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35. この身体だと

 俺に与えられた時間は、一週間。それまでに、何か犯罪の証拠を見つけないといけない。


 花凛(かりん)伊織莉(いおり)を説得した次の日の夜、公園で花凛は再び結希(ゆき)に俺の身体を渡した。大学の研究でまた家を空けることになったから、もう一週間だけぬいぐるみを預かって欲しいと伝えて。結希は不思議そうな表情を浮かべながらも、ぬいぐるみを、俺の身体を受け取った。


 その日も結希は一人で星を見ていた。また泣いていたのだろうか。娘に寂しい想いをさせてしまっている。娘に涙を流させてしまっている。それが、辛くて、悔しい。


 次の日の朝、結希が学校へ行ってから、俺は動いた。


 俺を殺したヤツらを闇バイトか何かで募集していたとすれば、お金の流れを調べることで何か分かるかもしれない。


 二人が眠る部屋へ入り、ベッドをよじ登ってクズAとクズBが眠っていることを確認する。相変わらず酒臭い。当分起きないだろう。そのまま二度と目が覚めなければいいのに。


 ベッドから下りた俺は、通帳を探す。バッグの中。机の引き出しの中。クローゼットの中。この身体で探せそうな場所には限界があるが、物音をたてないように手当たり次第に探す。けれど。財布はあっても通帳が見つからない。


 諦めて部屋を出た俺は、階段を下りてリビングへと向かう。リビングの棚、収納BOX、テレビ台の下。こっちでも手当たり次第に探すけれど、通帳が見当たらない。


 最近の銀行は通帳レスも多い。そもそも通帳そのものがないのかもしれない。他にお金の流れを追う方法はないだろうか。悩んでいると足音が聞こえた。まだ昼前なのに、もう起きてきたのだろうか。俺は慌ててソファの下に隠れた。


 足音はキッチンで止まる。冷蔵庫を開けて、何かを飲んでいるようだった。飲み終わると、こちらに近付いてきて、ソファに座ってテレビをつける。脚を見ると、クズBのようだった。俺はこいつのことは何も知らない。名前も、誰なのかも。


 いつか、こいつが花凛にかけた言葉を思い出す。結希と仲良くしてあげてください。どの面さげて言いやがった。


 しばらくすると、足音が聞こえた。今度はクズAだった。クズAも冷蔵庫を開けて何かを飲み、ソファに座る。目の前に汚い脚が四本並ぶ。こいつらのアキレス腱を断裂させてやりたい。


「ねー、もうよくない? 母親ごっこも疲れたし」

「あー、あとでやっとく」

「この前もそう言ってたでしょ」

「今日中にやっとくって」


 嫌な予感がする。胸がざわつく。こいつら、結希に何かする気だ。何だ? 何をする気だ? 聞き耳を立て続けるけれど、その後はどうでもいい会話しかしていない。


 それどころか、ピザを注文し、テレビを見て、届いたピザを食べ、昼間から酒を飲み始め出した。この二人がソファから離れないと、こっちも動けない。


「もう3時過ぎたよ。いい加減やってよ」

「そうだな。そろそろやるか」


 クズBに促され、クズAが動く。クズBも立ちあがる。ようやく二人がソファから離れた。とはいえ、いつ戻ってくるか分からない。何をするのかも分からない。ひとまず俺はリビングのドアの陰に隠れた。いつぞやもここに隠れた気がする。


 クズAは外に行っていたらしく、玄関から入ってきた。リビングから廊下をのぞき込むと、手には洗剤が入っているようなプラスチックの容器と、フローリングワイパー、もう一つはフローリングシートだろうか。


「本当にそれ、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃねえの。知らんけど。お前もやれよ」


 二人は分担して、階段に液体をかけ、フローリングシートを挟んだフローリングワイパーで液体を塗りつけるように床に延ばす。


 掃除というよりは、ワックスがけに見える。ああいうのって、シートに染み込ませてから塗ると思うんだけど。


 それより、この二人が掃除をするのが意外すぎる。普段はすべて結希にやらせているのに。


「こんなもんじゃない?」

「一通りできたしな。なんとかなるだろ」


 クズBは洗面所の方へと向かい、クズAは道具を持って外へ出ていく。車庫にでも置いておくのだろうか。二人が戻ってくる前に、俺は身体を引っ込めて、再びリビングのドアの陰に隠れた。


 ややあって、二人が戻ってきた。二人とも、またソファに座って酒を飲みながらテレビを見ている。廊下のワックスがけは階段だけで終わったらしい。廊下を全部やるなら分かるが、中途半端過ぎる。


