第95話 新年会の約束
二〇二一年十二月三十日、木曜日。
大野健太は、自宅の部屋でスマートフォンを眺めていた。
木村亮から、新年会の日程について連絡が届いていた。
『一月八日の土曜日に集まる予定です。大野さんも参加できますか?』
健太はすぐに返信した。
『大丈夫です。参加します』
今回の新年会には、前回の食事会に参加した吉岡なるみも来る予定だった。
健太は、なるみともう少し話してみたいと思っていた。
しかし、気になることが一つあった。
自分は、女性と知り合うとすぐに恋愛を意識してしまう。
相手が自分をどう思っているのか、必要以上に考えてしまう。
それが、これまで何度も失敗してきた原因だった。
「今回は普通に話すだけでいい」
健太は自分に言い聞かせた。
*
二〇二二年一月一日、土曜日。
新年。
健太は家族と食卓を囲んでいた。
母の美代子が、おせち料理を並べる。
「今年はいい出会いがあるとええな」
母が何気なく言った。
「そうやな」
「もう三十六歳やろ。そろそろ結婚も考えたら?」
「考えてるって」
姉の真紀が笑った。
「考えてるだけやったら、何も変わらへんで」
「分かってるわ」
父の正一は、テレビを見ながら口を開いた。
「結婚だけが人生やない。ただ、誰かと暮らしたいなら、相手のことも自分のことも考えなあかんぞ」
健太は箸を止めた。
父の言葉は、いつも短い。
しかし、妙に心に残る。
「今年は、少し変わりたいと思ってる」
健太はそう答えた。
*
一月八日、土曜日。
午後六時。
大阪市内の居酒屋に、七人が集まった。
木村夫婦、なるみ、そして友人たち。
健太は少し早く到着していた。
しばらくすると、なるみが店に入ってきた。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
なるみは落ち着いた笑顔で挨拶した。
健太は、彼女の隣ではなく、少し離れた席に座った。
以前のように、最初から近くに座ろうとすることはしなかった。
食事が始まると、自然に会話が生まれた。
年末年始の過ごし方、仕事の話、最近見た映画。
なるみは、年末に友人と京都へ出かけたらしい。
「人が多かったですけど、久しぶりに楽しかったです」
「京都はいいですね。俺もたまに行きます」
「どの辺りに行くんですか?」
「嵐山とか、伏見稲荷とかですね」
「伏見稲荷は、階段が大変ですよね」
二人は笑った。
*
午後七時半。
木村が席を立ち、飲み物を注文しに行った。
健太となるみは、自然と二人で話すことになった。
「大野さんは、今年何か目標ありますか?」
「そうですね。野球を続けることと、仕事を頑張ることですかね」
「恋愛は?」
なるみが冗談めかして尋ねた。
健太は少し驚いた。
「もちろん、いい出会いがあればと思っています」
「そうなんですね」
「なるみさんは?」
「私は、仕事も大事ですけど、休日をもっと楽しみたいですね。旅行にも行きたいです」
「いいですね」
健太は少し迷った。
そして、思い切って尋ねた。
「なるみさん、もし迷惑でなければ、今度二人で食事に行きませんか?」
なるみは、すぐには答えなかった。
少し考えてから、穏やかに口を開いた。
「ありがとうございます。大野さんと話すのは楽しいです」
健太の胸が高鳴った。
しかし、続く言葉は予想していたものとは少し違った。
「ただ、今は二人で会うことは考えていないんです。みんなで集まる機会があれば、またお話しできたら嬉しいです」
健太は一瞬、言葉を失った。
それでも、すぐにうなずいた。
「分かりました。突然すみません」
「いえ、誘っていただいてありがとうございます」
なるみは笑顔で答えた。
*
午後九時。
新年会は終了した。
健太は駅まで歩きながら、なるみの言葉を思い返していた。
話すのは楽しい。
しかし、二人で会うつもりはない。
その違いを、今度は間違えないようにしなければならない。
木村が隣にやってきた。
「どうでした?」
「誘ってみたけど、断られたわ」
「そうですか」
「みんなで会うならいいって」
木村はうなずいた。
「それなら、その距離感を大事にしたらいいと思います」
「そうやな」
「無理に二人で会おうとしないことです」
「分かってる」
健太は少し笑った。
「今回はちゃんと聞けたから、それでよかったわ」
木村も笑った。
「そうですね。自分の気持ちを伝えられたのは一歩ですよ」
*
一月九日、日曜日。
健太は、ドリーム・エース・ナインの田村と藤井に、前日の出来事を話した。
「二人で食事に誘ったけど、断られた」
田村は尋ねた。
「それで、どうするんや?」
「もう誘わない。みんなで集まるときに話せたらええと思う」
藤井は笑った。
「それでええやん」
「でも、やっぱり残念やな」
「そらそうやろ」
田村が続けた。
「断られて残念に思うことと、相手を責めることは別や。そこを間違えなければいい」
健太はうなずいた。
「俺、少しは変わったんかな」
藤井はすぐには答えなかった。
「変わろうとはしてるんちゃうか。結果が出るかどうかは別やけどな」
健太は苦笑いした。
恋愛がうまくいったわけではない。
彼女ができたわけでもない。
それでも、自分の気持ちを伝え、相手の答えを受け入れることはできた。
健太にとって、それは小さな前進だった。
*
その日の夜。
健太は、家電量販店の吉岡沙織のことを思い出していた。
なるみとのことがあったからといって、沙織への気持ちが消えたわけではない。
しかし、もう理由もなく店に通うことはやめようと思った。
接客の笑顔を、自分だけに向けられたものだと考えるのはやめる。
相手には相手の仕事があり、生活がある。
健太は、スマートフォンの画面を閉じた。
三十六歳の新しい一年。
恋愛の結果は、まだ何も変わっていない。
それでも、ほんの少しだけ、自分の行動を変えられた気がしていた。




