25. 花屋
仏壇に向かって手を合わせる花凛。その様子をトートバッグから顔を出してこっそりのぞく。仏壇の手前には、柔和な表情をしたおじいちゃんの遺影が飾られている。あの人が俺なんだろうか。まったく実感が湧かない。
顔を上げた花凛が身体の向きを変えた。
「ごめんなさい、手ぶらで来ちゃって。知ってたらお供え物くらい持ってきたのに」
「いいよ、気にしないで。一人だと食べきれないし」
大学の授業が終わった後、花凛は自転車をニ十分ほどこいで、久しぶりにバイトをしていた花屋のおじいちゃんとおばあちゃんを訪ねた。けれど、おじいちゃんが本当に亡くなっていたなんて想像もしていなかったようだ。
「こっちもごめんね。花凛ちゃんに連絡してなくて。じいさんが自分が死んだら葬式はやらなくていいって前から言ってたから。でも、そんなわけにもいかないから身内だけでやったけど」
「そうだったんだ」
「そう。島津さんいるでしょ? あの人にも怒られちゃった。葬式よんでよって」
「あははは。島津さんなら言いそう」
「でも、じいさんも寝たきりとかにならなかったから、まだよかったよ。腰やってから不自由はしてたけど、脳出血でピンピンコロリみたいなもんだし」
「寝たきりになっちゃったら見てても辛いよね」
「管いっぱい繋がれるのなんて見てらんないわ」
おばあちゃんはおじいちゃんの死を笑いながら話す。きっと、もう、死を受け入れて自分の中で昇華したのだろう。お年寄りは身近な人の死に立ち会う機会が多いから、受け入れるのもだんだんと早くなるのかもしれない。
「そういえば島津さんが、夜に結希ちゃんが川の公園に一人でいるの見たって」
「え? 結希ちゃん?」
「そうなのよ。この前島津さんが夕方に犬の散歩に行ったときに、川の公園にスマホ置いてきちゃったんだって。それで夜に気付いて八時だか九時だかそれくらいにスマホ取りに公園に行ったらしいんだけど。今、スマホも悪い人に盗まれて悪いことに使われるみたいな話があるから心配になったらしくて。で、公園に行ったら芝生のところに子どもが一人で寝転がってるの見かけて。あそこ夜あんまり明るくないから誰が何してるか遠目に分かんなかったって言ってたけど、でも、子どもっぽい人影が寝転がってたから心配になって近付いたらしいのよ。で、顔見たら結希ちゃんだったって」
「結希ちゃん、何してたの?」
「それがね、星を見てたって言ってたらしいのよ」
「星? 一人で?」
「一人でみたい。島津さんが暗いから危ないよって言ったら走って帰っていったって」
「えぇ。大丈夫かなあ」
「花凛ちゃん、何か聞いてない?」
「わたしもお店で最後に会って以来だから」
「公園にいたから家出ってことはなさそうだけど、小学生が夜に一人で出歩いてたら危ない目にあうかもしれないし」
「本当だよね」
結希という名前を聞いて、くりくりした目の女の子を思い出す。俺を、正確には俺の身体になっているぬいぐるみを作って花凛にプレゼントした子。
「花凛ちゃん、せっかくだからご飯食べてきなよ」
「いいの?」
「年寄り一人で食べてても味気ないし」
「じゃあ、わたし作るよ」
「そんな悪いわ。わたしが誘ったんだし」
「えー、じゃ、おばあちゃん一緒に作ろうよ」
「久しぶりだね」
二人の会話を聞いていると、なんというか微笑ましい。結希がおじいちゃんとおばあちゃんに孫みたいにかわいがられていたと花凛は話していたけれど、花凛も孫みたいにかわいがられているようにしか見えない。
その後も二人で世間話をし、ご飯を食べ、お暇をするころには夜の九時を回っていた。
「すっかり遅くなっちゃったね」
人影のない道を、花凛は自転車をこいで帰る。自転車のかごに入れられたトートバッグから顔を出して、俺は彼女に声をかけた。
「おばあちゃん元気そうでよかったじゃん」
「ね。久しぶりに会ったけど元気そうでよかったよ。でも……」
花凛が口ごもる。
「おじいちゃん、亡くなってたね」
「うん。一回くらい会いに行けばよかった」
彼女は小さくため息をついた。
「まさか、あれが最後になるなんて。たくさんお世話になったのに。ちゃんとお礼も言えなかった」
花凛とおばあちゃんの仲の良さそうな様子を思い出す。きっと、おじいちゃんとも同じように仲が良かったのだろう。おじいちゃんにも孫みたいにかわいがられていたのだろう。
自転車に揺られながら俺もため息をつく。花凛の身近にいる人で亡くなった人。その条件にあてはまる人間が一名出てきてしまった。あの遺影で微笑んでいたおじいちゃんが俺なんだろうか。
