第94話 連絡先を聞けなかった夜
二〇二一年十二月二十日、月曜日。
大野健太は、仕事帰りに木村亮から届いたメッセージを確認していた。
『今週の土曜日、また何人かで集まることになりました。なるみさんも来るそうですよ』
健太はすぐに返信した。
『俺も参加したい』
『もちろんです。嫁にも伝えておきます』
画面を閉じると、自然と笑みがこぼれた。
なるみと、もう一度話せる。
前回の忘年会では、無理に距離を縮めようとはしなかった。
今回は、もう少し相手のことを知りたいと思っていた。
ただし、相手に恋人がいないからといって、自分に好意があるとは限らない。
健太はそのことを何度も自分に言い聞かせた。
*
十二月二十五日、土曜日。
午後六時。
大阪市内の居酒屋に、健太たちが集まった。
参加者は七人。
木村夫婦、なるみ、そして数人の友人たちだった。
「大野さん、こんばんは」
なるみが笑顔で挨拶した。
「こんばんは。今日もよろしくお願いします」
健太は少し緊張しながら席に着いた。
忘年会のときよりも、会話は自然だった。
なるみは最近、映画館で話題の作品を見たという。
「面白かったですよ。最後がちょっと意外で」
「そうなんですか。俺も映画は好きですよ」
「どんなジャンルを見るんですか?」
「アクションとか、ホラーとかですね」
「ホラー好きなんですか?」
「はい。怖い話も結構好きです」
なるみは笑った。
「意外ですね。大野さん、優しそうだから怖いものは苦手なのかと思いました」
「いや、怖いものを見るのは好きなんです」
会話は弾んだ。
健太は、自分の話ばかりにならないように注意しながら、なるみの話を聞いた。
仕事のこと、休日のこと、友人との付き合い。
彼女は一人の人間として、自分の生活を楽しんでいるようだった。
*
午後八時半。
食事も終盤に差しかかっていた。
木村が席を立ち、会計を済ませに行った。
その間、健太となるみは二人で話していた。
「大野さんは、年末年始はどう過ごすんですか?」
「実家でゆっくりすると思います。あとは野球の仲間と会うくらいですね」
「野球仲間って、長い付き合いなんですか?」
「そうですね。もう何年も一緒にやっています」
「いいですね。そういう仲間がいるのは」
「なるみさんは?」
「私は学生時代の友達と会う予定です。みんな仕事が忙しくて、なかなか集まれないんですけど」
健太はうなずいた。
「大人になると、予定を合わせるのも大変ですよね」
「本当にそう思います」
そのとき、健太の頭に一つの考えが浮かんだ。
連絡先を交換したい。
また会う機会があるかもしれない。
しかし、どう切り出せばいいのか分からない。
「なるみさん、もしよかったら……」
言葉が止まった。
「はい?」
健太は少し考えた。
「また皆さんで集まるときに、よろしくお願いします」
結局、それだけしか言えなかった。
なるみは笑顔で答えた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
*
店を出ると、冷たい風が吹いていた。
参加者たちは駅に向かって歩き始めた。
健太は、なるみの少し後ろを歩いていた。
木村が近づいてきた。
「大野さん、どうでした?」
「楽しかったわ」
「なるみさんと話せました?」
「うん」
木村は少し笑った。
「連絡先、聞かなかったんですか?」
「聞けなかった」
「どうしてです?」
「急に聞いたら、困らせるかもしれんやろ」
木村はうなずいた。
「そうですね。ただ、聞くこと自体が悪いわけじゃないですよ。相手が断れる形で聞けばいいんです」
健太はなるみを見た。
彼女は友人と楽しそうに話していた。
今は無理に聞かなくてもいい。
そう思った。
*
十二月二十六日、日曜日。
午後。
健太は実家で母親の手伝いをしていた。
買い物から帰ると、姉の真紀が遊びに来ていた。
「昨日、食事会やったんやろ?」
「うん」
「どうやった?」
「楽しかったで」
「その女性とは?」
「なるみさんっていう人。三十代で、映画が好きらしい」
真紀は笑った。
「また新しい女性が登場したんやね」
「まあな」
「連絡先は?」
「聞いてない」
「何で?」
「相手がどう思ってるか分からんし」
真紀は少し考えた。
「相手の気持ちが分からないからこそ、丁寧に聞けばいいんじゃない?」
「断られたら嫌やん」
「それはそうやけど、断られる可能性を避け続けたら、何も始まらないよ」
健太は苦笑いした。
「結局、聞くしかないんか」
「聞くかどうかはお兄ちゃんが決めたらいい。でも、聞くなら相手が断りやすいようにね」
*
十二月二十八日、火曜日。
健太は、なるみに連絡先を聞くかどうか考えていた。
ただ、木村から無理に仲を取り持ってもらうつもりはなかった。
自分の気持ちは、自分で伝えたい。
しかし、次に会う予定は決まっていない。
そんなとき、木村からメッセージが届いた。
『なるみさんから、大野さんって野球をやっている人ですよね、と聞かれましたよ』
健太は画面を見つめた。
自分のことを覚えてくれていた。
それだけで、胸が少し熱くなった。
続けてメッセージが届く。
『今度、みんなで新年会をする話が出ています』
健太は返信した。
『ぜひ参加したいです』
その後、スマートフォンを置いた。
まだ何も始まっていない。
それでも、次に会える機会がある。
今度こそ、相手の反応を見ながら、自分の気持ちを少しだけ伝えてみよう。
健太はそう考えた。
一方、その頃。
なるみは自宅で、友人と電話をしていた。
「この前の食事会、楽しかった?」
「うん。みんないい人だったよ」
「大野さんって人は?」
「野球をしている人ね。話しやすい人だったよ」
「気になった?」
なるみは少し笑った。
「まだ、そこまでは分からないかな」
彼女にとって健太は、感じのいい知人の一人だった。
ただ、それ以上になる可能性がないと決まったわけでもなかった。
健太が知らないところで、彼女にも彼女の考えがあった。
新しい年が近づいていた。




