23. 星きれい
お日様が下へ上っていき、上へ沈んでいく。そんな不思議な光景を一日中ベランダから見ていた。
黒井のバッグに忍び込んだことを、予想どおり俺は怒られた。伊織莉には、ぬいぐるみのくせに勝手に動いてるんじゃねえよと怒られ、腕をつかまれ、身体をぐるぐると回された。
花凛はまあまあとなだめてくれた。昨日、あれから一人暮らしをしている部屋に帰ってきたときも普通だった。
けれど、今日、朝から俺は洗濯機に閉じ込められ、洗剤と一緒に暗闇の中を回され続けた。怒ってないよと笑顔で言いつつも、彼女は俺を洗濯物ハンガーに逆さ吊りにし、ベランダの物干し竿に放置した。
お昼ごろにはすっかり乾いていたはずなのに、カーテンと窓を開けて怒ってないよと笑顔で俺に告げると、彼女はまた窓とカーテンを閉めた。
こうして一日中、俺は外に逆さ吊りにされている。十一月とはいえ、今日は日射しが強い。ぬいぐるみじゃなかったら、きっと干からびていると思う。
花凛の中で、気持の整理はついたのだろうか。時間がかかっても、ゆっくりでも前に進んでくれたらいいと思う。何もできることがないので、そんなことをぼんやりと吊るされながら考えていた。本当は、テレビを見たり動画を見たりしたい。腹を抱えて笑い転げたい。でも、ほとぼりが冷めるまではおとなしくしていた方がいいと思う。
日が沈み、空が暗くなってくる。後ろでカーテンの開く音がする。この暗さなら、さすがに少しくらい動いても通行人に見られることはないだろう。俺は身体をねじり振り向いた。窓が開く。伊織莉がいた。
「おまえ、今日は諦めろ」
小声でそう言うと、彼女は窓とカーテンを閉める。
え? 花凛ってそんなに怒ってんの? けっこう前に花凛のお父さまのふりをしたときも、ものすごく怒ってたけど。他に何かやらかしていないか、記憶をたどる。伊織莉をそそのかして花凛を尾行させた。勝手に黒井のバッグに忍び込んだ。昨日は凛聖について推理したことをべらべらしゃべった。これは、怒るかもしれない。
しかも、聞きそびれてたけど、俺の身体はプレゼントされたものらしいし、大切にしていたのかもしれない。勝手にいなくなったっていうのは、やっぱりマズかったのだろう。ちゃんと謝っておけばよかった。
空には星が輝き始めていたけれど、街の明かりがまぶしくて、明るい星しか見えない。俺の唯一の記憶。真っ暗な中でキラキラ光る何か。星空だろうか。どこかで星を見ていたのだろうか。夜空の星を見上げていたのだろうか。星を眺めていても何も思い出せない。
ぬいぐるみになって半年以上が経ち、二人に協力してもらっていろいろ見て回ったけれど、何一つ思い出せない。このまま記憶が戻らなかったらどうなるんだろう。成仏できなくて、一生ぬいぐるみのままなのだろうか。ぬいぐるみに寿命ってあるのだろうか。壊れるまでなのだろうか。
部屋の中から笑い声が聞こえる。こっちが真剣に考えてるのに、あいつら、楽しそうにしやがって。人をベランダに干したまま自分たちだけ楽しくやるというのは間違っている。
そう思っていたら、後ろでカーテンの開く音がした。二人に文句を言ってやる。自分たちが、どれだけなめた態度を取っているかを思い知らせてやる。そう固く決意した俺は、後ろを振り向く。俺が振り向くのと、窓が開くのが同時だった。俺の正面には刃物を手にした花凛が立っていた。俺はガツンと言ってやった。
「す……すみませんでした……」
「反省した?」
「はい」
「それは何に対して?」
「いろいろと……」
「いろいろって何? まとめて謝ればすむとか思ってる? わたしがどうして怒ってるか分かってる?」
いつかも聞いた台詞。めんどくさいカノジョのような台詞。でも、その前に、どうしてもツッコミを入れたい。
「あの、朝も昼も怒ってないって言ってた気がするんですけど」
「へえ」
彼女は窓を閉め、カーテンを閉じた。しまった。ツッコまなければよかった。
暗闇に目が慣れたのか、さっきよりもたくさんの星が見えるようになってきた。星座はまったく分からないけれど、星を線で結んで星座として名付けた人たちは、すごい感性だと思う。
室内からは楽しそうな話し声や笑い声が聞こえる。寂しい。俺が悪かったです。許してください。
しばらくして、カーテンと窓が開いた。振り向くと、また花凛が立っていた。今度は刃物を持っていなかった。彼女は俺を洗濯物ハンガーから外し、ベランダから室内に取り入れた。
「お、クマ。何か思い出したか?」
「何かって?」
「この前、プラネタリウム連れていってやれなかっただろ? 本物の星空見て何か思い出したか?」
そういえば、そんな話してたな。
「いや、まったく」
「なんだよ。星じゃねえのかな」
テーブルの上にはお酒の空き缶が並んでいた。こいつら、酒飲んでばっかりだな。飲んだくれどもめ。
「クマさん、ちょっとお話しよっか」
「あ、はい」
改まって言われると怖い。俺はクッションの上に座ると、花凛を見上げた。
「クマさんね、クマさんっていうか、そのぬいぐるみなんだけど。大切なものなんだよ。だから、勝手にいなくなるようなことは絶対にやめて」
「はい。すみませんでした」
謝りながら思う。大切とか言いつつ、俺のことを何回も刺そうとしてたよな。
「分かればよろしい」
「はい」
「じゃ、クマさんにはこれを付けます」
花凛の手にはキーホルダーと小さなベルトがあった。キーホルダーなんて、俺のどこに付けるんだろう。ベルトなら付けられそうだけど。
「何、それ?」
「伊織莉に買ってきてもらったの」
「感謝しろよ、おまえ」
まったく答えになっていない。俺が見つめるなか、花凛はキーホルダーをベルトに通した。そして、そのベルトを俺の首にはめる。……いや、これって。
「首輪じゃん、これ」
「そうだね。首輪だね」
「ええぇぇ。ペットみたいで嫌だ」
「ペットもぬいぐるみも変わんねえだろ」
「変わるし。しかも俺、もともと人間だし」
「でもね、クマさん。そのキーホルダーってGPSついてるんだよ」
「ますますペットみたいじゃん」
「おまえが勝手にいなくなるからだろ」
「それは謝るけど」
「これで、いきなりいなくなっても大丈夫だね」
「もういなくなることないって」
「いなくなってからじゃ遅いでしょ」
一回やらかしているから信用されない。自分のせいだから仕方がないけど。
「クマ、花凛マジでキレてたからな」
笑いながら伊織莉が言う。裏表のない伊織莉よりも、花凛がキレる方が怖いと思う。きっと伊織莉ががんばってなだめてくれたのだろう。どんな状況だったのか、あんまり想像したくない。
「で、おまえさ、聞くの忘れてたけど、黒井さんのバッグに潜り込んだのってスパイしようと思ったんだろ?」
「そう」
「何か分かったのかよ」
「家中調べ回ったけど、何の収穫もなかった」
「何しに行ったんだよ」
「何か手がかりが見つかったらいいなって思ったんだけど」
「無謀すぎるよね」
「ちょっとは考えてから動けよ。脳筋かよ、おまえ」
こいつにだけは言われたくない。
「貰い物なのに捨てられなくてよかったよな、ホント」
伊織莉の言葉で俺は、花凛に聞きたかったことを思い出した。




