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21. 盾

 終わった。二人に白い目で見られる。一時間後の自分の姿が容易に想像できる。


 黒井の家に潜入してから六日間、俺なりにがんばった。


 誰もいないタイミングを見計らって、彼女の部屋をあさった。けれど、凛聖(りせ)との繋がりを示すようなものは何も見つけられなかった。今の時代に手紙なんて、もちろんない。アルバムは見つけられたけれど、息子の写真しか入っていなかった。


 昼間の誰もいないタイミングを見計らって家中を探した。子ども部屋、リビング、キッチン、黒井のご両親の寝室。何か手がかりになるものはないかと探し回った。それなのに、何の手がかりも得られなかった。俺にできたことは、毎晩欠かさず、眠っている黒井の耳元でささやくことだけだった。


 何の収穫も得られなかった俺は、次の土曜日の午後に黒井の運転する車に揺られながら、トートバッグの中でじっとしていた。ダメなぬいぐるみでごめんなさい。


 アパートにたどり着いた黒井がノックをする。中から返事が聞こえ、玄関のドアが開く。


「すみません、黒井さん。わざわざ持ってきていただいて」

「いいよー。買い物に行くついでだし。花凛(かりん)ちゃんこそ、こっちに戻ってくるの遠いでしょ」

「この部屋の片付けがまだ終わってなくて、ちょくちょく戻ってきてるんですよ。お茶でもどうぞ」


 花凛に招かれ、黒井は中に入る。


「こんちはー。今日もお邪魔してます」


 伊織莉(いおり)の声も聞こえる。


「あ、写真」


 黒井が何かに気付いたようだ。


「そうなんです。黒井さんにいただいた姉の写真も、せっかくだから連れてきたんですよ。写真、本当にありがとうございました」

「いいよ、気にしないで。こんなことくらいしかできなくてごめんね。花凛ちゃんと一緒だと、凛聖も喜ぶよ。じゃ、忘れないうちに」


 黒井はトートバッグから俺を取り出すと、花凛に手渡す。


「すみません、ご迷惑をおかけして」

「大事なものなんだよね、それ」

「そうなんです。貰い物で大切にしてたんです」


 俺ってプレゼントされたぬいぐるみだったのか。初めて聞く話だ。


「見当たらなかったからびっくりしちゃいました」


 花凛が目線を俺に向ける。彼女の視線が突き刺さる。すでに目が冷たい気がする。俺をつかむ手の力がいつもより強い。というか、喉元をつかまれてる。苦しい。絶対、めちゃくちゃ怒ってる。勝手に行動しちゃったし。しかも、何の収穫もなかったし。彼女は俺をテーブルの上に置くと、黒井に向き直った。


「黒井さん、実はわたし、嘘ついてました」

「え、何?」

「姉のこと、事故だって言いましたけど、本当は事故じゃないんです」

「どういうこと?」

「自殺なんです」

「えっ?」


 黒井が息をのむ。


「姉から手紙が送られてきたんです。おじさんと一緒に天国に行くって。それで帰ってきたんです。帰省して二人が亡くなってるのを見つけたわけじゃないんです」

「……どうして、凛聖は……」


 花凛は静かに首を振る。


「分かりません。手紙にはそれ以上のことは書いてありませんでした。姉はわたしのことを嫌っていたので、伝える気もなかったんだと思います」

「嫌ってるなんてこと……」

「わたし、全寮制の高校に行ったんですけど、姉に追い出されたんですよ。邪魔だってはっきり言われました。わたしの存在なんて呪いだって、そう言われました」

「そんなこと……」

「何度も、そう言われたんです。大学も、ここから通えるところには行くなって言われてたんです。帰省もするなって言われてたんです。だから、中学校を卒業してから一回もここに帰ってきてないんです。五年ぶりに帰ってきたのが、姉とおじさんの遺体を見つけるためでした。姉はどうしてもわたしに会いたくなかったみたいです」


