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36. 憎い

 次の日も結希(ゆき)が学校に行ってから、家の中を探し回ったけれど、通帳も、お金の流れをメモした紙も、何も見つからなかった。


 お金の流れを探るという方針は、完全に行き詰まった。


 これまで探したかぎり、怪しいものは出てこない。二人のバッグや財布の中も探したけれど、特に何も出てこない。あえて言うならクズAのスマホがもう1台バッグの中に入っていたくらいだ。


 もしかしたら犯罪に使っているものかもしれないけれど、確かめようがない。しかも、手帳型スマホケースの中に紙やすりが入っていた。あんなの入れてどうするんだ。


 この身体だと細かい作業は向いていないから、バッグや財布の中を探すのは大変だったのに、何の成果も得られないと、疲労感が増す。


 お昼になって二人が起きてくる前に、結希の部屋の机の上に座って、方針を練り直した。俺を襲ったときのことを考えると、闇バイトか何かを雇った可能性が高い。


 けれど、クズAなんて、しょせん小物だ。闇バイトグループの幹部とか指示出し役だとは思えない。かといって、実行犯をやる勇気もきっとない。あるとすれば、指示出し役にゴマをすって仲介役に取り立ててもらうくらいだろう。そうだとすると、俺の家の情報を提供して襲わせたか、俺のときだけ指示出し役を出し抜いて実行犯に襲わせたか。


 どちらにしろ、そうなると2台目のスマホが怪しくなってくる。どうにかして、あのスマホの中を見る方法はないだろうか。


 俺の身体じゃ反応しない。花凛の家に帰るときに持ち出して、触ってもらうしかないだろうか。けれど、生体認証だったら中を見れないし、パスコードだって分からない。ロックがかかったらお手上げだ。花凛がお姉さんのスマホを確認できないって言っていたことを思い出す。同じ問題に直面してしまった。


 悩んでいると、物音が聞こえた。クズAとクズBが起きたようだった。もう、自由に動ける時間が終わってしまった。


 あいつらは、娘の命を狙ってる。今日も何かするかもしれない。あの二人を殺すのは、本当に最終手段だ。その前に、何でもいい。何か犯罪の証拠を。


 ――いや。証拠がなくても、警察が立ち入る状況を作ったらどうだろうか。例えば、家に火をつける。放火が疑われる状況なら、警察だって立ち入るだろう。そこで何かを見つけてくれれば。


 けれど、俺の家だ。俺の家族の家だ。できれば火はつけたくない。ボヤで終わればいいが、全焼したら結希はどうなるだろう。どこへ行くんだろう。


 その前に、あの二人から守ることばかり考えていたけれど、あいつらが逮捕されたら結希はどうなるだろう。この家で、一人で暮らすのだろうか。それとも、施設に行くのだろうか。


 俺は一緒にいられるだろうか。いつまでこの身体でいられるのか分からない。最近、眠くなることが増えている気がする。近いうちに、この身体から離れるときがきっと来る。


 ダメだ。考えがまとまらない。悩み続けていたら、いつの間にか夕方になっていたようで、結希が帰って来た。もうそんな時間なのかと驚く。


 今日も同じだ。結希が帰ってきたら、入れ違いで二人は出かけていった。結希はまた、二人が食べ散らかして飲み散らかした片付けをし、掃除をして洗濯をして、俺をリュックに入れてコンビニに行った。


 家に帰ってきてから、娘は今日もコンビニ弁当を食べる。たった一人で。無言で。無音で。その様子を俺は、廊下から見つめることしかできない。


 自分の存在を伝えたい衝動に駆られる。俺はここにいる、結希は一人じゃないって伝えたい衝動に駆られる。けれど、それだけはダメだ。バレないように、できることをやるしかない。


