40. 絶体絶命
「なんで……」
「だって、あの後調べたけど、殉職した警察官のニュースなんて見当たらなかったし。クマさんの話、ところどころ結希ちゃんのこと呼び捨てだったし。父親のこと普通に俺とか言ってなかった?」
酔っ払ってると思ったのに、ちゃんと聞いていたとは。
「……嘘ついて、ごめん」
俺は小さく息を吐きながら、再びナイフを動かす。ロープの繊維がギシギシと音を立ててほぐれていく。
「あの話は、どこまで本当?」
「警察官の話以外は」
「そっか……。このこと、結希ちゃんには……」
「言ってない。ずっとぬいぐるみのふりしてたから。言わないでほしい」
「いいの?」
「娘に、2回も父親を失わせたくないんだ」
「でも、ずっと一緒にいられるかも」
俺は静かに首を振る。
「きっと、もう、時間がないんだ。なんとなく分かる」
「そう……なんだ……」
花凛の声は少しだけ震えていた。
ようやくロープが切れた。次はプチプチだ。ナイフを置くと、俺は両手でプチプチを貼り付けるガムテープを剥がしにかかる。
「それはそうと、クマさん、ここどこ? あの二人は?」
「どっかの山奥みたい。二人は警察に電話するって言って電波の届くところに行ってる」
「警察? なんで? 警察に来られて困るのって、あの二人じゃないの?」
「そこまでは分かんない。けど、逃げるなら今しかない」
「分かった」
ガムテープが剥がれた。タオルはグルグル巻きになっていただけで縛られていなかった。彼女は自力でタオルを外し、両手を解放する。
「あー、なんか、頭いてぇ」
伊織莉の意識も覚醒したようだった。
「伊織莉、待ってて。すぐほどくから」
花凛はバタフライナイフを拾うと、自分の足首のロープを切り始める。
「くっそ。油断したわ」
「本当にね。もっと気をつけなきゃダメだったね」
花凛の足首を縛るロープが切れたときだった。外からエンジン音が響いた。
「花凛さん! マズい! あいつらもう戻ってきた!」
「嘘!?」
外から響くエンジン音が大きくなり、タイヤが砂利を踏みしめる音がはっきりと聞こえる。マズイ。間に合わない。
「取れた! 伊織莉!」
足首の拘束をほどき、ナイフを持ったまま花凛は、伊織莉のもとへと駆け寄る。
「花凛! 急げ!」
「分かってる!」
バタンッ――車のドアが勢いよく閉まる音。続いて、話し声と足音が耳に届く。
花凛が伊織莉の手首の拘束をほどいたとき、聞きたくない声が聞こえた。
「おいおい、逃げようとしてるぜ、こいつら」
小屋の入り口に、二人の影が差す。
「だから、さっさとやっちゃおうって言ったのよ」
「たいして変わんねえだろ」
「縛り方緩かったんだじゃない?」
「おまえも一緒に縛っただろ」
「あ、違う。ナイフ持ってるよ、この子たち」
「マジかよ。最近のガキは怖えなぁ」
ニヤニヤとした下品な笑みを浮かべ、クズAとクズBが歩を進める。
「来ないで!」
ナイフを両手に持ち、花凛は立ち上がると、二人に相対した。
「若い女の子には、そんなもん似合わねえぞ」
歩を止めないクズAの姿に、思わず花凛は後ずさる。
「来ないでって言ってるでしょ!」
花凛の手が、震える。
「ちょっとは落ち着けよ。そんな危ねえもん、こっちによこしな」
クズAはニヤニヤとした笑みを崩さない。
「それとも、そのナイフで俺たちのこと刺すのか? 残りの人生、殺人犯として生きるのか?」
「正当防衛でしょ、こんなの! そっちこそ、私たちのこと殺して、逃げ切れると思ってるの!?」
「別に逃げる気ねえからな。もうすぐ警察も来るしな」
「だったら、捕まるの、そっちでしょ!」
「捕まってもいいんだよ、俺らは」
「どういうことよ!?」
「父親を殺されて一人になった親戚の娘をかわいそうに思って引き取って大切に育ててたら、遺産を嗅ぎつけた女子大生二人が、身代金目的でその娘を誘拐しました。警察に連絡したけれど、居ても立ってもいられず娘を助けに向かったら、逆上した犯人に娘が殺されました。俺たちは犯人を取り押さえようともみ合って、犯人にナイフが刺さり、犯人は息絶えました。ちょうどその時、警察が到着しましたっていう悲しいお話だからな」
「そ、そんなの、警察が信じるわけないじゃない!」
「結希の父親殺した黒幕も捕まってねえのに、俺たちなんてすぐに釈放されるだけだぞ」
「結希ちゃんのお父さん殺したのって……」
「俺らに決まってんだろ」
「やっぱり……」
「警察もバカだよな。実行犯捕まえて終わりだからな」
「けど、今回は実行犯でしょ!? 逃げられるわけない!」
「実行犯はおまえらだって言ってんだろ」
「警察だって気付くよ! わたしたちだけで結希ちゃんここまで運んでこれるわけないじゃない!」
「おまえら、結希と顔見知りって言ってただろ。ハイキングにでも誘って連れ出したんだろ」
「こんな山奥、来れるわけないでしょ!」
「ここはな。けど、隣の山キャンプ場あるからな。来ようと思ったら来れるぜ」
「……じゃ、じゃ、なんで、結希ちゃんがこの場所に誘拐されたって分かったのよ!? そんなの犯人が自分から言うわけないでしょ!?」
「後で結希の服にGPSつけりゃ済む話だろ」
「…………そんなの……わたしたちが結希ちゃんの遺産なんて知るわけないじゃない!」
「結希が花買いに行ってたころからの知り合いなんだろ? 遺産のこと知るチャンスなんていくらでもあっただろ」
状況が状況だ。花凛がどんどん追い詰められていく。正常な判断なんて、できるわけがない。
「おまえら、役に立ってくれたわ。結希を事故死させようとしたのに、よく分かんねえけど失敗したからな」
「わざわざ自分たちでナイフまで用意してくれてね。こっちで用意する必要なかったわね」
「せっかくだから、おまえら起こして、縛ってるおまえらにナイフ握らせて結希殺させようと思ったけどな。ロープほどいてやがるし、もういいわ」
クズAがじりじりと花凛との間を詰める。
「花凛! こっちだ! 先にあたしをほどけ!」
その言葉に、はじかれたように花凛が動く。しゃがみこんで、伊織莉の足首を縛るロープにナイフをあてる。
けれど。
次の瞬間。クズAの身体が動いた。花凛との間合いを一気に詰めると、力いっぱい彼女の顔を蹴り上げた。
「キャッ!」
もんどり打って、彼女は床に倒れる。
「花凛! てめえ、何しやがる!」
叫びながら伊織莉が立ちあがる。けれど、両手の拘束は解かれたけれど、足首はまだ縛られたままだ。
「おまえも寝てろよ」
クズAに蹴り飛ばされ、伊織莉も床に転がった。
「てめぇ! うぐっ!」
寝転んだ彼女のお腹に、クズAが蹴りを入れる。
「暴れられてもめんどくせえしな。結希が殺されるの、そこで見てろよ。おまえらが殺したことになるんだからな、見届けたいだろ?」
クズAは花凛のサバイバルナイフを拾うと、結希へと向き直った。