 黒井は小さくため息を吐くと、じっと凛聖の写真を見つめた。


「……この前、花凛ちゃんに会ったときから思ってた。わたしの知ってる凛聖と、花凛ちゃんの話から聞く凛聖が別人みたいだって」

「それは、わたしも同じ印象です」

「わたしは、凛聖が花凛ちゃんに冷たくしてたのが、どうしても信じられない」

「でも……」

「花凛ちゃんが嘘ついてるって思ってるわけじゃないよ。ただ、わたしの知ってる凛聖とは違いすぎるなって思っただけで」

「そう……ですか」

「どうしてこんなに違うのかなってずっと考えてた。きっと花凛ちゃんもそうだよね?」

「はい」

「最近ね……。最近って言っても、ここ数日だから、多分、花凛ちゃんに会ってからだと思うけど、夢でね、凛聖ちゃんの声がするの。黒井さぁんってわたしを呼ぶ声が聞こえるの」


 あれ、それって。


「だからってわけではないんだけど」


 黒井は手を伸ばすと、凛聖の写真立てを寝かせた。まるで、今から起こることを、凛聖には見せたくないかのように。


「花凛ちゃん、ごめん。わたしも嘘ついてた」

「え?」

「凛聖から黙っていてほしいって言われてたことがあるの」


 黒井は伏し目がちに話を続ける。


「仕事始めて一年くらい経ったころだったと思う。凛聖にね、わたしが通ってた産婦人科のこと聞かれたの」

「産婦人科、ですか?」

「そう。できたの? って聞いたらうつむいて。それで、相手は知ってるの? って聞いたら首振るの。堕ろしたいって言うの」


 花凛は絶句しているようだった。


「未成年だから、堕ろすにしても、相手の同意とか保護者の同意とか多分いると思うよって言ったら、誰にも知られたくないって。でも、恋人には責任とらせないとダメでしょって言ったら、恋人じゃないって。もしかして暴行されたのかって聞いたら違うって言うの。せめてお父さんとお母さんには話しなよって言ったら、どっちもいないって。二人とも亡くなったから、おじさんに引き取られて妹と三人で暮らしてるって。それで初めて、あの子の家庭環境を知ったんだけど。ただ、その話を聞いて、すごく嫌な予感がしたの」

「おじさん……ですか……」


 乾いた声で、花凛が言う。


「……うん。凛聖に、おじさんにされたのって聞いたら、何も答えなかった。だから、おじさんを警察に突き出すか、家を出るかしなよって言ったの。でも、できないって。そんなことしたら生活できないって。凛聖だって働いてるんだし、生活だけならできるでしょって言ったら、妹が未来を選べなくなるって。自分が働いた分のお金をためれば、妹が大学だって行けるからって」

「……そんな……」

「でも、凛聖がそんな目にあってまで一緒に暮らしてちゃダメでしょって言ったの。施設に行く方がまだいいでしょって言ったの。そしたら」


 黒井は花凛を見据えると、言葉を続けた。


「あの子、言ったの。妹と離れたくないって。施設に行くと離れるかもしれないから絶対に嫌だって。妹と一緒にいたいって。妹だけは絶対に守る、妹の未来は何があっても守るって」

「……わたしを……」

「それで、わたしが産婦人科に付き添って、先生に事情を誤魔化して話して、わたしが保護者としてサインしたの」


 呆然とした様子の花凛。戸惑いの色を隠せない伊織莉。俺は、腸が煮えくり返るような感覚に襲われた。吐き気すら覚える。ただ、ただ、ムカつく。


「わたしが凛聖に、誰にも言わないでって頼まれてた話はこれだけだよ」


 黒井は手を伸ばすと、凛聖の写真立てを元に戻した。


「ごめんね、凛聖。約束破っちゃった」


 花凛の唇が、震える。


「……姉は……」


 絞り出すように、彼女が言葉を紡ぐ。


「……姉は……わたしのことを……」

「……自慢の妹だって言ってた。中学校で勉強がんばってるって。修学旅行のお土産で扇子もらったって。高校で生徒会に入ったって。勉強がんばって、いい大学入ったって。いつもうれしそうに話してた」

「……そんなの……」

「だから、花凛ちゃんから聞いた凛聖の話が、わたしの知ってる凛聖と重ならなかったんだよ。わたしの知ってる凛聖は、花凛ちゃんを一番大切にしてたから。誰よりも、自分よりも、大切にしてたから」

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