33. 言えない
「じゃ、クマさん。お話聞かせてくれる?」
花凛の声には優しさと、どこか心配が混じっている。俺は言葉に詰まる。
「ちゃんとスパイやれたんだろうな?」
伊織莉の問いにも、言葉が出てこない。
また新たな問題に直面した。
花凛と伊織莉を巻き込まずに、どうやって結希のもとに戻るか。昨日から考えているけれど、いい方法が思い浮かばないまま、俺は花凛の家へと帰ってきた。
自分の最期に何が起こったのか。記憶が戻ってはっきりと分かった。
自分のやるべきことも見つかった。けれど、一日では物証が見つけられなかった。せめてスマホが操作できれば状況が変わったかもしれないけれど、この身体では無理だ。
誰かに頼むとしても、誰に、どうやって。結希は絶対にダメだ。この二人もダメだ。危険過ぎる。
「おい、クマ。なんで黙ってんだよ」
「……もうちょっと時間が欲しいんで、もう一回あの子の家に行きたいんですけど……」
「え? クマさん、どういうこと?」
花凛の瞳が揺れる。
「家庭環境があんまりよくないかなって思った。両親は明け方にお酒を飲んで帰ってきて、結希が、あ、結希ちゃんが学校から帰ったら出かけるから、会話もほとんどないし。あの子、一人で両親が食べ散らかした片付けして、一人で掃除して、一人で洗濯して、一人で宿題して、一人でコンビニにご飯買いに行って、一人で食べて、一人で夜に星を見に行って、一人で寝て、一人で朝起きて、一人で朝ごはん食べて、一人で学校に行ってる。家にいる間、ずっと一人になってる」
「うそ? 結希ちゃん、そんなことになってるの?」
「けど、この前、家族でどっか出かけてだろ」
「俺がいる間は一緒に出かけることはなかったし、会話もなかった」
「うーん……。わたしの記憶にあるお父さんとは仲良さそうだったんだけど」
そうか。花凛の記憶にあるお父さんって、俺なのか。
花屋が閉店すると聞いて、結希と一緒に花屋に挨拶に行ったことを思い出す。結希が楽しそうに、花屋の店員さんの話をしていたことを思い出す。店員さんにプレゼントしたいからって、クマのぬいぐるみ作成キットを俺が買ったことを思い出す。結希が一生懸命作っていたことを思い出す。
あのときのクマが、俺なのか。あのときの店員が、花凛なのか。
「なんで今はそんなに仲悪いんだよ?」
「それが分からなかったから、もうちょっと時間が欲しくて」
「クマ、お前、それ、どうやって調べるんだよ。会話すらしてないなら原因分かんないんじゃねえの?」
「両親の会話盗み聞きしてたら、どっかでポロっと本音を漏らすんじゃないかと思うんだけど」
「あー。でも、クマさん盗み聞きしてたんだよね?」
「うん」
「ご両親は結希ちゃんのこと、何て言ってたの?」
「何も。話題にすら上らなかった」
「じゃ、ダメじゃね?」
「だから、もうちょっと時間が欲しいんだけど」
「家庭環境に問題がありそうなら、わたしが直接結希ちゃんに聞いてみるよ」
「そっちのが早いよな」
やっぱり、こうなるか。
「でも、前に花凛さんが声かけたときも、結希ちゃん逃げちゃったから、話しにくい理由があるのかも。もうちょっと時間もらえたら、何か証拠がつかめるかもしれないし」
「証拠って、何のだよ?」
「家庭環境に問題がある原因というか、仲が悪くなってる原因みたいの」
「どんな証拠だよ、それ」
「虐待されてるわけじゃないんだよね?」
「それはなかった」
「こういうのって、ネグレクトになるのかな」
「微妙じゃね? 親が作ってないだけで、ご飯は食べてるし。掃除も洗濯も結希がやってるんなら不衛生ってわけでもなさそうだしな。ネグレクトってよりヤングケアラーに近いんじゃね? 両親が病気とかでもなさそうだから、それも違いそうだけど」
「児童相談所に連絡したら、対応してくれるのかな」
「結希がどう思ってるか聞かないと難しいんじゃねえの?」
「じゃ、やっぱり、わたしたちで結希ちゃんに聞いてみよっか」
「手っ取り早いよな」
マズイ。二人をこれ以上巻き込みたくない。
「家族で会話させる方法とかちょっと思いついたんで、もう一回行きたいんだけど」
「クマさんが? どうやるの?」
「結希が……結希ちゃんが授業参観のプリントを親に渡せてなかった。だから、さりげなくプリントを机の上に置いておこうと思って」
「あー。それなら、授業参観についてご両親も結希ちゃんに聞くよね」
「聞くかあ? クマの話聞いてると無視しそうな気するけどな」
「どうだろね。やっぱり結希ちゃんになんとかして話聞いてからかな」
二人を止める方法が見つからない。全部話してしまおうか。話したらどうなるだろうか。間違いなく、関わろうとするだろう。俺の身体で証拠を集めるのが難しいのなんて二人とも分かっている。だからこそ、協力するって言ってくれるだろう。でも、それは絶対に止めないといけない。
「……もう一回、あの子のところに行かせて欲しい」
「大丈夫だよ、クマさん。結希ちゃんに話を聞いてみるから」
「クマにしてはがんばったんじゃねえの」
「違うんだ。もう一回、行かせて欲しい」
「え? 何? クマさん、どういうこと? 十分がんばってくれたよ」
「無理を承知で、もう一回、行かせて欲しいんだ」
「なんだよ、クマ。ぬいぐるみのクセにこだわりすぎじゃね?」
説明できない。理由も話せない。でも。
「頼むから」
二人は顔を見合わせる。そして。
「クマさん、何か隠してる?」
「正直に言えよ、お前」
「……隠してるとかじゃなくて……」
「じゃ、何? なんかおかしいよ」
「こいつ締め上げようぜ」
伊織莉の手が俺の首をつかむ。けれど、脅されようが、絞められようが、言えない。巻き込みたくない。
「……お願いだから、もう一回……」
ただ、懇願することしかできない。
「……分かったよ」
小さくため息を吐くと、花凛は続ける。
「クマさんは、部屋から出さない」
「……なんで……?」
「だって、何か隠してるでしょ? 正直に言うまで部屋から出さないよ。冷凍庫の中にでも閉じ込めておくから」
「凍るぞ、こいつ」
「ちょっとは頭冷えるでしょ」
「冷えすぎじゃね?」
「いいよ。何にも話してくれないんだもん」
冷凍庫の中になんて入れられたら、きっと、この身体じゃ中から出られない。結希のところに行けない。それは、一番困る。
話すしかないだろうか。閉じ込められて動けなくなると、どうしようもなくなる。なんとか二人を関わらせないように誤魔化しながら、話せる範囲で話すしかない。そのうえで、関わらないように改めてお願いするしかないだろう。
「……思い出したんだ。記憶が戻ったんだ」
「マジかよ、クマ」
「本当? また演技じゃなくて?」
「本当なんだ。聞いて欲しい。それで、勝手なお願いで申し訳ないけど、もう関わらないで欲しい。二人には本当に感謝してる。けど、これ以上は関わらないで欲しい」




