」
おお、偉いぞユニア。少し前まではすぐに手や足が出る短気ぶりだったのに、ぐっとこらえて会話を続けられるようになったのだな。
この成長ぶりは、双子の母であるニーアが知ったら涙を流して喜びそうだ。
「旅を終わりにするのは僕だけでかまいません。もちろん、ユニアも一緒にクッキー屋をしたいというのなら大歓迎です。二人で人を幸せにするクッキーを作りましょう」
「ふざけんな!」
ユニアの両手がテーブルを叩き、耳障りな音が響き渡る。
私の向かいに座っていたミモラが、「ひっ」と小さな悲鳴を上げてマグカップを取り落とした。転がったマグカップから紅茶がこぼれ、テーブルの上に水たまりを作る。
「おいロニア! なんでいきなりそういう話になるんだよ! あたしと旅するのが嫌か? だったら嫌ってはっきり言えよ!」
「ユニアと旅をしたくないとは言ってません! 元々イリュリアに着いたら言おうと思ってたんです!」
大興奮するユニアにつられるように、ロニアの声も大きくなる。
「イリュリアは貿易港だけあって物資も豊富で、商売に向いています。小さな頃から何度も訪れていたからそれなりに知った土地ですし、年に一度父さんたちも寄ります。それにエル兄さんもいる。商売を始めるにしても、新しい暮らしをするにしても、ちょうどいい場所じゃないですか」
「じゃあ夢屋はどうすんだ。二人で旅をしようって決めたとき、おまえはあたしに『人を幸せにしたい』って言ったよな? あれは嘘だったのかよ!」
「嘘なんかじゃありません! ただ、僕は人を幸せにする手段として夢喰いではなくお菓子を選んだ。それだけです」
それに、とロニアが続ける。
「僕に決意させたのは、他でもないユニアなんですよ」
まるで全ての責任をユニアに押しつけるような言葉は、彼女の怒りを爆発させるのに充分だったようだ。
「なんだとおおお!」
「待て待て待て! ユニア、待て! 殴ってなにか解決するわけじゃないだろう!」
ひらりとテーブルに乗ってロニアの胸ぐらを掴んだユニア。そんな彼女の振り上げた拳をなんとか押しとどめて、席に戻るように促す。
しかしこの非常に気まずい状況を、更にかき乱す者がいた。
椅子の上に立ったミモラだ。
「ふくてん……ロニア様、店は既にあります! ええ、ミモラはその店を知っていますとも! ミモラとあの店に戻りましょう!」
「あの店?」
ロニアが小首を傾げる。
せっかくロニアからあの山中での記憶を抜いたのに、また植えつけたら話が更にややこしくなってしまう。ミモラを黙らせそうと思った矢先、ユニアが声を張り上げた。
「黙ってろアライグマ! あんな山の中で商売なんかできるわけねえだろ!」
ユニアの言葉に、ミモラが甲高い鳴き声を上げ、ふわふわとした体毛を逆立てた。
「なんてこと! ああ、なんてこと! ミモラはアライグマではありません! キキーモラ! ミモラはキキーモラでございます! ロニア様とクッキー屋を営むに相応しいキキーモラとは、ミモラのことでございます!」
「ちょっと待ってください。僕はあくまでもイリュリアの街中に店を持ちたいなと考えておりまして」
会話が繋がるどころか絡まり合って、もうぐちゃぐちゃだ。三人の声がきいきいぎゃあぎゃあとにかくやかましい。
私は拡声魔法を発動させると、すうっと息を吸い込んだ。そうしてから、思い切り声を張り上げる。
「黙れ!」
大声を魔法で更に膨らませたのだから、相当やかましかったはずだ。三人が己の耳を押さえて、身を縮める。
これで少しは落ち着いてくれたはずだ。
「きみたちはなぜそう先を焦っては興奮するんだ。まずは落ち着いて、ひとつずつ整理しよう」
私の言葉に、ユニアがばつの悪そうな顔をしながらも頷いた。
ミモラはちょっと表情が分かりにくいものの、椅子にちょこんと座り直してくれる。
ロニアも一口紅茶を飲んで、自分を落ち着かせようとしていた。