 不意にドアの開く音がして、俺は慌ててリビングのドアの陰に隠れた。二人が帰ってきた。


「ただいま、結希」

「お、ご飯食べてたのか」

「……うん、お帰り」


 二人の突然の帰宅に、結希も驚きの表情を隠せない。こんなこと、初めてだ。


「今日、クッキーもらってきたのよ。今から食べなさい」

「え……いいの……?」

「当たり前だろ、結希のためにもらってきたんだぞ」


 食べちゃダメだ。直感が告げる。この二人が、結希のために何かをすることなんて、あるわけない。


 クズBがバッグから、小さなクッキー缶を取り出す。5枚入りくらいだろうか。缶の蓋を開け、テーブルの上に置いた。


「ありがとう」


 笑顔の結希。ここ10日ほどで初めて見る、笑顔の結希。


 間違いなく、クッキーに何か入ってる。毒が盛られてる。けれど、そんな証拠が残るようなことをするだろうか。


 結希がクッキー缶をのぞきこむ。毒じゃないとすれば。すぐに思い当たって、血の気が引いた。


 エピペンの置いてある場所を思い出す。まだあるだろうか。使用期限は切れていないだろうか。いや、そういう問題じゃない。あの二人がエピペンなんて打つわけない。きっと、結希にも打たせない。


 触っちゃダメだ。誰にも見られていないことを確かめてから、俺は走った。リモコンの場所は分かってる。リビングのテーブルによじ登ると、俺は部屋の電気をすべて消した。リビングも、ダイニングも、キッチンも。


「え?」

「お? なんだ?」


 クズAとクズBの戸惑いの声が聞こえる。


「ちょっと電気つけてよ」

「おう」


 暗闇の中を、俺は走る。今度は、ダイニングへ。


「あれ? つかねえぞ? 停電か?」


 壁のスイッチを押しているようだけれど、無駄だ。リモコンで消したんだ。


「ブレーカー見てきてよ」

「暗くて見えねえんだよ」


 二人が手探りで歩いているすきに、俺はダイニングテーブルをよじ登る。そして。クッキー缶をテーブルから突き落とした。


 暗闇にゴンっという音が響く。


「キャッ」


 近くから聞こえた物音に驚き、結希が悲鳴をあげる。


「なに? どうしたの?」


 クズBの声を無視して、俺は床に落ちたクッキーの上へと飛び降りる。グシャッと鈍い音が響き、1枚が粉々に割れる。


 2枚目、3枚目、4枚目。暗闇に乗じて、床に落ちたクッキーに順番に飛び乗り、粉々にしていく。大きな破片は残しちゃダメだ。とにかく粉々に。5枚目。これで最後かと思ったら、もう1枚あった。6枚目。


 これで全部のはずだ。食べ物を粗末にしちゃダメだって、俺も琴音(ことね)も、娘にさんざん言い聞かせてきたのに、こんなことをする日がくるなんて。


 クッキーをすべて粉々に砕いた俺はリビングへ戻り、テーブルをよじ登って、リモコンで電気をつけた。


「あ、ついた」

「え? なに? ついた?」


 クズBの声に答えながら、廊下からクズAが戻ってきた。


「何してるの!」


 すぐにクズBの金切り声が響いた。クズBの視線の先には、床に無残に散らばった、粉々のクッキー。


「わたしの持ってきたのが食べたくなかったの!?」

「違うの! 何か動いてたの!」

「何かって何!?」

「……暗くて……見えなくて……」

「結希以外に誰がそんなことするの!?」

「わたしじゃない!」

「嘘までついて!」

「違うの! わたしじゃないの!」

「そんなに俺たちが用意したの食べたくなかったのか!」

「……わたしじゃ……ない……」

「よく分かったわ。勝手にしなさい!」


 パチンっ! という音が響き、思わず俺は息を飲んだ。


 あいつ、平手打ちしやがった。俺の娘を。


「片付けろよ」


 吐き捨てるように言うと、二人は出ていく。また飲みにでも行くのだろうか。


 沈黙が下りる中、嗚咽が聞こえた。肩を震わせ、泣くのを必死に我慢しようとしている娘の姿が見える。


 まただ。泣いていい。我慢しなくていいんだ。


 娘の辛そうな様子を見ていると、余計なことをしてしまったんじゃないかという思いに駆られる。けれど、あいつらのやることだ。あのクッキーは間違いなく、そういうことだ。 


 瞳を腫らしながら結希は、掃除機をかけた。


 自分を殺そうとしたヤツらの片付けを、結希がさせられる。


 自分を殺そうとした道具を、結希が片付けさせられる。


 涙をこらえながら、片付けさせられる。


 どうして、娘がこんな目にあわなければいけないのか。


 あいつらさえ、いなければ。


 ただ、ただ、憎い。何もできない自分が、悔しい。

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