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38. 油断

 話し声で目が覚めた。


 朝からうるさいと思ったが、時計を見ると午後2時を回っていた。しまった。寝すぎた。結局、結希(ゆき)が心配で明け方まで様子を見ていたから、寝付いたのが朝になってしまった。


 部屋に結希はいない。娘は大丈夫だっただろうか。病院に行っているということはないだろうか。今日は土曜日で学校は休みだ。ここ2週間ほど、土日の明るいうちに娘が外出したことはない。1階にいるのだろうか。あの二人と娘が会話をしているのだろうか。


 俺は机から下りると、部屋から廊下に出て聞き耳をたてた。クズA、クズB以外の話し声が聞こえる。結希の声じゃない。けど、聞き覚えのある声のような気がする。誰か来ているのだろうか。俺の昔の知り合いとか。


 階段を下りて1階へ向かうと、話し声がはっきりしてくる。そして、聞き覚えのある声の主に思い当たった。


 まさかと思いつつ、廊下からリビングをのぞき込む。やっぱり、いた。


「そうだったんですね」

「そうなのよ。この人がお世話になった人の娘だから、どうしても引き取りたいって」


 ソファに座って話す、花凛(かりん)。花凛の左隣には伊織莉(いおり)。花凛の右隣で彼女にもたれかかる、結希。さらに、花凛と笑顔で話すクズB。その隣にクズA。


 どうしてここに、花凛と伊織莉が。そもそも家の場所なんて知らないはずだ。花凛が花屋でバイトしていたときに、結希が教えたのだろうか。そうだとしても、どうしてここへ。俺が花凛の家に戻るまでに、まだ数日の猶予がある。痺れを切らして、待ちきれずに乗り込んできたのだろうか。


 ダメだ、と思う。あいつらは、すでに結希を殺そうとしている。花凛と伊織莉まで危険な目にあわされるかもしれない。これ以上、巻き込みたくなかったのに。


 それなのに、同時に、少しホッとしている自分がいる。この身体でできることには限界がある。隙を見て花凛か伊織莉のどちらかと接触できれば、協力を頼めるかもしれない。


 二人を巻き込みたくないという思いと、二人に協力を頼みたいという思いが、心の中で衝突する。


「わたしも……結希ちゃんのお父さんには……一回……しかお会いしたことは……ないんですけど……まさかお亡くなり……に……なっていたとは……知らなくて……。せめて……お……線香だけでもと……思いまして……」

「あら、そうなの? それはご丁寧に。でも……ねえ?」

「ああ。結希が父親と母親を思い出すものが見えるところにあると、逆に結希が見るたびに辛い思いをするんじゃないかと思って、片付けたんだよ」


 それでか。妻の遺影をどこにも見かけなかったはずだ。クズAの言葉に、結希は反応しない。


「そ……そうなん……です……か……」


 さっきから花凛しか話していない。伊織莉が廊下に出てきてくれないだろうか。いや、違うな。あいつ、なんか眠そうだぞ。


「そういえば、結希ちゃんの……お父さんは……強盗にあったって聞き……ました……けど……」


 花凛もなんかポヤポヤしてる。いや、花凛も眠そうだ。


 まさか。


 結希も、花凛にもたれかかっているんじゃない。寝てる。


 心臓が早鐘を打つように感じる。


 やられた。


 花凛の言葉が、意味をなさなくなっていく。そして、沈黙が下りた。


「ははは。バカだな、こいつら。好都合だ」

「本当ね。利用しましょ」


 クズAとクズBはソファから立ち上がると、こっちに向かって歩いてきた。マズイ。今から階段を上っても間に合わない。慌てて隠れる場所を探すが、見当たらない。ぬいぐるみのふりをして誤魔化すか。


 そんな考えが脳裏をよぎったが、視界の端に、見つけた。あれは見覚えがある。花屋に行くのに自転車をこいでいたときに、花凛が履いていた。温かいからって言いながら。


 あの二人が来る前に、俺は走り、玄関に置いてあるブーツの中に飛びこんだ。思ったより狭い。けれど、何とか隠れられる。


 二人は俺に気付かずに、玄関から外に出ていく。ドアが閉まり、足音が遠ざかったのを確認して、俺はブーツから出ると、リビングへ走った。三人とも、明らかに眠っている。


「花凛さん、起きて!」


 花凛の身体を揺すりながら声をかけるが、起きる気配はない。


「伊織莉さん!」


 伊織莉もダメだ。完全に眠りこけている。当然、結希もだ。花凛にもたれかかるようにして、熟睡している。


 テーブルにはマグカップ。おそらく粉末のカップスープだろう。これなら錠剤だって砕いて溶かせるだろうし、結希だって飲んでしまう。


 いつの日か、カップスープを飲みながら、涙を流していた娘の姿を思い出す。あのカップスープを、今日は結希も飲んだのだろう。花凛がいることに安心して。きっと、今度は涙を流すことなく飲んだのだろう。その気持ちを踏みにじりやがった。