 結希が帰ってくる前に俺も部屋に戻りたいが、問題が発生した。ワックスが乾いていないと、俺の足跡がついてしまうかもしれない。30分あれば乾きそうな気がするが、乾いていなかったら俺の足にもワックスがついてしまう。いくらなんでも怪しまれる。


 いつもなら結希が帰ってきたら入れ違いで二人が2階に行くから、そのときにワックスが乾いているかは判断できる。けれど、その後に俺が階段を上っていたら、結希に見られるかもしれない。完全にタイミングを逃した。


 どうしようか悩んでいると、ドアの開く音がした。結希が帰ってきた。2階に戻れなかった。失敗した。


 結希は玄関で靴を脱ぎ、ランドセルを下ろすと両手で胸に抱える。そのまま、廊下を歩いてリビングへ。


「……ただいま」

「おかえり」


 結希の顔を見ようともせずクズBが返す。


「パパたち、もうちょっとしたら出かけるからな」

「……うん」


 小さく返事をすると、結希は踵を返す。


 マズイ。今日にかぎって結希が部屋に戻る方が先だ。俺がいないのがバレる。クズAとクズBがこっちを見てないのを確認し、慌てて娘を追いかけて廊下に出るが、今さらどうにもならない。


 娘の後ろ姿を見ながら考える。もういっそのこと、ソファの下とかで寝たふりしていた方がマシかもしれない。そうすれば、自分が学校に行っている間に、あの二人がクマのぬいぐるみをどこかに動かしたって思ってくれるかもしれない。


 とにかく、今動くのは危険だ。結希の視界に俺が入ってしまったら。


 階段を上る後ろ姿を横目で見ながら、リビングのドアの陰に隠れようと歩を進めた、ちょうどその時だった。


 思わず、息をのんだ。


 階段を少し上がったところで、結希の身体が後ろに傾いた。足を滑らせた、と思った。結希の手が、ランドセルから離れて、宙をつかむ。そのまま、後ろ向きに、落ちる。


 あの二人がワックスを塗っていた理由が、ようやく分かった。甘かった。ぬるかった。


 反射的に、動いていた。娘のもとへ。


 ぬいぐるみの身体で、廊下を走る。階段までの距離が、遠い。たった、あれだけの距離が。


 結希が落ちる。頭から。このままだと、後頭部を強打する。


 間に合え。間に合え……!


「ふぐっ……」


 声が漏れた。聞かれたかもしれない。


 それでも、今は、そんなことはどうでもいい。娘の後頭部は、俺の身体の上。俺が結希の下に滑り込むのが、一瞬速かった。全力で受け止めた。


「いっ……た……」


 物音に、二人がリビングから出てくる。少しの沈黙。そして。


「結希、大丈夫か?」


 半笑いのような、クズAの声。


「う……ん……」


 結希は身体を起こし、後頭部をさする。直撃はまぬがれた。間に俺が入っていたから、たんこぶ程度ですむはずだ。


 けれど、身体までは支えられなかった。背中を打っているはずだ。怪我はないだろうか。骨に異常はないだろうか。痣はできていないだろうか。


 すぐに病院に連れていったほうがいい。いや、救急車をよんだほうがいい。


「言い忘れてたけど、今日、掃除しようと思ってワックス塗ったのよ。気を付けてね」


 結希を心配しようとすらしないクズBの声。


「……うん」


 つぶやいて、結希は視線を下に落とした。俺と目が合う。その目に、驚愕の色が浮かぶ。突然現れたぬいぐるみが頭の下に入り込んでいたんだから、当たり前だ。


「どうして……」


 不思議そうな声。今はそこはスルーして欲しい。それよりも病院に行って欲しい。


 しかし。結希の身体を起こそうとすらせず、二人はリビングへと戻った。結希は俺を抱え、ランドセルを背負うと、手すりをつかみながら、階段を上る。


 あの二人、結希の身体の心配すらしない。怪我の具合を確かめようとすらしない。


 たいした怪我じゃないと判断したのか、それとも。怪我をしていて欲しいと願っているのか。頭を打ったのが後から影響してくればいいと思っているのか。


 娘が助かったという安心感の後に湧いてきたのは、激しい怒りだった。


 あいつら、結希を殺そうとしやがった。


 俺の娘を、殺そうとしやがった。


 とうとう、直接、動いてきやがった。


 この身体だと、娘を抱きとめることすらできない。


 もう、時間が、ない。

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