第81話 もう一度会いたい人
八月二十九日、日曜日。
大野健太は、スマートフォンの画面を何度も確認していた。
相手は、マッチングアプリで知り合った佐藤まみ。
三十七歳。離婚歴があり、六歳の息子と暮らしている女性だ。
前回のカフェでの会話は、思っていた以上に楽しかった。
仕事の話、休日の過ごし方、好きな食べ物。
お互いに少しずつ自分のことを話し、最後には連絡先も交換した。
ただし、健太はまだ知らないことが多かった。
彼女がどんな結婚生活を送っていたのか。
離婚してから、どんな思いで子育てをしてきたのか。
そして、自分との関係をどのように考えているのか。
知りたいことはたくさんあった。
しかし、すべてを聞くのは違う。
そう思いながら、健太はメッセージを打ち始めた。
『この前はありがとうございました。また時間が合えば食事でもどうですか?』
送信。
数分後、返信が届いた。
『こちらこそ、ありがとうございました。私も楽しかったです。ただ、子どもの予定もあるので、少し先になるかもしれません』
健太は画面を見つめた。
少し先。
その言葉が気になった。
(これは、遠回しに断られているのかな)
以前の自分なら、ここから何度もメッセージを送り、相手の気持ちを確かめようとしただろう。
しかし、今回は違った。
『もちろん大丈夫です。無理のないタイミングでお願いします』
そう返信した。
まみからは、笑顔の絵文字が一つ届いた。
それだけだった。
健太はスマートフォンを置いた。
たった一つの絵文字に期待している自分がいる。
そのことに気づき、少し苦笑した。
*
九月一日、水曜日。
仕事終わり、健太は木村亮と食堂で夕食を取っていた。
「最近、どうなん?」
木村が尋ねた。
「この前会った女性と、連絡は取ってる」
「例の子どもがいる人?」
「そう。今度、また会えたらいいなと思ってる」
「いいやん」
木村は味噌汁を飲んだ。
「でも、子どもがいるなら予定は簡単には決められへんやろうな」
「そうやな。そこは理解してるつもり」
「つもり、か」
木村が笑った。
「お前、自分が会いたい気持ちを優先してないか?」
健太は箸を止めた。
「そんなことないと思うけど」
「ならええけどな。子どもがいる人と付き合うって、普通の恋愛より考えることが多いと思うで」
「俺はどうしたらいい?」
「まずは、彼女自身を知ることやろ。父親になろうとか、子どもに好かれようとか、先走らんことや」
木村の言葉は、健太の胸に残った。
健太は、まだ彼女の息子に会ったこともない。
それなのに、どこかで自分が父親の代わりになれるかどうかまで考え始めていた。
まだ何も始まっていないのに。
「お前、また先のこと考えすぎや」
木村は笑った。
「まず二回目の食事やな」
「それはそうやな」
健太も笑った。
*
九月四日、土曜日。
午後七時過ぎ。
健太のスマートフォンに、まみからメッセージが届いた。
『こんばんは。来週の土曜日なら、少し時間が取れそうです。もしよかったら、またお会いしませんか?』
健太は思わず背筋を伸ばした。
(向こうから誘ってくれた)
その事実が嬉しかった。
すぐに返信したくなったが、文章を何度も書き直した。
『ぜひお願いします。何時頃が都合よさそうですか?』
しばらくして返信が届いた。
『午後二時くらいからなら大丈夫です。夕方には帰らないといけないので、短い時間になりますが』
『了解です。無理のない範囲で大丈夫ですよ』
健太は送信した。
二回目の約束が決まった。
それだけで、胸の奥が少し温かくなった。
しかし、その直後だった。
『一つお願いがあります。息子のことは、まだ詳しく聞かないでもらえると助かります。話せるようになったら、私から話します』
健太は画面を見つめた。
彼女は、子どものことを大切にしている。
そして、自分との関係についても慎重になっている。
健太は少し考えてから返信した。
『わかりました。話したくなったときに話してください。無理に聞くつもりはありません』
送信すると、まみから短い返信が届いた。
『ありがとうございます。そう言ってもらえると安心します』
健太はスマートフォンを握りしめた。
これまでの恋愛では、相手から好かれることばかりを考えていた。
どうすれば自分を好きになってくれるのか。
どうすれば特別な存在になれるのか。
どうすれば自分を選んでくれるのか。
しかし、今回は少し違う。
彼女には彼女の生活がある。
自分が知らない時間があり、自分には見せていない顔がある。
それをすぐに知ろうとしなくてもいい。
そう思えた。
*
その夜。
健太は、久しぶりに野球仲間のグループメッセージを開いた。
田村から、次の試合の日程が送られていた。
『来週の日曜日、試合できる人は返信してくれ』
健太は参加と返信した。
すると、中村からメッセージが届いた。
『健太、彼女できたんか?』
「まだや」
健太が返信すると、藤井が続けた。
『まだ二回目の食事やろ。焦るなよ』
『分かってる』
健太はそう返信した。
その後、石田からもメッセージが届いた。
『楽しんでこいよ。うまいもん食べてこい』
何気ない仲間の言葉だった。
健太はスマートフォンを置き、窓の外を眺めた。
三十六歳。
恋愛経験はない。
それでも、誰かともう一度会いたいと思えることは嬉しかった。
ただ、彼女の人生に自分が必要とされるかどうかは分からない。
そもそも、必要とされることが恋愛の条件なのだろうか。
健太はまだ、その答えを持っていなかった。
来週の土曜日。
二度目の食事で、彼女はどんな話をするのだろう。
そして、自分は彼女の話をきちんと聞くことができるのだろうか。
健太は、スマートフォンの予定表に日付を入力した。
九月十一日。
その日が、少しだけ待ち遠しかった。