「クマさん、何か思い出した?」
「さっぱり。俺なのかなあ」
「おばあちゃんを見て懐かしいって思ったり」
「全然しなかった」
「薄情者」
「えぇ……」
「きっとクマさんは次の人生でも、わたしのことなんてきれいさっぱり忘れちゃうんだろうなあ」
「前世のことなんて覚えてる人いる?」
「そこは絶対忘れないって言うとこでしょ」
要求のハードルが高い。
「じゃ、花凛さんは次の人生で俺のこと覚えてると思う?」
「えー……。クマさんかあ……」
なんでそんなに嫌そうなんだよ。
「でも、正体が分かったら覚えてるかもしれないよね。魂の乗り移ったぬいぐるみなんてインパクトあるから」
確かに。自分で言うのもアレだけど、俺みたいな状況のヤツなんてそうそういないと思う。
「もしも俺がおじいちゃんだったら、俺の未練って何だと思う?」
「うーん……。やっぱりおばあちゃんのことかなあ」
「おばあちゃんを一人にしちゃったから?」
「かなあ。でも、おばあちゃんって一緒に暮らしてないだけで、子どもも孫もいるからね」
「じゃ、何か約束でもあったとか? 温泉行く約束してたとか」
「そういうのかなあ。聞いてみればよかったね」
おじいちゃんの心残り。何だろう。凛聖のことを思い出す。凛聖は自分から命を絶ってしまったけれど、花凛のことは心残りではなかったのだろうか。誰よりも大切な妹が成長していく姿を見たかったのではないのだろうか。今ごろ、この夜空に輝く星になって妹のことを見守っているのだろうか。
星。どうしてこんなに見えるんだろう。周りを見回して気付いた。
「花凛さん、道違くない?」
「ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「うん」
行きとは違う道を通っている。明かりが少ない。だから星が見えるのか。
しばらくすると、花凛は自転車を止めた。俺の入っているトートバッグを手に取ると自転車から下りて彼女は歩き始める。ここがどこなのか、俺にも分かった。おばあちゃんの話にあった川沿いの公園。だとすると、花凛の目的は。
「本当にいた」
つぶやいて彼女は芝生に寝転ぶ小さな人影に向かう。
近づいてくる人の気配に、その人影も気付いたようだった。身体を起こし、こちらに視線を向け、じっと見つめる。
「結希ちゃん?」
呼びかけられた女の子は目を見開き、立ち上がると駆け寄ってきた。
「花凛ちゃん!」
言いながら抱きつく。
「結希ちゃん、どうしたの? こんな時間に」
「星を見てたの」
おばあちゃんの話のとおりだ。
「こんな時間に? 一人で?」
「うん」
「もう夜遅いでしょ」
「ちょっとくらい遅くても大丈夫だよ」
「お父さん、心配するよ」
「お父さんは……パパは……大丈夫だよ」
結希は花凛から離れると、空を見上げた。
「寒いし、風邪ひいちゃうよ」
結希は服を着込んではいる。けれど、十一月の夜なんて寒いに決まってる。
「大丈夫だよ」
「遅いし、送ってくよ」
「大丈夫だよ、近いから」
「でも……」
「またね、花凛ちゃん」
手を振ると、結希は逃げるように走り出す。その姿が暗闇に消えるまで見送ると、花凛は公園の外に向かって歩き出した。
「なんか変だったよね」
「こんな時間に一人で外にいるって、あの子不良なの?」
「素直なかわいい子なんだけど。塾とか習い事とかの帰りなら分かるけど、星を見てたって、どうしたんだろう」
「趣味が天体観測とか」
「そういうのって、星がきれいに見えるところに行って、天体望遠鏡とか使うんじゃないの?」
言われてみれば。
「あの子って何年生?」
「今は五年生のはずだけど」
「星の動きを観察する宿題が出たとかってない?」
「でも手ぶらだったよね。カメラとかノートとか、記録するものがいるよね。あ、今はスマホか」
「うーん……」
あとは本当に星を見てたって可能性くらいしか思い浮かばない。メルヘンな子なのかもしれない。
花凛は自転車に乗り、再び家路についた。
「結希ちゃん、なんか悩んでるのかなあ」
「悩んでて星を見ようって思う?」
「きれいなものを見て心を浄化しようと思ったのかも」
「あの子、そんな心がすさんでるの?」
「分かんないけど、気になるなあ。こういうのって深入りしない方がいいのかなあ。でも、放っておくの嫌だなあ」
悩みながら、花凛は自転車をこぐ。俺は夜空を見上げた。ここなら星がよく見えると思った。