「伊織莉さん!」


 伊織莉の身体を激しく揺する。けれど、反応がない。


「花凛さん!」


 再度、花凛に呼びかける。何のリアクションも返ってこない。このままだと、三人とも命が危ない。俺に関わってしまったばかりに、二人とも危険な目に。


 どうすれば起きる? 身体を揺すったくらいじゃ起きない。思いっきり叩いたら起きるか? 目が覚めてからキレられそうだけど、そんなこと言っている場合じゃない。やるしかない。叩いても最後には許してくれそうなほう。こっちだ。


「伊織莉さん! 起きて!」


 叫びながら、伊織莉の太ももを思いっきり叩く。


「う……ん……」


 反応があった。


「伊織莉さん! 伊織莉さん!」

「ん……」


 ダメだ。起きない。


 遠くから話し声が聞こえる。二人がもう戻って来た。仕方なく俺は、ソファの下に潜って隠れた。


「本当に大丈夫?」

「いけるだろ、これなら」


 話し声と足音が近づく。二人は眠っている三人に近付くと、ガサゴソと物音を立て始めた。


「まず、こいつな。お前、タオル押さえとけ」

「ぐるぐるにした方がいいんじゃない?」

「あー、そうだな」


 こいつら、何をしてやがる。どうやら伊織莉に何かをしているようだが、ソファの下からでは見えない。顔を出すのはマズイ。この距離だと、見つかる。


「腕はこんなもんだろ。次、足な」


 二人は伊織莉の足首にタオルをぐるぐると巻き付ける。そして、その上から気泡が並んだ透明な梱包シート――いわゆるプチプチを巻き付けて、ガムテープを貼って固定した。さらにその上から、ロープで足首を縛る。ここまで入念にやるとは。おそらく、手首も同じように縛られているだろう。


 二人は、作業を花凛に移した。伊織莉と同じように、足首がタオルとプチプチとロープで縛られる。おそらく、花凛の手首も同様だろう。


 花凛を縛り終えると、二人は結希の作業に入った。しかし。結希の足首にはロープだけが巻かれた。タオルとロープが足りなくなったのか。他の理由でもあるのか。


「猿ぐつわ、今からする?」

「あー、めんどくせえから、やっちまうか」


 三人とも、縛られたうえに猿ぐつわまでさせられる。本格的にマズイ。どうする。どうする。


 飛び出したところで、この身体でクズAとクズBを張り倒すのは無理だ。外に逃げて、誰かに助けを求めるか。誰かって、誰に。どうやって。道行く人に話しかけたところで、気味悪がって逃げられるだけだ。


 警察は? 家に固定電話がない。スマホはこの身体だと操作できない。交番まで行くか? 警察は信用してくれるか? いきなりやってきた正体不明のクマのぬいぐるみの訴えに耳を傾けて動いてくれるのか?


「おし、運ぶか」

「一人で持てる?」

「引きずりそうだな。二人で運ぶか」


 二人は伊織莉の身体を持ちあげて、運んでいく。ソファから顔を出して視線を送ると、クズAが両手を伊織莉の両脇の下に入れて持ち上げ、クズBが伊織莉の脚を抱えていた。


「二人でも重いわね」

「あと二人いるからな」

「荷物もでしょ」

「ああ、バッグも持ってかなきゃか」


 二人は伊織莉を抱えたまま、リビングから出て行った。俺はソファの下から抜け出すと、花凛と結希の姿を見上げた。


 予想どおり、タオルとプチプチとロープで、手首と足首を縛られた花凛。ロープだけで手首と足首を縛られた結希。結希の口には猿ぐつわ。花凛は猿ぐつわをされていないのに。あいつらの目的は何だ? どうして違いがあるんだ?


 とにかく、俺にできることを考える。あいつらは三人をどこかへ連れていく気だ。今から交番に走って、警察に事情を説明して、信じてもらって、警察に動いてもらうまでに、どれくらいの時間がかかるだろう。その間に三人はどこへ連れていかれるのだろう。


 選択肢は、一つしかなかった。俺は、花凛のトートバッグの中に飛び込んだ。この身体になってから、花凛に外に連れて行ってもらうたびに俺が入っていたトートバッグ。もはや、我が家のように感じてしまう。


 あいつらのさっきの言葉が本当なら、きっと、三人と同じ場所にこのトートバッグも持っていくはずだ。


 やがて、二人は戻ってくると、今度は同じように花凛を運び出す。花凛の移動が完了すると、クズAは一人で結希を抱きかかえ、クズBが花凛のトートバッグと伊織莉のリュックを運び出す。


 トートバッグの中から少しだけ顔を出して様子をうかがうと、二人は玄関を出て車庫に向かい、クズAがミニバンのリアゲートから結希を運びこんだ。続いてクズBがトートバッグとリュックを車内に投げ入れて、バックドアを閉める。


 トートバッグから顔を出すと、後部座席が倒されて広くなったスペースに毛布が敷かれ、寝転がった結希、花凛、伊織莉の姿があった。


「花凛さん! 起きて!」


 二人が家に入ったのを見届けてから、花凛の身体を揺すりながら声をかけるが、やはり起きない。


「伊織莉さん! 起きて!」


 伊織莉もダメだ。やっぱり起きない。


 俺の奮闘も空しく、クズAとクズBは家から出てくると、家の鍵をかけて車に乗り込み、出発してしまった。


 焦燥感が、俺を支配する。


 このままだと、すべてが手遅れになってしまう――。

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