第98話 相談相手という居場所
二〇二二年二月十日、木曜日。
健太は仕事を終え、自宅で夕食を食べていた。
テレビを見ながらスマートフォンを確認すると、木村からメッセージが届いていた。
『小川さんから相談したいことがあるそうです。今度、みんなで集まるときに話を聞いてもらえますか?』
健太は箸を置いた。
小川理恵。
先日の食事会で知り合った三十四歳の女性だ。
恋愛について悩んでいると言っていた。
自分に相談してくれることは、少し嬉しかった。
誰かから頼られる。
誰かの役に立つ。
健太にとって、それは久しぶりに感じる感覚だった。
『俺でよければ大丈夫です』
そう返信した。
*
二月十二日、土曜日。
午後六時。
木村が企画した食事会が開かれた。
参加者は七人。
理恵も来ていた。
「大野さん、こんばんは」
「こんばんは。今日はよろしくお願いします」
二人は軽く挨拶を交わした。
食事が始まると、仕事の話や休日の過ごし方など、何気ない会話が続いた。
理恵は以前より少し口数が少ないように見えた。
健太は気になったが、無理に聞き出そうとはしなかった。
*
午後七時半。
木村たちが別の話題で盛り上がっているとき、理恵が健太に声をかけた。
「大野さん、ちょっと相談してもいいですか?」
「もちろんです」
「この前話した、気になる人のことなんですけど」
「はい」
理恵はグラスを置いた。
「職場の人なんです。年齢は私より少し上で、仕事もできるし、周りへの気配りもできる人なんです」
「いい人なんですね」
「そうなんです。でも、私だけに優しいわけじゃないんですよ」
理恵は苦笑した。
「仕事で困っていたときに助けてもらったり、帰りに声をかけてもらったりして。最初は、もしかして私に興味があるのかなって思ったんです」
「なるほど」
「でも、他の女性にも同じように接しているのを見てしまって」
健太は黙って聞いていた。
「それから、どうしたらいいのか分からなくなってしまって。自分から誘うのも怖いし、何もしないまま諦めるのも嫌なんです」
「その人とは、仕事以外でも話すんですか?」
「たまに雑談するくらいです」
健太は少し考えた。
自分ならどうするだろう。
以前の自分なら、相手の優しさを好意だと決めつけて、積極的に近づいていたかもしれない。
しかし、今は違う。
「一度、仕事とは関係ない話をしてみたらどうですか?」
「例えば?」
「映画や食事の話とか。相手が興味を持ってくれたら、そこから自然に会話が広がるかもしれません」
理恵はうなずいた。
「でも、迷惑だと思われたら嫌なんです」
「それは分かります。ただ、相手の気持ちは聞いてみないと分からないと思います」
「大野さんは、そういう経験ありますか?」
健太は苦笑した。
「ありますよ。自分が好意を持って誘って、断られたこともあります」
「そのときはどうしました?」
「残念でしたけど、相手が断ったなら、それ以上は無理に誘わないようにしました」
理恵は少し驚いたようだった。
「それができるのは、すごいと思います」
「いや、最近ようやく考えるようになっただけです」
健太は笑った。
*
午後八時。
理恵は少し表情が明るくなっていた。
「話を聞いてもらって、少し気持ちが楽になりました」
「それならよかったです」
「大野さんって、話しやすいですね」
健太の胸がわずかに反応した。
以前なら、その言葉だけで期待していた。
しかし、今は違う。
理恵は恋愛相談をしていた。
話しやすいという言葉は、そのまま受け取ればいい。
それ以上の意味を勝手につける必要はない。
「ありがとうございます。俺も話せてよかったです」
そう答えた。
*
二月十三日、日曜日。
健太は草野球の練習に参加した。
練習後、藤井に昨日の話をした。
「小川さんの恋愛相談に乗ったんや」
「そうか。うまくアドバイスできたんか?」
「分からんけど、少し気持ちは楽になったみたい」
「よかったやん」
健太は続けた。
「話しやすいって言われたんやけど、別に恋愛感情があるわけじゃないよな」
藤井は笑った。
「また考えすぎてるな」
「そうかな」
「話しやすい人っていうのは、それだけで十分価値があるやろ。何でも恋愛につなげんでもええ」
健太は黙ってうなずいた。
「ただし、相談相手になるなら、自分の気持ちも整理しとけよ」
「どういうこと?」
「相手の恋愛相談を聞きながら、自分が好きになってしまうこともあるやろ。そうなったとき、相手に見返りを求めたらあかん」
健太は、その言葉を聞いて考え込んだ。
自分は、誰かの役に立ちたいと思っている。
しかし、その裏側に、好かれたいという気持ちが隠れているのかもしれない。
*
二月十五日、火曜日。
理恵から、木村を通じて連絡があった。
『職場の人を食事に誘ってみようと思います。大野さんの話を聞いて、少し勇気が出ました』
健太は、その文章を何度も読み返した。
彼女は、自分の助言を受けて行動しようとしている。
それは嬉しいことだった。
『応援しています。無理せず、自分の気持ちを伝えられるといいですね』
そう返信した。
その後、理恵から直接連絡が来ることはなかった。
健太は少し寂しさを感じた。
自分が必要とされた時間が終わったような気がしたからだ。
しかし、考え直した。
彼女が自分の人生を進めようとしているなら、それでいい。
誰かの役に立ったからといって、その人の人生に居続けられるわけではない。
健太はスマートフォンを伏せた。
その夜、彼は久しぶりに自分の恋愛について考えずに眠った。
だが、翌週。
理恵から届いた一通のメッセージが、健太の心を再び揺さぶることになる。




