43. 最期に伝えたい言葉
その言葉に、俺は固まった。
しまった。
娘に、二度も父親を失わせる想いをさせたくなかったのに。
最期の最期で、こんな。
「お父さん……だよね……?」
その声が、すぐそばで聞こえるのに。
意識が、遠ざかっていく。
もう、時間がない。
けれど。
最期に届けたい、想いがある。
残された時間で、やらなければいけないことがある。
最期の力で、俺は言葉を紡ぐ。
「花凛さん、伊織莉さん」
俺は二人に向き直ると、言葉を続ける。
「ありがとう。二人のおかげで最期に娘を守ることができた」
「最期って……。……分かった。クマさん、こっちこそありがとう。クマさんのおかげで、お姉ちゃんのこと知ることができた。お姉ちゃんの想いに気付くことができた。だから、ありがとう」
「クマ、おまえといるのけっこう楽しかったぜ」
「二人とも、本当に、ありがとう」
そして。
「結希……」
「お父さん……」
目の前にいるのに。
こんなに近くにいるのに。
もう、抱きしめることもできない。
ああ。
娘一人を残して消える父親を、許してほしいなんて言えない。言わない。
ただ、ただ、願う。
幸せになって欲しい。
好きなことをいっぱい見つけて欲しい。
笑顔で過ごして欲しい。
大切に思える人をたくさん作って欲しい。
やりたいことをやって欲しい。
後悔のない人生を送って欲しい。
俺のことなんて思い出す暇もないくらい楽しい時間を過ごして欲しい。
伝えたい言葉がある。
伝えなければいけない言葉がある。
――いや、違う。
いつかの花凛の言葉が脳裏をよぎる。
――最期の言葉なんて呪いになっちゃうよね。
そうだ。
俺の言葉が、娘の未来を決めてはいけない。
娘の人生を縛っちゃいけない。
願いを押しつけることは、きっと、違う。
だから、俺が伝えたい言葉は、一つだけ。
俺が届けたい想いは、一つだけ。
「……愛してる」
「お父さん……!」
「愛……してる」
「やだ! いかないで! お父さん!」
結希の瞳から涙が、こぼれる。
ああ。
泣かないでほしい。
結希が中学生になって、高校生になって、友だちと喧嘩したり、テストの成績が悪くて落ち込んだり、部活で悩んだり、恋人ができたり、受験で悩んだり、大学で単位を落としたり、就職活動が上手くいかなかったり、社会人になってからも仕事で悩んだり、人間関係で悩んだり。
それでも。
前を向いて、いつか結希が、この人とならって思える男を連れてきて、娘さんをくださいなんて言われる日がきて、結婚して、仕事も上手くいって、温かい家庭を築いて。そういう幸せが、きっと、娘に訪れるって信じてた。
結希が自分の幸せをつかむまで守るのが、俺の役目だったんだ。
琴音との約束だったんだ。
それなのに。
最期に見るのが、娘の泣き顔だなんて。
娘の涙だなんて。
娘一人を残して、消えなければならないなんて。
せめて、この涙が、辛くて、悲しくて流す涙が、最後になるように。
どうか、どうか。
「……結……希……愛……してる……」
「お父さん……! 一人にしないで……! お父さん……! お父さん……!」
「……愛……し……て……」
クマのぬいぐるみは、ぽとりと床に落ちると、力なく横たわった。
二度と動かなくなったクマのぬいぐるみ。
そのぬいぐるみを抱きかかえる少女の嗚咽が、夜の森に深く、深く、染み入るように響き続けていた。




