第99話 彼女が選んだ相手
二〇二二年二月十九日、土曜日。
健太は仕事から帰宅すると、スマートフォンに届いていたメッセージに気づいた。
送り主は小川理恵だった。
『こんばんは。突然すみません。少し報告したいことがあって』
健太は画面を見つめた。
理恵から直接連絡が来るのは初めてだった。
『こんばんは。どうしました?』
返信すると、数分後にメッセージが届いた。
『この前相談した職場の人を、食事に誘ってみました』
健太は少し驚いた。
『そうなんですね。どうでした?』
『最初は驚かれましたけど、今度二人で食事に行くことになりました』
健太は思わず笑顔になった。
『よかったですね。勇気を出して誘ったんですね』
『はい。大野さんに話を聞いてもらったおかげです。ありがとうございました』
その文章を読みながら、健太は複雑な気持ちになった。
彼女がうまくいくことは嬉しい。
しかし、自分が恋愛相談を聞いていた相手が、別の男性と二人で食事に行く。
当然のことなのに、胸の奥に小さな寂しさが残った。
『うまくいくといいですね。応援しています』
健太はそう返信した。
*
二月二十日、日曜日。
健太は草野球の練習に参加していた。
キャッチボールをしていると、藤井が声をかけてきた。
「最近どうや?」
「小川さんから連絡があってな。相談してた職場の人と食事に行くことになったらしい」
「おお、よかったやん」
「うん。よかったと思う」
藤井は健太の表情を見た。
「何か引っかかってるんか?」
「いや、別に。少し寂しいだけや」
「何で?」
「自分が相談に乗ってた相手やからかな。なんか、自分の役目が終わった感じがして」
藤井はボールを握り直した。
「それは、相手のために相談に乗ってたんか? それとも、相手に必要とされたかったんか?」
健太は答えられなかった。
藤井は続けた。
「どっちの気持ちもあったんやろ。でも、相談に乗ったからって、その人が自分を選ぶ義務はないで」
「分かってる」
「なら、応援してやったらええ」
健太はうなずいた。
「そうやな」
*
二月二十二日、火曜日。
健太は会社の帰りに、以前から気になっていたラーメン店に立ち寄った。
カウンターに座り、ラーメンを注文する。
店内には仕事帰りの客が何人かいた。
隣の席では、若い男性がスマートフォンを見ながら笑っている。
その画面には、女性とのメッセージらしきものが映っていた。
健太は何となく目をそらした。
自分も、いつか誰かと日常のやり取りをするようになるのだろうか。
おはよう。
今日も仕事頑張って。
帰りに何か買ってきて。
そんな何気ない会話を交わせる相手がほしい。
ただ、誰かに選ばれたいという気持ちだけで、相手を探してはいけない。
健太はラーメンを食べ終えると、店を出た。
*
二月二十五日、金曜日。
木村から連絡があった。
『小川さんのことですが、職場の方と何度か食事に行っているそうです』
健太は返信した。
『そうなんですね。順調そうでよかったです』
『大野さんにも感謝していましたよ』
その言葉を見て、健太は少し笑った。
自分が誰かの恋愛を応援する側になるとは思っていなかった。
だが、同時に思う。
自分の恋愛はどうなっているのだろう。
三十六歳。
交際経験なし。
手をつないだことも、キスをしたこともない。
周囲の友人たちは少しずつ家庭を持ち、生活を変えている。
自分だけが、同じ場所に立ち止まっているように感じる。
*
二月二十六日、土曜日。
健太は姉の真紀と電話で話していた。
「最近、何かあったん?」
「小川さんの恋愛相談に乗ってたんやけど、相手の男性と食事に行くことになったらしい」
「よかったやん」
「そうやな。でも、俺は何も変わってへんな」
真紀は少し黙った。
「健太は、誰かと付き合うことだけを目標にしてない?」
「そら、彼女は欲しいよ」
「それは分かる。でも、彼女ができたら全部解決すると思ってない?」
健太は黙った。
「恋愛経験がないことを気にしてるのは分かる。でも、彼女ができたとしても、仕事や生活の問題が消えるわけじゃないでしょ」
「まあな」
「自分の生活を大事にしながら、誰かと知り合っていけばいいんじゃない?」
健太は窓の外を見た。
真紀の言うことは正しいのかもしれない。
恋愛を人生のすべてにしてしまうと、相手に求めるものが大きくなりすぎる。
自分の孤独を埋めてくれる人。
自分を認めてくれる人。
自分を選んでくれる人。
そんな役割を、まだ知り合ってもいない女性に期待していたのかもしれない。
「少し考えてみるわ」
「うん。焦らんでいいよ」
*
三月一日、火曜日。
健太は理恵から最後の報告を受けた。
『この前の男性と、また食事に行くことになりました。まだどうなるか分かりませんが、少しずつ仲良くなれたらと思っています』
健太は返信した。
『よかったですね。自分のペースで頑張ってください』
それから、理恵とのやり取りは自然に終わった。
健太はスマートフォンを机に置いた。
誰かの恋愛を応援することはできた。
しかし、自分の恋愛が前に進んだわけではない。
それでも、今回は相手の幸せを素直に願うことができた。
健太は、少しだけ自分を認めてもいいと思った。
ただし、恋愛の現実は甘くない。
誰かの相談に乗れることと、自分が恋愛できることは別だった。
そして三月。
健太の前には、また新しい出会いが訪れようとしていた。
今度の相手は、これまでの女性たちとは違う価値観を持つ人物だった。




